なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

悩める?観戦

2009-06-18 18:26:02 | Weblog
 右に行くべきか左が良いか?、イヤ、ハムレット調で「生きるべきか死すべきか」実戦ではなかなか決めにくいことが多い。
 実戦では、勿論対局者自身が悩みに悩むだろうし、時間に追われてどこかで結論を出さざるを得ないこともあります。
 ですから、実生活で嫌なことを先送りし、逃げまくって生きていられるのに、囲碁は人生の縮図みたいなところがあるので、方策を立てて何かを実施(あるいは放置し)結論が待っている。
 それがつらいゲームでもあるし、反面それが面白いゲームでもあると思います。
  こういうことは対局していれば、ほぼ毎局直面するのですが、対局者でなくても、観戦でもある程度は体験させて貰える。
 実際にはそう言う気分にならない対局もあるので、ある程度対局者的気分を味あわせて頂ける対局を見せて頂けると、ありがたいと思うのです。

 私にとって感染していて難しい対局は、概ね「淡々とした進行」で「寄せ合い」の勝負みたいな一戦です。
 勿論これは、私にとって相当に難しいと思う。
  囲碁では、結果的に勝負はつくわけですから、淡々とした進行と言えどもどこかに勝負どころがある・・・はずです。
 その勝負所に敏感であるかどうか、流れを変えていくような力があるかどうか・・・その辺の自信は全く無い。
 要するに結果的に状況を数字で考えることがヤヤ(同じような棋力の人の中では)得意技だと考えていますが、しかし、これはあくまでも結果の状況把握であって、状況を作り出す力では無いところが、棋力的に及ばないところです。
 いずれにしても、こういう剣客がにらみ合ったまま動けないようなイメージの碁は苦手を通り越している。

 やや分かりやすいのはやはりアマチュア的な戦いの碁です。
  少なくとも戦いでは部分的の場合もありますが、結論は出しやすい。
 それでも悩む時もあるから困ったものです。
 例えばある局面で、野次馬としてはA-B-Cのような手順で進むと思ってみていると、必ずしもそうはならないこともあります。
 こういう時に例えばCと言う手が初めに打たれると、C-B-Aとなるとは限りません。
 むしろ予想とは全く別な道を辿ることになります。
  そういう具合に両対局者による戦いが進行していくと、野次馬としてはなんだか置き去りにされたような気分になるのです。
 まあ野次馬を置き去りにしようがしまいが対局者の勝手ですが、野次馬としては「どうして予想と違う展開なってしまったのか?」非常に不安な気がします。
  予想が勝手読みだったのか、あるいはどちらかに偏った考え方だったのか?案外悩むものです。
 これはリアルなら当然局後にインタビューしたいところです。
  ネットではそうもいきませんから、やり残した宿題が溜まっていくような・・・マア、でもそういう予想外なことが多いから囲碁は飽きないのですね。