セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

ついこの間・・・

2010-06-18 | セカンドライフ
先のW先生は、授業中に辛かった思い出話しをする時決まって、
「ついこの間の事なんだ・・」と話された。何べん聞いたか数え切れない程。

先生にとって過酷な捕虜の事は忘れる事の出来ない、ついこの間の事なのだ。
有る時、生徒が「先生あのさーこないだって言うのは何時の事?」と質問すると
「ついこないだのて言うのはな、10年前の事だ。10年なんてついこないだの事だ」

そうかー10年ひと昔って言うけど大人にとってはそう言うんだ~と思っていた。
私はその時10歳だったから10年前なんて凄~く昔に思えていた。
クラス中がその度に大声で「どひゃーっ」と爆笑の渦になったものだ。

皆が生まれた頃の事だから、10年しか生きて居ない子供達にとっては、とてつもなく遠い日の事に感じる。

今自身、還暦を過ぎた私が10年を振り返ると、本当についこの間の様な気がする。
確かに10年前なんて昔と言える程の長さでは無い。ついこの間の事なのだ。

先生は今日死ぬか明日死ぬかと言う世界で、ついこの間まで過ごしていたのか~と
今の私なら理解できる。

そう言えば10歳と8歳の孫との会話の中、私が「一寸前なんだけどね…」なんて言うと
「何年前?」と言われ「10年前」と言うとひっくり返って大笑いし「すっご―い昔じゃない」と言われる。
生きている時間で「ついこの間」と言う長さの尺度が違うのだ。
幼い子供にとっては「昔ね」と言うのは2.3年前、「ついこの間」と言うのは1週間位の事を言うらしい。

シベリア抑留者法成立

2010-06-18 | セカンドライフ
元シベリア抑留者への補償問題は【極寒・飢え・強制重労働という三重苦で語られる抑留者】が対象。
過酷な生活をされた方々への慰謝する特別措置法が漸く可決された。

60万人の捕虜の内、最長11年の抑留で6万人が故国の土を踏めず苦しみ喘いで命を落とした。
時は60年を経て現存している方は8万人と言われている。
1956年「日ソ共同宣言」で日本は旧ソ連に対して賠償請求権を放棄したという理由で
国内で抑留者が補償を求めても政府は応じなかったと言う問題。

既に現存者の平均年齢は88歳になっていると言う。どうして半世紀以上も戦後が解決しなかった
のか考えられない。
現在に至るまで、どれ程の方々の苦悩が無駄に亡くなって行った事だろう。

今更とは言え、1つ1つ解決しなければならない問題は先送りする事無く、政治力を見せて欲しい。
皆さん、お国の為と信じさせられてお国の為に戦って下さった方ばかりだ。
「兵隊さん、有難う♪」なんて遠い昔に有った気がするが、とても納得出来ない。
未だ戦後の始末も終結して居なかったのだ。

私が小学校4年生の時、シベリア抑留から解放されたばかりの担任に受け持たれた。
日本中は貧乏で学校へお弁当も持って行けない子や、新聞紙で弁当箱を隠しながら
食べていた子も沢山いた。

村立の分教場(分校)で学んだど田舎の子供達。
W先生は「お前達、ご飯が食べられるなんて幸せなんだ。かくす事なんか無いぞ」と
皆を慰めていた。

先生は、社会や理科の時間になると、シベリアでどんな辛い生活だったか等話して聞かせたが
私達にとっては幼さと、非現実的なので先生の話は笑い話の様で皆で笑い合ったものだ。
先生も一緒に笑い、いつも楽しい時間だった。
W先生がどんなに酷い生活だったかは、後に戦争の事を学ぶまで分らなかった。

教える事にも意欲的で、何でも具体的にするため、自転車を壊して数やチェーンの仕組み
ハンドルを使って説明をしてくれた。
私達児童は一番多い学年だったので28人いたが、先生の事を皆尊敬の眼差しで囲んでいた。

教職を無事に終えた後は敬老会の会長などをされ、地元でも活躍を続けた人気者だったそうだ。
風の便りに聞く程度だが先生のご健勝は嬉しいニュースになっている。
W先生はどんな思いで、この結果を感じられたのだろうか。いつまでもお元気で・・・・。