なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

常識範囲内か、過剰反応か

2009-06-15 18:15:37 | Weblog
 結論から言うと、どうも私には音に弱いところがあります。
  TVなどは必要最低限のボリュームで聞くのが最適だと思っていますが、それだと同室にいる家族が会話をしたりすると、即影響を被ってしまいます。
 そう言うことが繰り返されると、もう番組を見る意欲が半ば以上失われる。
  だったら、ボリュームをもう少し上げれば良さそうなんですが、快適なボリュームと言うものがあるので、そうはいきません。
 家族から見れば気難しいオヤジなんでしょうね。
  だから、私だけはイヤホーンで聴いて、家族はフリーの音声で聞くことができれば良いし、音声が私に向かって狭い角度で進んで来るのでも良い。
 自分の部屋でパソコンでCDを見る時などはイヤホーンを使います。
  これは自分以外の人に関係のない音声を流さないためで、自分が聞かされることが嫌なのでその裏返しです。

 マア、そうは言っても細かなことに気を使っていたら生活がしにくい。
  通常の生活音ならば大丈夫ですし、むしろ電車の音などのリズムのある音は多少大きくても気にならない・・・と言うことは気になる音と気にならない音の選択あるです。
 囲碁で言えば、碁笥の石をかき混ぜたり、数子を手にとってガチャガチャされるのはダメで、最も弱いのが鼻歌での同じメロディのリフレイン。
 鼻歌氏にとっては同じメロディの繰り返しがそれこそリズムに乗っているということでしょうが、聞かされる当方の思考回路破壊でもある。
 こういう鼻歌を聞かされると「相手はそんなに景気が良いのか?」と要らぬことを感じたりするので、何重にもダメスパイラルに入ります。
 アマチュア同士の対局場合、こういう状況は注意すればその時は治るはずです、しかし本人が無意識にやっているのですから必ず復活してしまいます。
 その都度注意すれば良いのですが・・・結局は注意する方も「神経が細かい」みたいに思われてしまうのです。
 対策はガンとして「嫌なものは嫌だ」と言うか、あるいはそういう人とは対局を避けて、近くにも寄らないことでしょうね。
 こういうのって、自分の性格で「世の中を狭くしている」ことになるのでしょうか?

 ところで暑い時期が本格的に始まりますが、、、ここからが近所の音の問題が発生する時期でもあります。
 私の部屋の斜め下方向約15メートルに防火水槽があります。
  コンクリートで覆われていますから大きなコンクリートのベッド状ですので、腰掛けるのにも丁度好いし、暑かった日の夜などはここで寝転がるとひんやりして気持ちが良いらしい。
 そう、若い人たちが夜中に集まる場所になりますから、本人たちは小声で話しているつもりですが、これが案外周りに響くのです。
 何の話かは分からないまでも、音としては耳につく・・・ましてや深夜。
  あまりにひどい時、あるいは私が忍耐出来ない時は外に行って注意をせざるを得ない・・・マア、今のところ反発とか逆切れが無いのが救いですが、深夜1時、2時に外に注意しに行くこと自体気持ちが疲れます。
 ところで、注意しに行くのがいつも私だけ!?
  アレッ!?他の家では気にならないのだろうか?それとも皆もう眠っているのでしょうか?

 音声被害と言えば私の部屋の下の防火水槽だけで無くて、息子の部屋から約10メートルくらい離れた所のベンチも最近の発生源。
 ここは植え込みとか、芝生の小さなマウンドで囲まれたベンチで、構造から案外1回の人には影響が少ないのかも知れませんが、夜中の話声は上に上がって来るようです。
 ここは若い男女らしい。
  マア、愛を囁いているのでもなさそうですが、どうでもよい世間話を夜中にやらなくても良さそうなのに・・・。
 加えて火のついたタバコを投げ捨てるらしい・・・これは私の機嫌の悪い時なら消火のためにバケツで水を撒きたくなりそう。
 これも、他のご近所さんはどう思っているのでしょう?
  私だけが過剰反応なのか?
 それともこの程度のことは我慢しなくてはいけないことなのでしょうか?
  はたまた、「文句を言う役は小うるさいオヤジに任せてけ」なのか。


