特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

谷川(やがわ)小学校から十八成浜へ  30回活動報告

2011年10月31日 23時37分36秒 | [東日本大震災]宮城県牡鹿半島十八成ボランティア
遅くなってすみません。
事務局長 久世です

第30回活動報告です。









校舎の右手がすぐ海ですが、20m近くの断崖絶壁です。そして2階建ての校舎がほぼ津波にのみ込まれています。
津波の高さの恐怖を感じる場所です。

震災直後、谷川(やがわ)小学校の児童数14人と先生は校庭に集まっていました。
そこに避難してきた住民のアドバイスで、学校より高い所を通る県道に逃げました。
その後、学校が津波に襲われ、崖近くにあった体育館が跡形もなく流され、2階建て校舎もほぼ津波に呑まれました。
子どもたちは住民とともに神社で避難。保護者に会えたのは13日になってからだそうです。
子どもたちは2日も不安な夜をすごしました。どれだけ辛く心細かったことでしょうか。

6月4日の朝日新聞によると谷川の死者は8人、行方不明は23人。震災前には約160人の人口でしたが、
谷川に残ることを決めたのは6世帯15人とのことです。

谷川小学校は7カ月経っても、時間が止まっています。
地震が起き7か月経てば復興が進み街の景色が変わってきますが
谷川小学校は3・11のまま。
久世自身、この地を訪れると、人間の無力さ、自然の怖さを、ここを風化させてはいけない
という気持ち、思いが強くなります。
時間がゆるす限り、谷川小学校を訪れ、風化させない決意をし、
この地震・津波の悲惨さを伝えていきたいと思っています


その後バスは十八成浜へ。

くぐなり食堂の紹介です。

星川料理長のもと
くぐなり食堂班の方の
功績です。

本日のメニューは
きのこ山菜ご飯
いわしのつみれのみそ汁仕立て
味付けたまご
温野菜サラダ


先週、知立の方から無洗米320キロを頂きました。

毎回20キロ使うので、本当にありがたい支援です。
玄米をわざわざ無洗米にしてくださったそうです。
ありがとうございました。




この日、11時30分より仮設住宅で消防訓練がごありました。
邦子さんの魅力ある強引さで 消防の方も一緒にランチ。 おいしいねえと みなさん完食。
たくさんの笑顔、笑い声が談話室に広がりました。
(時間は阿部恭一さんの提案でした。消防訓練で皆さんが仮設に来ている時間だから
くぐなり食堂をやりやすいと。ありがとうございます。)



その横で瓦礫撤去班は本日も元気よく阿部恭一さんと一緒に汗を流していました。
側溝を掘っています。皆さんが「こうしよう、ああしよう」と言ってる所です。



物干し竿を固定する作業です。仮設住宅は布団などを干す場所が限られていて、、
この物干し竿が重宝される時も近し・・・



老人憩いの家(かつての避難所)で、阿部恭一さんとの食事です。


仮設で牛乳パックで座イスを作っているせいこさん。そのお手伝いをするボランティアさんです。
せいこさん、顔がイキイキしていました。


写真はありませんが、
広報班も今回は新たな活動をしました。
足が悪くて仮設まで行けない方のお宅に行き、
一緒にくぐなり食堂の昼食を食べました。
これからは、お届けして一緒に食べる活動も大事になってきます。
31回でも引き継いでしっかりやりたいとおもいます。

