なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

石を握っていません

2009-06-14 11:20:00 | Weblog
 久し振りにネットで打ちましたが、これが6月に入って2局目。
  碁会所などで1日7,8局打つ人もいるのですから、比較したら何たる事『そんな事で碁キチと言えるか!』みたいなものです。
 それでも、対局数は少ないものの観戦数を入れれば碁キチの仲間にはなれそうな気はしています。
 ともかく久々の1局。
  対局から遠ざかっていたのは、囲碁とか仲間とかに問題があったわけではありませんで、単に疲れ気味なので観戦はともかく自分で打つほどには棋力が充実していなかっただけのことです。
 マア素人が棋力の充実を言うのもおかしいですが、でも「打ちたい」と思った時にネット上に仲間(自分で思っているだけですが)が待っていてくれている時は自然の流れみたいに対局ができます。
 ところが打ちたいと思った時に、丁度好い手合い範囲の相手がいないと打ちそびれてしまいます。
 丁度好い手合いと言うのは人それぞれでしょうが、私は普段2子の範囲で考えています。
 勿論3子以上でも打たないことはないのですが、その場合は点数と関係ない対局ならOKと言うことです。
 私は3子以上でも勝負にこだわりたいような悪い癖が出そうになる時がありまして・・・つまり無理をし過ぎそうになります。
 白番ですと、きちんと対応していく中で黒さんに不備があれば咎めると言う本筋の打ち方ができないと言うか、白の立場の方が先にしびれを切らすと言うか、怪しげな手で訊いてみたくなったりしてしまいます。
 それは成功しても逆に黒さんにとがめられたにしても白としてはちょっと恥ずかしい気がしまして、その点2子なら「勝負」として打てそうな感じがしているからです。

 さて久しぶりの対局は見事に打ち取られてしまいました。
  やはり対局数の差による勝負勘と言うか、目配りが違うようです。
 それは当然ですね人の碁を見ているのと打つのでは違うはずですし、実戦によるとトレーニングと言うことも言えるでしょう、強いてマイナス点があるとすれば、打ちなずんでできた慣れ(水垢みたいに気付かないうちに溜まっている悪い癖があるかも知れません・・・)くらいのもので、差し引きすればやはり普段対局している方に軍配が上がります。
 それなら、もっと打てば良いだけの話なんですが、そこが「気力」と言うかパトスと言うか。

 ところでネットで久し振りなのですから、リアルからはかなり遠ざかっています。
 碁会所は何年も言っていないし、K畑師匠とかN西大先生がいるセンターにも顔を出していません。
 センターなどはすぐ横を通ることもあるのですが・・・
  素通りと言えばコミュニティの囲碁クラブのある囲碁将棋室は図書館に行く時は同じ建物ですから、顔を出すか出さないかだけのことなのに、あと10メートル化20メートル歩けば良いのに、そこがかなり遠い距離になっています。
 リアルの方は久し振りに打つとすると、最後のダメを詰めて作るところがたぶん不自然と言うかぎこちなくなっているでしょうね・・・石を最後に握ったのは何年前でしょうか?。