石を握っていません

2009-06-14 11:20:00 | Weblog
 久し振りにネットで打ちましたが、これが6月に入って2局目。
  碁会所などで1日7,8局打つ人もいるのですから、比較したら何たる事『そんな事で碁キチと言えるか!』みたいなものです。
 それでも、対局数は少ないものの観戦数を入れれば碁キチの仲間にはなれそうな気はしています。
 ともかく久々の1局。
  対局から遠ざかっていたのは、囲碁とか仲間とかに問題があったわけではありませんで、単に疲れ気味なので観戦はともかく自分で打つほどには棋力が充実していなかっただけのことです。
 マア素人が棋力の充実を言うのもおかしいですが、でも「打ちたい」と思った時にネット上に仲間(自分で思っているだけですが)が待っていてくれている時は自然の流れみたいに対局ができます。
 ところが打ちたいと思った時に、丁度好い手合い範囲の相手がいないと打ちそびれてしまいます。
 丁度好い手合いと言うのは人それぞれでしょうが、私は普段2子の範囲で考えています。
 勿論3子以上でも打たないことはないのですが、その場合は点数と関係ない対局ならOKと言うことです。
 私は3子以上でも勝負にこだわりたいような悪い癖が出そうになる時がありまして・・・つまり無理をし過ぎそうになります。
 白番ですと、きちんと対応していく中で黒さんに不備があれば咎めると言う本筋の打ち方ができないと言うか、白の立場の方が先にしびれを切らすと言うか、怪しげな手で訊いてみたくなったりしてしまいます。
 それは成功しても逆に黒さんにとがめられたにしても白としてはちょっと恥ずかしい気がしまして、その点2子なら「勝負」として打てそうな感じがしているからです。

 さて久しぶりの対局は見事に打ち取られてしまいました。
  やはり対局数の差による勝負勘と言うか、目配りが違うようです。
 それは当然ですね人の碁を見ているのと打つのでは違うはずですし、実戦によるとトレーニングと言うことも言えるでしょう、強いてマイナス点があるとすれば、打ちなずんでできた慣れ(水垢みたいに気付かないうちに溜まっている悪い癖があるかも知れません・・・)くらいのもので、差し引きすればやはり普段対局している方に軍配が上がります。
 それなら、もっと打てば良いだけの話なんですが、そこが「気力」と言うかパトスと言うか。

 ところでネットで久し振りなのですから、リアルからはかなり遠ざかっています。
 碁会所は何年も言っていないし、K畑師匠とかN西大先生がいるセンターにも顔を出していません。
 センターなどはすぐ横を通ることもあるのですが・・・
  素通りと言えばコミュニティの囲碁クラブのある囲碁将棋室は図書館に行く時は同じ建物ですから、顔を出すか出さないかだけのことなのに、あと10メートル化20メートル歩けば良いのに、そこがかなり遠い距離になっています。
 リアルの方は久し振りに打つとすると、最後のダメを詰めて作るところがたぶん不自然と言うかぎこちなくなっているでしょうね・・・石を最後に握ったのは何年前でしょうか?。

 
 

勘違い

2009-06-13 16:31:25 | Weblog
 何かをやろうとする時に、初めの一歩を踏み出すことが出来さえすれば成功の確率が高いような気がする時があります。
 例えがあっているかどうか自信がありませんが、我が家の息子の場合には得意科目と苦手科目の差が激しくて中高時代は苦労したようです。
 彼の苦手科目は私・父親の得意科目で彼の姉の得意科目でもあるからこれは心理的プレッシャーになったようです。
 そう、彼は数学が苦手、逆に語学系は得意。
  得意と苦手でプラスマイナスゼロで良いではないかとも思うのですが、語学の方は苦手でもそこそこ点数が取れるのに比べ、数学の方は○か×かの違いしかないところがあります。
 対策は単純でその苦手科目の勉強をするしかない・・・それしかない。
  私が思うには、それを好きになるのが最も早い確実な対処法の第一歩なのですが、どうやら息子を見るに心の中にブロックがあるようで、見たことが見た通りに伝わっていないようなところがあるようでした。

 私は子供時代算数とういう科目が好きでした。
 中学に入ってすぐに躓いた時がありますが、マア図形問題が好きになって克服できたようです。
 物事を論理的に考える、正しい道筋を数式で表す、結果として正しいか間違っているかのどちらかしかないと言う潔さ?・・・そういうものが好きだった。
 当時の私は国語などで説明問題で、半分くらい正しいから半分の配点と言うやり方が嫌でした。
 特に「作者はどう思ったと思いますか?」のような問題で自分なりの感じたことを書けば良いと思われるのに、それに正解とか間違いがあるのに不満でした。
 あることに同じ反応をしなければ間違いと言うやり方に疑問だったのです。
  マア、子供でしたし、問題として「何を要求されているのか?」とは考えなかったのですね。