最後は毎回恒例の記念写真です。
皆さんの笑顔が素敵です。自然の笑顔です。

また今週も帰ります

おまけ…お迎えの時(日曜、午前7時30分、東別院前)です。
50肩だという代表の久田。
50肩に負けず、活躍を期待しています。

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14 コメント

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ありがとうございました (ホシ)
2011-11-01 12:45:18
今回、くぐなり食堂、料理長だった星川です。
出発前からたくさんの方々にアドバイスを頂き、テンパッテましたが無事に終えることが出来ました。
出発の時も、バスの行き帰りもマイクを持つと、何を言っているのか、わからないことを話してましたが、くぐなり食堂班だったチーム16人の方々には本当に感謝しています。
作業開始から1人1人が出来ることをコツコツとこなしてくれました。
12時半目標でしたが、11時半に仮設の方が持ちに来て、予定変更にもかかわらず、皆さんが協力して12時半には全部の仕事を終了してくれました。
個人的にはお昼に仮設の集会場に行くのは初めてでした。
1番最後の車で、残りのチーム16の方々と仮設の集会場の横に着いたとき、集会場からたくさんの笑い声が聞こえて来ました。
ジーンとして1人目をつむり、涙がでました。そして、1人遅れて入り口に回ったら、チーム16の1人1人が役割分担して、集会場の中でも、外でも1人1人が頑張っていらっしゃったのにも、感動しました。
ここは料理長に任せて、と先に帰って後片付けをしてくださった人もいました。
本当に16人の皆さんで頑張った、チームワーク抜群の「くぐなり食堂チーム16」だったと思います。
この場を借りてですが、本当にありがとうございました。
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笑顔が一番 (阿部邦子)
2011-11-01 22:28:15
★久世さんの、「谷川に来ると風化させないという気持ちになる」というコメントは、私たち避難者と共通の思いです。みなさんは、砕け散った谷川しか知りませんが、たくさんの家が建ち並び、人々の行き交う賑やかな集落でした。
160人住んでいたけど、ここに戻って住みたいと言っている人が15人しかいないとの、貴重な情報も書き加えてくださって 感謝です。
★消防隊の方々は 「いや、戻ります」とおっしゃったのですが、せっかくの機会でしたので、隊長を口説き落としました。いまや くぐなり食堂は、十八成浜の 誇りです。自慢です。十八成住人と限らず、ご縁のあった方 一人でも多くの方に誘いをかけるのが、私にできる精いっぱいの、「おいしいよ、嬉しいよ、楽しいよ」という気持ちを 立体的に表わす一番の 方法だと思っています。 先週は、私の話を聞きたいと来てくれた、早稲田大学の教授、ジャーナリスト希望の20名の学生たち、そして 石巻かほく新聞社の社長も一緒に 「おいしいね」と、完食してくれました。 来週は 東北放送テレビのスタッフがくるとのこと、 また誘ってやろうと、手ぐすね。
★今回は 恭一氏のことを浮き彫りにしてくださって ありがとうございます。 恭一氏は本来、目立つことを好む人ではないです。 でも、愛ボラのおかげで、人前で話す楽しさも知りえたようだし、もう、彼にとって愛ボラは、『身内』のようで、他のボランティアさんがいくらプッシュしても、「土曜日は、愛ボラ以外は 絶対だめ!」と、言っているほど。
応募なさってくれる方も、『デートしよう」と恋人から電話があっても 「土曜日だけはだめ!」・・・いいえ、「土曜日?いいわよ、十八成で デートしましょ おいしいランチもついているわよ」 って・・・ あは!
★星川さま  お疲れ様でした。
なんかコメントでは 緊張してたみたいな書き方でしたが、なんのなんの 堂々として 笑顔いっぱいで かっこよかったですよ! 今週は特別に 消防隊の方々が 感謝の敬礼までしてくれたし、大成功~~❤
★この機会に、今まで感じてたことを言わせてください。
お年寄りたちは、一番最初に食べ終わります。で、食べ終わったときにすっと、 お茶とお菓子を出していただけると、『流れ』が途切れないと思います。
毎回、「ねえ、お茶、出していただける?帰っちゃう人もいるから」と、小声で言わせていただいているので、そのことも、次回からは 美しい流れを よろしくお願いします。
★今回は、お出迎えの久田ボスの様子まで。
久世事務局長 ありがとう 日々 成長
来週は 金曜日にお帰りとのこと お待ちしてます 気をつけて  夕食は 拙宅で、 の予定??
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感想 (30回参加者1)
2011-11-02 16:55:12
今回のボランティア活動は私にとってとてもいい経験となりました。
まず十八成に着いて言われたひとことが私はとてもうれしかったです。
「ここにきただけで100%のうち90%は終わっているんだよ。ここでは残りの10%を使って頑張ってほしい。」と。
なんとも言えない気持ちになりました。まだ何もしていないのにそんな風に言ってもらえて…。でもそう言って邦子さんが温かく迎えてくれたので、不安だった気持ちが一気に消えて、残りの10%をせいいいっぱい使い切ろうという気持ちになりました。
そのあと炊き出しを作り、仮設住宅の集会所へもっていきました。
すると元気なお年寄りがたくさんいて、「わたしの孫に似ているの。わたしの孫はね………」とたくさんお話をしてくれました。ボランティアで来ているのに、私の方がたくさんの元気をもらってしまいました。
今でもあのみなさんの笑顔を思い出すと幸せな気持ちになれます。
とても印象的なのが、あるおばあちゃんがとても可愛いビーズの指輪をつけていたので「おばあちゃんその指輪可愛いね。」と言ったら「これは娘が作ってくれてね。」とそこで話は終わり、おばあちゃんは仮設の部屋へと戻って行きました。しかし数時間後そのおばあちゃんがまた集会所へ数個のビーズの指輪を持ってやってきました。「みなさんで分けてください。」と言って私たちにビーズの指輪をプレゼントしてくれました。そのおばあちゃんの心づかいに涙が出そうになりました。本当にうれしかったです。
私はボランティアとは苦しみを分け合うものだと勘違いしていました。しかし今回の活動でボランティアとは楽しさや幸せを分け合うものだということを実感しました。
私自身がこんなにも満足していていいものかと疑問に思いましたが、きっと被災地の方も楽しんでくれたのではないかと信じています。
まだまだ被災地には課題がたくさん残っています。東北の方みなさんが幸せになれるように、わたしも名古屋でできることをしていきたいと思います。今回の活動を通してたくさんのことを学ぶことができました。本当にありがとうございました。またぜひ参加したいです。
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感想 (第30回参加者2)
2011-11-02 17:00:15
お疲れ様です!初参加で炊き出しをやらせていただいた者です。この日は現地に早く着くことができたということで、近くの小学校のようすを見に行くことができたのですが、津波に襲われ荒れて誰もいない校舎を実際この目で見ると、テレビで見るのとは全然違って本当に津波が来たんだという実感が沸いてきて言葉になりませんでした。津波が来た時間で止まっている時計を見ると、私が名古屋で普段通りの生活をしている間もここはあのときから時が止まってしまっているんだと感じたし、ここにいた方たちは私が想像できないような恐ろしい体験をしたんだ、と思うと胸が締め付けられる思いになりました。他にも家が流されている光景を見たりして被災地に来たんだという実感が沸いて気が引き締まりました。

