なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

見えないものを見る修行?

2009-06-20 13:42:27 | Weblog
 「にんじん物語」という話があります・・・本は読んだことがありませんが、だいたいの筋書きは知っている。
 女の子ではシンデレラにしても白雪姫も、男の子ならニンジンみたいに兄弟姉妹と差別される話。
 子供時代に父が映画・それも洋画が好きで、映画館の新しい映画がかかると、私はそういう気分を味わったような思い出があります。
 実際には両親に差別されていたわけでは無いのですが・・・映画以外のことでは姉たちは弟である私に両親が甘いと思っていたので、両親にとってはバランスをとっていたのでしょう。
 つまり、当時封切られた外国映画に両親は姉たちを連れて行くのですが、私は常に「留守番」役なのです。
 映画館には早い夕食をとった後、夜の部に行くのですが、5人兄弟で長女と長男は既に働いていてその時間には帰っていません。
 次女と三女を連れて行くので・・・残されるのが末っ子の私一人。
  これって逆みたいな気がします・・・一番ちびの私が残される・・・毎回。
 (だから姉たちは「旅情」とかオードリ・ペップパーンのでてくる映画は殆ど両親と見ている・・・それに対し私は看板でしか知らなかったし、後に「懐かしの名作映画」でしか知らない。まさに「懐かし」であり「恨めし」ですね。)
 
 昔は家族が出かける時に「留守番」という役が必要だったのか、防犯上今より危なかったのか分かりませんが、鍵を掛けて家を留守にするより、出来るだけ留守番を置いておくことが多かったように思います。
  盗まれるような骨董品も財産も無いし、重要な連絡が来るとも思われないのに誰かが家にいなくてはいけない理由はないのですか・・・
 ともあれ、市のはずれの方にある町内ですし、夜ですから静かで暗い。
  家の中の電灯を全てつけても寂しい。
 洋画ですからラブシーンなどがあるので小学校の低学年の男の子に見せ宅は無かったのかも知れないし、ストーリーを理解出来ないだろうと思われていたのでしょう。
 それに長い時間映画館にいると必ず頭が痛くなる体質だったので、連れて行かなかったのでしょう。
 ですから、どうせ連れて行って貰えないのなら、留守番でいくらかこずかいの割り増しを貰う方を選択・・・子供としては開き直っているのですが、大人には分かっていたでしょうか?

 こういうとき一人でやることは、まずは本を読む・・・本に飽きたら・・・行者のような修行?があります。
 暗くて寂しいのに敢えて家の中の電気を全て消します。
  そして部屋の真ん中にローソクを1本立てて火を付けて、この火をメートルくらい離れたところから見つめる・・・
  誰かに教わったわけでは無いのですが、神経を集中すると普段見えないものが見えてくる修行だと思っていたのです。
 ローソクの炎に集中、ゆっくり揺らめく炎を見つめます。
 どういう根拠なのかなど考えずに、何も見えてこないのは修行が足りないせいだと思っていました。
 さてさて、子供が闇の中で目を細めてローソクの火を見詰めるなんて、滑稽と言えるか、何やらオカルトじみて怖いでしょう。
 夜の留守番は子供には怖かったかも知れませんが、自分が怖い存在になれば他に怖いものが無くなると言う様な感じもあったかも知れません。
 さてさてここで何かが見えたのなら、今頃私は常人の人生では無かったはずですが、残念ながら何も見えませんでした。

 残念ながら常人以下かもしれません。
  碁盤を見ていて、自分が対局している局面で、誰の目にも見えている筈の手筋なのに見えない場合がある。
 マア、見えないと言うのは例えで、正確には「見えている筈なのに理解出来ない」と言うのが正しいかも知れません。
 プロの先生なら、いくつも石が無い盤面から、かなり先の光景をイメージできるのでしょう・・・それも何通りも。
 それがプロ修行の結果と言うか、そう言うことが出来なければプロにはなれないのでしょう。
 と言うことは、アマである私がそういう事が出来なくても恥ずかしくはないとして、問題は先のことでは無くて、今起きているいる結果としての盤面の状況が分からないのが悲しい。
 盤面はそこまでの「結果」であるはずです。
  そこから現在の状況を理解して、将来の展開を模索して手だてを考える。
 そう言うことが完璧にできれば・・・かなりの打ち手になれそう。
  悲しいかな、多分結果としての現状把握の盤面が見えていない。
 子供の頃、見えないものを見ようとしたなんて滑稽ですね・・・今でも見えているはずのものが見えていないのですから。