 話が変わりますがその息子の少年時代に野球のチームに入っていまして、同じチームにT君と言う上手な子がいました。
 上手と言いましたが、実は私から見ると勘違いなのです・・・
  例えば彼は内野手なので、守っていてゴロが来るわけですが、確実に補球してアウトにできそうな打球にしか反応しない・・・捕球に行ってはじいたりしそうな、ギリギリのプレーは初めからやろうとしないのです。
 そういう判断を事前に出来ると言うのも一つの才能かも知れませんが。
  ともかく、結果だけを見れば綺麗に補給して確実にアウトを取るプレイしかないのですから、彼は上手いように見える。
 逆にともかく全力で守備の練習をするタイプは、常にチャレンジですから失敗も多いので、結果としては下手に見える!?
 何の為の練習かまるで取り違えているらしいし、そう言うことへの評価もおかしいのです。
 そして何より本人が「周りに評価されることしかやらない」とか「成功する姿しか見せない」・・・失敗を極度に恐れているのでしょう。

 さてさて、囲碁では思うように勝てなくても「好きだ」という気持ちに揺らぎが無いのは不思議ですね。
 勝ったり負けたりで半分勝てればそれなりに満足出し、結果以前に打てること自体がうれしい。
 そういう意味では学科みたいに点数で評価されたら好きになれない人も出てくるでしょうし・・・

 そう言えば囲碁のような1対1で行って、勝敗がついて、しかもその勝敗の原因が運の作用よりも本人の責任範囲のものが多いとされるゲームを好まない人がいるように思えます。
 失敗する可能性のあるプレイには参加しない。
 例えばある段級に成れたとして、それより上の人から見れば下になる・・・
  そう言うことに拘るところが気になるのかも知れないし、初めに初級者の時点で多少はコンプレックスみたいな気分を味わうに違いないと予想してしまうのかも知れません。
 私はその点単純だったのでしょう、「囲碁が好き」「囲碁が面白い」それだけ。
  
 生活をしていればいろんな勘違いはあるでしょう。
 勘違いをしてはいけない勘違い。
 勘違いをしていなければ生きにくい勘違い・・・。

 

キセル観戦?

2009-06-12 19:08:33 | Weblog
 昨日は観戦していて、局面の流れから勝手に結果を想定して対局室を中座しましたが、夕食を食べてパソコンで他のことをしてからネット碁に戻ってみると、残念!対局は終わっていました。
 対局が終わっても、誰か対局室に残っていれば、その部屋は閉じられていないので結果を知ることができるし、初手に戻って再現も出来るのですが、誰もいないとなると部屋が閉じられてしまうので結果が分かりませんでした。
 それで、もしやと思って検索したのが「観戦履歴」。
  自分の観戦した対局が直近の一定対局数が自動的に記録されている場所です。
 それをのぞいたのですが
  ここは最後まで観戦した対局だけが記録されている場所でした。
 考えてみればナルホドですね。
  ちょこっと観戦で数手だけ覗いた対局なども全て対象にしたら、すぐに観戦対象が一杯になってしまいそうですから、一応最後まで観戦した対局だけが対象になっているようです。
 観戦していた対局が終局を迎え、「○番の3目半勝ちです」と言うように結果が表示される時に、これは両対局者が承認したことでもあるはずなので、こういう時に観戦履歴に移行するようなスイッチが入るのでしょう・・・と想像。

 ところで、ネット碁入場者一覧表を見ると、その白番の人が載っています。
  点数はと見ると・・・例の対局の時と変わっていない。
 と、言うことは例の対局は何らかの理由で打ち掛けになったか、あるいは白さん敗戦後に超特急で一勝を稼いだかのどちらかです。
 白さんの日頃の打ち方からすると、超スピードの1勝は考えにくいので、やはり「打ち掛け」のような気がします。
 いずれにせよ、観戦もキセルみたいに最初と最後だけみたいなズルはしにくいようです。

