神君、伊賀越えといえば。
幾多の戦国時代を扱った大河ドラマといえば、本能寺の変そし
て家康の伊賀越えというのが定番ですが、 そんな神君家康の
伊賀越えに関するお話の付け合わせとして、2016年分です
が、ご参考までによろしかったら。
↓
『本能寺の変といえば、伊賀越えですが。/2016年分』
大河ドラマで戦国ものといえば、本能寺の変”が つきものなの
ですが、その場面でかならずとりあげられるものに家康の伊賀
越えのおはなしがあります。 → 伊賀越えについてはこちら。
![浄土2](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/52810ae858ea59950c44a9737ac56b59b4612123.08.2.9.2.jpeg)
と いうことで前回の浄土寺の本殿から左手に進み、件の閻魔
様の前の路地を抜けて一つ木通りにでてそのまま道なりに坂を
上がると、すぐに目にはいるのが、こちらの看板。
![鈴ふり9](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/abd3e239a0e8e1e8877ef697b3e17bdfe4c03056.08.2.9.2.jpeg)
[伊賀越え所縁の鈴を祭って創建されたという説がある]鈴降
稲荷さまの場所を示す看板です。
![鈴ふり7](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c0eb34c562fec9b06731b81820b4cbff162a7872.08.2.9.2.jpeg)
道から左手に曲がった先にあるのが、一畳ほどのこじんまり
とした鈴降さまのお社。お社のわきには、この稲荷の由緒が
書かれた看板があり、この看板曰く
![鈴ふり3](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b51829f41464787a33f5b1144370c587333e0129.08.2.9.2.jpeg)
・・・・一説には天正十年織田信長本能寺の変に遭いし折、京
阪にありし徳川家康急遽三河に帰らんとて、伊賀越えの際山中
にて道に迷いし時、遥かに鈴の音が聞こえるので、その方向に
たどりつくと観音堂あり堂主山名孝倫なる者がいて之を迎え厨
子の中より三箇の鈴を取り出し家康に献じ、且つ付近の住民を
集めて道案内と警護をしつつ伊賀の白子に出、舟にて海路浜松
へ帰ることが出来たという。
家康は、此の恩義を徳とし、江戸幕府を開くや、孝倫はじめそ
の折の郷民を江戸に召して四谷に地を給し、これを伊賀同心組
とした。よって彼等は一宇の祠を建て、さきの鈴を神鈴として
鈴降稲荷と号し伊賀組の鎮守とした。
とのこと。![鈴ふり2](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/34492c2197fa01beab6f3d0e4139dde8e280d784.08.2.9.2.jpeg)
そのような看板の説明をあたまのなかででなんども反復し、
いまはいったいどうなっているのかしらん などと、現在の
神鈴のありかなどを思いながら、とりあえずお社の鈴をなら
してお参りし、そのあと通りのほうに退出し・・・
きた道を逆に帰って、路地のほうから浄土寺の境内に進みつ
つ・・・閻魔さまとお地蔵さまに鈴のありかや、ひいてはこ
との真実をおたづねする のが、最近の赤坂散歩時の定番と
なっております/笑。
今回の大河ドラマの真田丸での、内野聖陽さんの演じる
家康のばたばたの伊賀越えは、個人的には大好きでした。
ハマカーンの浜野半蔵、ドラマ後半もどんどんでてきて
ほしいです。
「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜 」
のの
幾多の戦国時代を扱った大河ドラマといえば、本能寺の変そし
て家康の伊賀越えというのが定番ですが、 そんな神君家康の
伊賀越えに関するお話の付け合わせとして、2016年分です
が、ご参考までによろしかったら。
↓
『本能寺の変といえば、伊賀越えですが。/2016年分』
大河ドラマで戦国ものといえば、本能寺の変”が つきものなの
ですが、その場面でかならずとりあげられるものに家康の伊賀
越えのおはなしがあります。 → 伊賀越えについては
![浄土4](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/90da30d7ba6f4c52203e2db169fddc72797577d5.08.2.9.2.jpeg)
![浄土2](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/52810ae858ea59950c44a9737ac56b59b4612123.08.2.9.2.jpeg)
と いうことで前回の浄土寺の本殿から左手に進み、件の閻魔
様の前の路地を抜けて一つ木通りにでてそのまま道なりに坂を
上がると、すぐに目にはいるのが、こちらの看板。
![鈴ふり10](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/1c8a851945e0705a65906e9804480ff663db54a5.08.2.9.2.jpeg)
![鈴ふり9](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/abd3e239a0e8e1e8877ef697b3e17bdfe4c03056.08.2.9.2.jpeg)
[伊賀越え所縁の鈴を祭って創建されたという説がある]鈴降
稲荷さまの場所を示す看板です。
![鈴ふり7](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c0eb34c562fec9b06731b81820b4cbff162a7872.08.2.9.2.jpeg)
道から左手に曲がった先にあるのが、一畳ほどのこじんまり
とした鈴降さまのお社。お社のわきには、この稲荷の由緒が
書かれた看板があり、この看板曰く
![鈴ふり4](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b4839195d3aec3a51cfec8edce1003a3fec01641.08.2.9.2.jpeg)
![鈴ふり3](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b51829f41464787a33f5b1144370c587333e0129.08.2.9.2.jpeg)
・・・・一説には天正十年織田信長本能寺の変に遭いし折、京
阪にありし徳川家康急遽三河に帰らんとて、伊賀越えの際山中
にて道に迷いし時、遥かに鈴の音が聞こえるので、その方向に
たどりつくと観音堂あり堂主山名孝倫なる者がいて之を迎え厨
子の中より三箇の鈴を取り出し家康に献じ、且つ付近の住民を
集めて道案内と警護をしつつ伊賀の白子に出、舟にて海路浜松
へ帰ることが出来たという。
家康は、此の恩義を徳とし、江戸幕府を開くや、孝倫はじめそ
の折の郷民を江戸に召して四谷に地を給し、これを伊賀同心組
とした。よって彼等は一宇の祠を建て、さきの鈴を神鈴として
鈴降稲荷と号し伊賀組の鎮守とした。
とのこと。
![鈴ふり2](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/34492c2197fa01beab6f3d0e4139dde8e280d784.08.2.9.2.jpeg)
そのような看板の説明をあたまのなかででなんども反復し、
いまはいったいどうなっているのかしらん などと、現在の
神鈴のありかなどを思いながら、とりあえずお社の鈴をなら
してお参りし、そのあと通りのほうに退出し・・・
![鈴ふり1](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/bb5edbcbde813ef1f10ed1d5bba6e8a60b11d6c9.08.2.9.2.jpeg)
![鈴ふり8](http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/5c6fd0c575d9592f86b7319b3d4384c8087582e2.08.2.9.2.jpeg)
きた道を逆に帰って、路地のほうから浄土寺の境内に進みつ
つ・・・閻魔さまとお地蔵さまに鈴のありかや、ひいてはこ
との真実をおたづねする のが、最近の赤坂散歩時の定番と
なっております/笑。
![晴れ 晴れ](https://plaza.jp.rakuten-static.com/img/user/emoji/h044.gif)
家康のばたばたの伊賀越えは、個人的には大好きでした。
ハマカーンの浜野半蔵、ドラマ後半もどんどんでてきて
ほしいです。
![51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/82/0000939082/17/img08aa0f02zik7zj.jpeg)
のの