憩いの家に到着して活動が開始すると初参加の私はまず何から始めていいのかわからず、とてもあたふたしてしまいました。でも大人の方たちに助けていただきながら、なんとか無事にご飯を作ることができました。完成してお弁当を仮設住宅に持っていき、現地の方たちと一緒に食べさせてもらったのですが、みなさん本当に笑顔で明るくて、私が逆に元気を頂いたような感じがしました。みなさんそれぞれに心の中で辛い思いを持ってらっしゃると思うのですが、それを見せず前を向いて生きていこうという意志が感じられました。

活動が終わり「いってきます」「いってらっしゃい」と言って現地を離れるとき、これが最後ではなくまた「ただいま」と言って戻ってこられたらと思いました。

今回このボランティアに参加させていただいて普段の生活では得られないような気持ちを感じることができました。被災者の方のためというより、自分のためになったような気がしてなりません。このような機会を与えて頂いた愛知ボランティアセンターに感謝いたします。本当にありがとうございました!!
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感想 (第30回参加者3)
2011-11-02 17:04:41
生まれて初めてのボランティア(チラシ配りとお弁当配り)は、参加して良かったの一言です。正直、両夜行日帰りはきつかったですが、肉体的な疲れも心の充実感に比べればなんのその。現地ミーティングで、「ボランティアは現地に来ただけで、90パーセント達せられています」の言葉に、今は納得です。観光とは違うのだからと、デジカメを持っていかなかった事が悔まれます。谷川小学校の被災当時のままの様子や、何もなくなった十八浜の風景を周りの人間に伝えるには、映像があった方が伝わりやすいと思うからです。