 さて今日は職場でちょっと恥ずかしい思いをしました。
  いや悪い事とか、チョンボがばれたとかではありません。
 今職掌している窓口業務のことに関して、お客様からの質問とか、普通では考えられない物事の進行とか、細かな法解釈とかをパソコンの中にメモっておいたものを今日プリントしました。
 大した話ではありませんが、約2年の間に経験した事、問題点などを記録したものです。
 まあ、仕事仲間に知識として共有して頂ければ少しは役に立つかも知れないし、最低暇つぶしにはなるかも知れないメモです。
 「○○メモ」ですねと言われましたが、「マア、窓口業務ブログ」みたいなものですよと、やはりテレてしまいました。
  

顔で笑ってサービス残業

2009-06-11 18:51:36 | Weblog
 私の仕事先はさして大きくない出先機関で、その中でもこじんまりした課に属しています。
 そしていくつかある課の仕事とはほとんど関連しない内容・・・と言うことは現実にどういうことが起きるかと言うと、今日のように課のメンバーが外で調査活動をしている時、残りのメンバーが別室で会議中だったりすると、私の仕事時間が終了しても「お先に!」とは言いにくい。
 近くの課の人に「私が帰ると誰もいなくなりますが宜しくお願いします」と言うことは少しためらわれる。
 いや、賃金を頂いている労働者としては、もっと割り切ってもクレームはないはずなんですが・・・でも言いにく。
 
 もしも定時に帰ったとして、家までの帰り道は近くて遠いから2,3か所はひっ借りながら帰るに違いない。
 それは今日で無くてはいけないものは、無い。
  そう言うところに寄らないとしたら、おそらくネットで観戦か「久し振りに一局お願いします」になるはずです。
 であるならば、ちょっと我慢すれば良いのかなと考えてしまいます。
  残ったからと言って、やらなくてはいけないことがあるわけでは無くて、せいぜい電話の見張り役程度ですから、残ったからといって役に立つかどうかは・・・マア、他の課の人から見れば安心かも知れ無い程度。

 ともかく今日は約1時間サービス残業・・・サービスですから手当などはありません。
 「あいつは時間が来れば周りの状況は関係なくさっさと帰るヤツだ」と言われないだけの話ですから、それだって帰る方にルール違反があるわけでなし、要するにささやかな自己満足のためです。
 それでいて帰り道の自転車が少し重くて『もうこんなサービスはしないぞ!』と走りました。
 職場では顔で笑って心で泣いて・・・
  でも、さっさと帰って来たとして・・・それでは気持ちよくネット碁を打てそうもないから仕方ないですね。
 帰って来てネットで序盤だけは観戦しました。
  
 そして、ブログを書いています。
  なぜそういう風にしたかと言うと・・・観戦した碁で白さんの打ち方に問題があると思ったのですが、もしそうならブログを書き終えた頃再度観戦に戻った時に、おそらく白さんは地合い不足になっているだろうと予測したのです。
 私の予想ではそのまま進行すれば白が地が足りない、あるいは白が勝負に出ているか、あるいは黒が大チョンボをすれば逆転しているか・・・さてどういう風になっているでしょうね。
 デハ再度観戦に行って来ます。

「海の都の物語」

2009-06-10 12:55:14 | Weblog
 何時に頃からか塩野七生さんの書くイタリアとか地中海方面の歴史の本が好きになりました。
 初めは確か「コンスタンティノーブルの陥落」だったと記憶している。
  そして次に「ロードス島攻防記」、さらに「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」という長いタイトルの本を読んだ辺りでは塩野さんのファンになっていたと思います。
 私としては中国関係の本では陳瞬臣さん、イタリア・地中海方面では塩野さん、と言う感じでしょうね。
 だから1993年に「ローマ人の物語」のシリーズが始まると待ち切れずに買ったものです。
 これは3か月おきくらいに出版されましたが、ハードカバーの読み応えがある本なので期間としては丁度良かったかと思います。
 本の値段もそれなりにしたので、毎月の出版で無かったのが幸いしたかも知れません。
 但し、いくらファンになったとしても一つの本を何十回も読むわけではないし、人に貸すことも無いだろうと思いますので、自分にとってはハードカバーである必然性は無い・・・これが図書館用などでの利用ならハードカバーの方が適しています。
 そう、個人での読書ですからソフトカバーで充分だし、その分安くなれば嬉しいと思ったのです。
 ともあれ、この本のシリーズは2006年に完結。

