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農業の現場の おはなしなどなど。

棚機津女(たなばたつめ)・・・日本古来のたなばたのお話。

2013-07-07 23:06:07 | Weblog
棚機津女(たなばたつめ)・・・日本古来のたなばたのお話。


二つの星が7月7日の夜にだけ再会することを許される・・という
七夕の伝説は、もともと中国のお話。元来、中国での行事であった
ものが奈良時代に伝わり、もとからあった日本の棚機津女(たなば
たつめ)の伝説と合わさって生まれたものといわれています。

その祭事が時代とともに広く一般にも広まり、じょじょに姿を変え
ていき現在の七夕祭りになっていきました。

 ● 奈良時代 美しい糸や金銀の針などを、二つの星に供える
 ● 室町時代 硯や墨・筆などを供え、木に和歌を結ぶ
 ● 江戸時代 笹や竹に、書道の上達を願う短冊を飾る
 ● 現在   笹や竹に、さまざまな願いの書かれた短冊を飾る


と、いうふうに。

機織りの名手である織女にあやかり、女性が手芸の上達を願って
始まった祭事
」が、随分かわったものだなあとおもわずにはおら
れませんね/笑。

さて、そこで中国の伝説が伝わる前の日本です。

中国の行事と合わさる前の、棚機津女(たなばたつめ)の伝説を
知りたくはありませんか?
よろしかったら、どうぞ。物悲しくて、ミステリアスな 日本の
棚機津女(たなばたつめ)の伝説 です。 

↓ 

古来の日本では、水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるために機屋
で神の降臨を待つ巫女』、すなわち「棚機つ女〔たなばたつめ〕」と
いわれる女性が、いた。
機〔はた〕で織った布を神におさめ、村を病気や災厄が起こらないよ
うに神に願う巫女
である。そんな巫女の話を折口信夫は、つぎのよう
に書き留められています。

『 たなばたつめ / 折口信夫 』

ゆかはの前の姿は、多くは海浜または海に通じる川の淵などにあった。
村が山野に深く入ってからは、大河の枝川や、池・湖の入り込んだと
ころなどを択んだようである。そこにゆかはだな(湯河板挙)を作っ
て、神の嫁となる処女を、村の神女(そこに生れた者は、成女戒(せ
いじょかい)を受けた後は、皆この資格を得た)の中から選り出され
た兄処女(エヲトメ)が、このたな作りの建て物に住んで、神のおと
ずれを待っている。これが物見やぐら造りのをさずき(また、さじき)、
懸崖(カケ)造りなのをたなと言うたらしい。こうした処女の生活は
後世には伝説化して、水神の生け贄(にえ)といった型に入る。
来るべき神のために機(はた)を構えて、布を織っていた。神御服
(カムミソ)はすなわち、神の身とも考えられていたからだ。この悠
遠な古代の印象が、今に残った。
崖の下の海の深淵や、大河・谿谷の澱(よどみ)のあたり、また多く
は滝壺の辺などに、筬(おさ)の音が聞える。水の底に機を織ってい
る女がいる。若い女とも言うし、処によっては婆さんだとも言う。何
しろ、村から隔離せられて、年久しくいて、姥となってしもうたのも
あり、若いあわれな姿を、村人の目に印したままゆかはだなに送られ
て行ったりしたのだから、年ぱいはいろいろに考えられてきたのであ
る。村人の近よらぬ畏(おそろ)しい処だから、遠くから機の音を聞
いてばかりいたものであろう。おぼろげな記憶ばかり残って、事実は
夢のように消えた後では、深淵の中の機織る女になってしまう。


いかがですか。

わたくしは、中南米の生贄とされたのであろう少女のミイラの話、あ
るいは、竜宮などの異次元のお話を連想してまうのですけれど。あな
たのお住まいの近くにも、いろいろな話に型を変えた「棚機つ女〔た
なばたつめ〕」のお話が、つたわっているかもしれませんよ。
ちなみに わがふるさとでは、折口さんが書かれているように、海に
通じる川の淵に、そんな機屋があったという伝説が伝わっておりまし
た〔近づくなと、古老に、いわれてましたよ〕。

そんなおはなし思い出しながら、星空のもと、いまから その川の淵
にいってみようと思っております。


◎ さて本日の七夕。あなたの地方では  は、見えましたか。

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