Sさんのお宅で、お昼をご一緒した際、いろいろなお話をしてくださいました。被災された方から、直接、方言交じりの話を聞けたことは、まさに現地へ行ったからではで、本当に有意義でした。あまりにも大きな災害に会うと、かえって覚悟が決まるというか、あきらめがつくというのか、そのくらいの時間がたったというのか、サバサバした印象を受け、こちらも少し気が楽になりました。一緒に食事をするなんて、何を話したらいいのか、気が重かったからです。

午後の作業後、余震がありました。地響きとガラスの震える音で、一瞬津波は大丈夫だろうかと思いました。阿部恭一さんいわく、この位の余震は、毎日だそうです。この余震といい、阿部さんが話されていた、復興の話といい、前途が容易でないことは想像できます。

また機会があれば(自分の職探しもしなければならないので)ボランティアに参加したいと思います。参加できなければ、東北の農産物を買うとか、温泉や、山登りに行くとかできることで息の長い支援をして行くつもりです。
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感想 (第30回参加者4)
2011-11-02 17:05:07
この度は、10月28日~30日の十八成浜ボランティアに参加させていただき、誠にありがとうございました。6月から今まで、真摯な心あるボランティアを久田様、久世様をはじめとする愛知ボラセンが継続してきて下さったおかげさまで、今回、初参加の私でも十八成浜の方々に温かくお出迎えいただき、特に阿部ご夫妻には逆に励ましのお言葉を頂戴するなど、今までボランティアに参加された方々や繋がりに心より感謝申し上げます。

 「ボランティアをしたい」と思いながらも、久世様のように全てを捨てて奉仕することはなかなか難しく、車中、久世様の学生時代からのお話を聞き、深く感動いたしました。

 そして、ボランティアとはいっても、被災者の方のニーズを理解しなければボランティアにはならず、自己満足の世界で終わってしまう、その難しさも感じました。それでも自分に役に立てることがあれば、何かしたい、少しでもお力になれれば、と複雑な心境のところ、愛知ボラセンは、「助けてあげるのではなく、ボランティアさせて頂くのではなく、陰で支えるのではなく、仲間として、対等な人と人の関係の中で、声を大にして応援する、ずっと応援し続ける…。」お互いに平等に、同じ立場として触れ合い、励まし応援する、その心に賛同致しました。

また、阿部ご夫妻の「ボランティアに参加しよう」という気持ちを持つことだけで、もうすでに90%ボランティアしていることになる、というお言葉にも心励まされ、深く感謝致しております。

 そして当日は、時間に追われながらバタバタと炊き出しを作り上げ、ご高齢の方が多い被災者の方に本当にご満足いただけるか不安でしたが、「ありがとう、美味しかったよ。」と微笑み話しかけて下さるお顔を見て、本当に心から悦びを感じました。

 阿部邦子さんがおっしゃってみえた通り、「心のケア」はとてもとても難しいと思います。しかし、阿部ご夫妻のように、被災者の方が笑顔で生活できるようになることをいつも祈り、これからも自分のできることを心を込めて行い、今回のことを伝えていこうと思います。

 自然災害は世界各地で起こっていますし、人災も戦争も様々な事件も、絶えず起こり続けています。苦しんでいる人は大勢見えます。物質的な被災者、精神的な被災者・・・都会で暮らしている人々も心病んでいる人は多く、ある意味被災者と言えるかもしれません。

 被災者でありながらも、心健全な阿部ご夫妻のお姿は本当に素敵です。今回の地震を機に、私たちは自然とも共生していること、無常を受け入れること、そして、心が苦しみを生み出していることに気づき、物質的に不自由ないこと、十分に満たされていること、何も問題などないことを思い出し、感謝と悦びで日々を過ごすことが大切だと思いました。

 私は自分が参加したことで得た学び、気づきを身近な方から一人一人お伝えしていきたいと思います。阿部邦子さんも強くおっしゃってみえた通り、伝えることで繋がっていくということを、言葉で伝えることが苦手な私ではありますが、頑張ろうと思います。

大変長くなりましたが、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。愛知ボラセンの皆様、寒さがどんどん増してまいりますので、どうぞお体にお気をつけて下さいませ。