 さてすく実の話になります。
 昨日書いたように、慣れないウォーキングで表を歩きまわって疲れ果てましたが、マア、訪問先との時間調整でリサイクルショップだとかワンフロアー式の本屋さんなどを覗くことが多い。
 昨日も訪問先に予告しておいた時間にかなり早く着いてしまったので、その事務所の背中あわせにある郊外型ワンフロアーの本屋さんで時間調整をしました。
 ここで面白い囲碁の本にでも出あえれば最高の時間調整ですが、そうは問屋がおろしません。
 ともかく、サッカー関係の週刊誌が発売日なので購入(息子のダブル心配があったのですが、心配が的中)。
 文庫本の平積みコーナーを何気なく見ると「海の都の物語」が並んでいる。
  それがⅠ,Ⅱ、Ⅲと並んでいる。
 これはたしか読んだことがある本のタイトルではあるけれど、何だか懐かしい感じがしたし、もう一度読んでみたいと思いました。
 裏を見ると1冊400円。
  確かに薄い本で、全6冊になるはずなので全部をまとめた1冊分と比較すればこんなものかなとはとは思います。
 本を目方で買うわけではありませんが、貧乏性なのでついつい気になります。
  せっかく3冊並んでいるので取り敢えず3冊買いました。
 時間調整だか買い物だか分りませんね。
  
 今日水曜日は生活習慣病の定期検査、それと歯科大での治療・・・それ以外には用事が無いのでひたすら昨日の疲労回復。
 要するにじっとしてパソコンを覗くか昨日買った週刊誌と塩野さんの本を読んでいます。
 習慣病の尤も効果的な対処方法は、運動はともかくカロリーをとり過ぎないことと塩分を控えること・・・要するに「べからず」を守らなければいけない。
 つまりじっとしているのは「得意」ではあるけれど煩悩的ひとつづつはささやかな欲求の耐えることが肝心なので意外とこの病気との戦いは苦しいものがあります。
 苦しいと言っても勿論痛いもわけではありませんが、「好きな時に好きなように出来ない苛立たしさ」に耐える・・・オーバーに言えばそうですね。
 「痩せの大食い」が羨ましい。
 「水を飲んでも太る」ような健康的?体質に生んでくれた親を恨みます!?。

バテル曜日

2009-06-09 17:30:09 | Weblog
 管轄地区の事務所周りをするスケジュールがありまして、課員が二人一組で相手を変えながら週に1回は立ち入り調査をすることになっています。
 年間目標に沿って向こう10か月近いスケジュールが出来ています。
  マア相手さんの都合もあるので予定通りにはいかないでしょうが、ともかく週に1回はバスと電車と二本の足で動く日があると言うことです。
 その予定表を見ると、皆何も言いませんが何やら私・ジイサマに配慮してくれているような気がします。
 と言っても、毎週のメンバーからは抜いてくれませんが・・・
  私の出掛ける日は常に火曜日になっているようです。
 これは私の平日の休日が水曜日なので、火曜日に疲れても水曜日で回復する時間をもらっているような気がします。
 但し裏読みすると「水曜日が休みだから火曜日には目いっぱい動け!」のような気もします・・・その確率は相当高い。

 と言うことで、今日も立ち入り調査に行って来ました。
  衰えた足で過重な体を運ぶのですから大変です。
 「膝の調子が万全では無いのですか?」などといたわって?くれますが、ナニ重い体を運ぶには足のパワーが不足しているし、日頃ろくに歩いていないので慣れないウォーキングに足がびっくりしているだけです。
 それに昔の脳梗塞の後遺症と言うか、足の運びが不自然な自覚がある。
  それでも、ダメジイの烙印を押されないように必死の頑張りですから、まさに顔で笑って心と体は泣いています。

 こういう日は勤めからの帰り道の半ばを過ぎたあたりから、スタミナ残量の黄色点滅を感じます。
 要するにバッテリー切れ寸前ですから、ここで無理すると電池切れとか低血糖寸前になりそうなので、火曜日の帰り道は平均よりゆっくりで慎重に自転車を走らせます。
 これも何回かやって来たので体と気持ちが多少は慣れて来たようです。
  今後の予測では、この慣れでやっていけそうと見るか、今後の体力微増のためにも週にもう一回くらいは自主トレをすべきか・・・
 やった方がいいに決まっているのですが、やらなくても良いと言う理由を必死に探しています。
 ともあれ火曜日の夜はよく眠れるので、観戦はお休みです。
 

