なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

マイウェイ

2009-06-06 16:36:26 | Weblog
 「マイウェイと言えば・・・もし直訳すれば「我が道をゆく」になるでしょう。
 しかし、言葉として「マイウェイ=我が道をゆく」より「マイウェイ=フランク・シナトラ」となりそうだし、ちょっとした宴会で、カラオケタイムに「艶歌」ではなく洋物傾向の人でのどに自信がある人などが選びそう。
 そういう時、酒も飲めず歌も余興もダメな私はひたすら料理待ちですし、料理のお皿が出尽くしてしまうと手持無沙汰で困ってしまうので、ちょっと中座して外の風にあたりに行ったりします。
 宴会のキセルです。
 話を戻して・・・
  子供の頃の記憶で言うとマイウェイで、黒い噂でほされぎみのフランク・シナトラが復活したような気がしていましたが・・・何分子供の頃に記憶なのでパソコンで調べてみました。
 その辺りの事情ははっきりしませんが、ともかくこの曲はフランスの曲で原題を直訳すると「いつものように」となるらしい。
 これにポール・アンカーが詩をつけたのだそうです。
  いろんな人が歌っているようです・・・詩とか歌手の力は勿論、タイトルの「マイウェイ」と言う言葉の持つ力もあるような気がします。

 囲碁で「マイウェイ」と言えば・・・よくプロの先生が「アマの方も、教科書的なものを鵜呑みにしないで自分の打ちたい所へ打つようにして・・・」というアレもマイウェイなんでしょうね。
 言葉通り直訳すれば確かにマイウェイです。
  但し王道であれ裏街道であれ、でこぼこ道でも曲がりくねった道であってもそれが自分の道であると信じることができればマア「マイウェイ」には違いない。
 但し困ったことに、本人は予測できないけれど、その道には先に乗り越えられないような障害物が待ち構えていたとしても、あるいはやがては崖で道が無くなっていたとしても・・・他人には予測が出来ても本人は疑うことも無く「マイウェイ」だと信じていたりすることでしょうね。
 
 思いつきですが一つ、こんなテキストがあったらと言う思いつきがあります。
  よくプロ棋士の打ち碁を題材にした一手毎の解説がついたテキストとか小冊子があります。
 これを素人が解説するのはおこがましいので、まず題材をそこそこの棋力のアマの対局とします。
 まあ元棋譜そのものがまずは素人版「マイウェイ」。
  そこに別のアマチュアが自分の考えで解説等を入れます・・・これは手の解説と言うより「自分の好みではこう打つに違いない」というスタンスで話を進める。
 これが第二の「マイウェイ」。
  (さらに県の代表クラスの方の話を入れるかどうか・・・これを入れると煩雑になるかも知れないので難しい)
 更にプロの立場で「絶対的な評価」[場合の手としての評価」「手の成立する場合の条件」「考え方についての説明」「棋士の先生自身が手を選ぶとすれば」などの話・・・。
 そういうもので一局の話をまとめれば「マイウェイ」のそれぞれの一局が出来そうだと・・・昼寝をしながら考えた話に皆さんを付き合わせてしまいました!!。
 

やや不快

2009-06-06 03:49:43 | Weblog
 「不快」な感じと言っても、もしかしたら私だけが感じるのかも知れませんから、「不快ならどうなんだ」と言われてしまえばそれまでの話です。
 でも、例えると、電車の中の携帯電話で通話は「迷惑」と言う面があるのですが、これが若い女の子などが化粧をしていた場合には、その彼女の精神構造と言うか周りを気にしない精神力と言うかそう言うもの考えますが、それは「迷惑」と言うより(嫌ならそれを見なければ好いわけで)どちらかと言うと「不快感」の方です。
 電車の中での化粧と言う行為と、化粧品独特の臭いが嫌いなのです(特に人のおおぜいいる場所での臭いが・・・)
 マア本人は気にしてないと言うより、自分にとっては良いと思っているのでしょうね・・・そこがスゴイところですが。

 話は深夜の囲碁観戦です。
  久し振りにパンダに行きました。
 午前3時ですから、この時間に「お客」で賑わっているのはここだけですから、「草木も眠る丑三つ時はパンダに限る?」とマアそんな感じです。
 入場してまずは対局一覧表から、対局者の棋力が私と同じかやや上で、進行手数がなるべく少ない対局を探して入場します。
 運良く手数が1手目の対局を発見して観戦しました。
  但し観戦した時には既に5,6手進んでいます。
   まあ序盤で1手から6手ですから進行は充分分かりましたが・・・それにしても打つ手が早い!!。
 時間の条件を見て驚きました。
  何と1/25なのです!!。
 つまり1分で25手打つのですから1手平均が2秒強。
  これではダルマさんの「笑ったら負けよアップップ」ではないけれど、「考えたら負け」みたいな条件です。
 考えずに条件反射みたいに打つ練習なのでしょうか?
  そう言うことに意味があるのか無いのか?・・・特にアマにとって。
   いやアマですから意味など好いのですが、少なくとも1,2秒で打ち続けるゲームが楽しいのでしょうか?疑問。
 打っている本人が感じることで・・・見ている私がどう思おうが関係ないのですが・・・。
 でも、何だか自分が大事にしているものを軽視されているみたいで、勝手に「不快感」
 まあ、私がゆっくり時間をかけて立派な碁を打てるわけでもありませんが・・・

 ところで、この対局は85手あたりで白番の人の時間切れ負けでした。
  流石に序盤の捻じり合いで考えるところがあったに違いない・・・そうなると1手2秒では難しいはず。
 なんだか、時間切れで負けると言うことは「まとも」な感覚のような気がします。
 この1分で25手と言うペースで最後まで打てるとしても・・・そう言う碁って??。
 尤もこの対局を見ていた私も、やはり変な人種かも。