また、機会があればご一緒させていただきたいと思いますので、その際はよろしくお願い致します。
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感想 (第30回参加者5)
2011-11-02 17:29:59
今回、自分の参加目的は、被災地の惨劇を目の当たりにして、何か人生観が変わればと思っていましたが、仮設住宅の修繕作業の中で現地の方とふれあうことができ、被災された方の前向きな心、子供たちの元気に明るく遊んでいる姿、を見て心打たれるものを感じました。今の自分がどれだけ幸せか、自分がどうするべきで、どうあるべきか、つくづく考えさせられました。家に帰り子供に谷川小学校の写真も見せて話し合いました。今あるものに感謝して、大切にしていこうと約束しました。まずはそこからスタートです。もし今回瓦礫撤去だけだったら、達成感と自己満足だけで、こんな思いはしなかったと思います。心のふれあいが本当のボランテイアだなとおもいました。自分にとって得たものはおおきかったです。ありがとうございました。
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意見・提案 (第30回参加者6)
2011-11-02 17:31:56
仮設・一般家庭訪問をしました。その時、思ったことを書きます。まず、訪問する家が書かれた地図が欲しい。地図の家には、番号を書いておきその番号に対応したノートも欲しい。ノートは、一家族1冊で。ノートには、そのご家族の名前などの基本情報と、毎回話をした内容や炊き出しの対応(談話室で食事したとか、デリバリーしたなど)を記載する。というのも、一緒に回った方達が、ボランティア初めてとか十八成浜に来るのがはじめという方でした。訪問したときに何を話せばいいのか。変なことを話してしまわないかと、とても気にされていた。そこで、家庭ごとに話をした内容などをノートに記しておけば、次のボランティアさんにとって、ある程度手助けになるのではと思いました。

バスのルート変更により所要時間が短くなったのであれば、東別院の出発時間を1時間遅くして欲しいです。仕事を終えてから参加される方も多く、19時出発だとギリギリな感じです。お見送りの方のこともありますが、ご検討願います。
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Unknown (久田です)
2011-11-02 17:39:46
ご提案ありがとうございます。
ノートは情報や活動の継続性を考えると必要かと思います。一方、一種のカルテのようなものになっていきます。個人情報ですから、取り扱いの慎重さも求められます。このあたりの兼ね合いを検討したいと思います。

バスの出発時間の変更は考えました。しかし、今後冬を迎え、高速道路を現在の中央道~上信越道ではなく、東名高速にすることになると考えています。また、降雪による遅れも考えられます。
ただし、参加者をバス1台としたため、受付手続きに時間の余裕が生まれています。集合時間を午後6時から、午後6時30分にし、7時出発でいけるのではないかと考えています。
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感想をありがとう (阿部邦子)
2011-11-04 12:02:21
★現場にいらしてくださった方々の生のお声を 真摯に受け止め、楽しく読ませていただきました。「現地の方と どう接していいかわからない」 そういうことに迷い 悩み 考えてくださる方々の優しさにうたれました。 私があっけらかんとしているからって 被災者の多くは 決してそうではない。 元気で明るく見える私だって 時には 何もかも投げ出したくなったりと、 日によって 体調によって 気持ちは変わる。
どう接していいかわからない・・・聞き上手になっていただけたらと 思います。
うなずくだけで、「まあ」という言葉だけで、被災者は心に秘めて抱え込んでいた気持ちを、吐き出すことができます。
それは、もしかして、愛ボラにしかできないことかもしれません。
身内には 心配掛けるから言えなかった、近所の人には、いくら親しくても言いにくい、 愛ボラは、愛を根柢のボランティアだし、もう、地元民の信頼を得ています。
どうか、聞いてやってください。
できれば、『被災者』『現地の人』ではなく『地元の方』として接して下さればと思います。
チラシを配る家の地図 は、 必要かなと 私も思っていました。「金剛田」とか、「区長さんの家の周り」と言っても、わかりにくいですよね。実は!!被災前には私自身、隣三件両隣のお宅しか、わかっていませんでした。 姑さんに、「**さんとこに これ届けて」と言われて、「それ、どこ?」すると姑、「なんだい、**さんとこの畑を右に曲がって、**さんとこの田んぼを左に曲がって、**さんとこの塀の隣の家だ」・・・わかるわけないって!!
ご自分がチラシを配って 「こうやったら次の人、助かると思う」とのお考え、胸キュンです。嬉しいです。
これからも、気づいたことは、どうかよろしくお願いします。
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