天下五目

2009-06-08 18:44:11 | Weblog
 「天下五目」、なかなか堂々とした響きがあります。
  「碁盤に5子も置き石を載せれば、相手がプロ棋士であろうとそうは簡単には負けませんゾ」という気持ちが出ているようです。
 実際にはアマ・ザルの大勘違いであるのですね・・・その勘違いに気がつけば多少は進歩したと言うことでしょう。

 初めて私が「天下五目」なる言葉を目にしたのは、かなり前ですが棋院の発行している雑誌か何かの囲碁雑誌の付録かは定かではありませんが、ともかく「別冊囲碁」のような小冊子だったと思います。
 骨子としては・・・たぶん初段くらいの棋力の人が5,6段クラスに5目置くようなイメージだと思います。
 「白からのカカリヲ無視して大場に先行する、仮に2隅を制されても残り2隅を確保し、天元を生かせれば間違いなく勝てる!」ような作戦だったと思います。
 確かに、書いてある通りに事が進めば間違いなく黒の勝利であろう。
  ところがここに大きな落とし穴があるような気がします。
 どんなに良い作戦でもそれを実行し遂行する力・棋力が伴わなければ作戦を現実にには出来ません。
 それと「これだけ置けば負けるはずがない」あるいは「置き石が地になれば地合いで負けるはずがない」と言うような心理と言うか囲碁感から抜けないといけないことが肝心だろうと思うのです。

 私の実戦の5子局(私が5子置いて教えてもらいました)はあのゼイ・ノイ九段です。
 私の場合は地で勝とうと言う気持ちはありませんから、序盤から置き石の優位性を信じて戦闘開始です。
 しかし、相手は流石のゼイさんで、ほぼノータイムで打ち返してきます。
  二面打ちで教わっていましたので、多少黒の方が時間の余裕はありましたが、手が進むにつれ私の方が押されぎみで小考を繰り返します。
 先生はと言うと、たまに小首を傾げる程度・・・
  今にして考えると「黒のあまりのヘボさ加減が不思議だったのでしょうね」
 ともかく先生は自分の形を崩さず、黒におかしな手があれば突いてくる打ち方なので時間が要らなかったのかも知れません。
 要するに白から崩すまでも無く、黒が隙だらけだったわけです。
  尤も置き石の5子と言うのが当時の私には荷が重かったのかも知れないので、5子戦での評価と言えるかどうかはわかりません。

 話が変わって、夕べは早い夕食を食べて・・・転寝をしました。
  但し起きたのが寄る11時で4時間は眠っていたし、ベッドで横になっていたのですから、本番の睡眠だったようです。
 睡眠時間4時間以上ですから1日の必要睡眠時間の半分以上をとってしまいましたので、さて夜中に暇をもてあましそうです。
 お風呂に入ってからネット碁の観戦、これが深夜の2時。
  流石にネット通りも人通りが少なくて、対局一覧表では置き碁が多い時間帯です。
 要するに多少の点数差があっても、相手が少ないので置き碁もOKと言う感じの時間です。
 さて観戦したのは5子局。
  私などはネットでの5子局はちょっと怖くて打てません。
 点数制度ですから適正なハンデのはずですがそれでも怖い。
  最初に白が一手目をうつ時に震えてしまいそう・・・打つ場所が見つからない感じです。
 そうは言っても打たなくては始まりませんから、初めの数手は目をつむって飛び込むような感じです。
 どこへ打っても潰されるような・・・さりとて余りにアザトイ手は打てないし。

 さて観戦の5子局の黒氏、まさに「天下五目作戦」で二隅で白に両カカリを許している・・・まさに絵に描いたような天下五目の立ち上がりですが、でも
  決定的な場面を見逃している・・・
  生きている石に手入れをするようなところがある・・・
  千手で切り上げるところと、後手でもキチンと打つところの区別が・・・
 全く野次馬は人の欠点とか失敗には気がつくものです。
  私が黒で打てばきっと観戦の人たちがヤキモキしながら観戦していることでしょう。
 ともあれ「天下五目」はなかなか難しいのです。

 「5つも置けばどう打っても黒に地が多くつく」と何となく思いがちですが・・・
 私、若い頃K畑先生に鍛えられていた頃のことから考えると・・・結局「天元の石が戦闘に参加し、力を出せれば黒の勝ち」と言うような評価だったでしょう。
 先生の場合は特に、現実に地が残ったかどうかより「天元の石が生きていたかどうか」の方を見ていたようです。
 天下五目も地で勝つことを考える前に、天元が大事でしょうね。
  マア、そうは言っても結局は地の多い少ないで勝負が決まるので地を考えないわけにもいかないし・・・

食いしん坊

2009-06-07 16:59:43 | Weblog
 以前・・・かなり昔だったでしょうか「食いしん坊バンザイ」と言う番組がありましたね。
 バリトン歌手でNHKの歌番組などに出演してたことがあったので声と顔は知っていましたが、民放での「食いしん坊」の方は番組名はと出演していることは知っていましたが、実際には見たことがありませんでした。
 パソコンで調べると第三代の司会者で、1979年から1981年まで出演していたとのこと、その後病気で若くしてなくなられた。
 番組は見ていませんが「料理の司会の番組の苦労話」はどこかで聞いたことがあります・・・マアこのあたりの年は、私の長女が生まれた頃でしたがまともの時間に家に帰らなかったこともあって、TVは殆ど見ませんでしたので、所謂知識だけで実際には見ていません。
 TVと言えば平日の朝のニュースと天気予報、土日の夜遅い番組くらいで野球のナイターもほとんど見ていない時代です。

 それなのに「食いしん坊バンザイ」と「友竹正則」さんの名前は記憶に残っています。
 それは私も子供時代から「食いしん坊」と言われ続けてきたからなんですね。
 先日職場の若い同僚と話していてドジョウとかザリガニの話になって・・・私が子供の頃には「横の川で捕まえたドジョウを七輪で焼いてタレをつけて食べたとか、池でザリガニを捕まえて塩茹でにして尾の部分を食べたとかの話で驚かれてしまいました。
 もし今でもこれをやれれば案外隠れグルメかも知れませんが、要するに当時はおやつなどろくにない時代でもあったわけで、私とその悪がきグループはお腹がすいたのを我慢していなかったと言うことです。
 初夏なら海で貝を掘って食べるのは当たり前でしたし、岸壁で小魚を釣っている時にお腹がすけば魚を手で裂いてs海水で洗って食べたものです。
 真夏ならテトラポットのある所を潜ってワタリガニ(当地ではガサミと呼びましたが)を手で捕まえたものです。
 これは海岸の砂浜で流木を集めてたき火をして、太い針金を使って蟹のバーべキュウでした。
 そういう身近なもので、新鮮なものをその場で食べる習慣とそういう味が記憶に残っているためでしょうか、最近の「料理番組」を見てもそれほどは心が動きません。
 
 但し「食いしん坊」的精神は残っていて、例えばスーパーの生鮮売り場で食材を探すのにジイサマとはいえ心が引けるようなことはありません。
 ポイントは安くて旬なものを美味しく食べること。
  これは年をとっても、いや年をとるほどこういう欲求は強くなるようです。
 おいしくてもびっくりするような値段ではいけません。
  例えばサンマなら規格外のサービス品とか、肉などもセールとか・・・
 冬なら開いて干物なども作りますし、肉類なら燻製。
  今は煮卵とか卵の燻製。
 ともかく食い意地が張っているだけですが、家族も自分たちの分も作るのなら文句も言わないようです。
 (本当なら材料費の補填が必要なのに・・・)
 まあ、素人なので多少は作るたびに味が変わるので、その批評は遠慮がありません。

 さてそういう趣味?もあるので、仕事の帰りにスーパーなどの食材コーナーを覗くのは好きですね。
 特に必要が無くてもいろんな食材、いろんな調味料を見て回るのも好きです。
  ネットで夜中に囲碁を打ったり観戦しながら燻製を作ったり・・・
 そう言うことで囲碁と食べ物に関する好奇心がもしかして、生命力と言うと大げさですが、生活するエネルギーになっているかも知れません。
 「食いしん坊バンザイ」なのでしょう。
  
 
 

マイウェイ

2009-06-06 16:36:26 | Weblog
 「マイウェイと言えば・・・もし直訳すれば「我が道をゆく」になるでしょう。
 しかし、言葉として「マイウェイ=我が道をゆく」より「マイウェイ=フランク・シナトラ」となりそうだし、ちょっとした宴会で、カラオケタイムに「艶歌」ではなく洋物傾向の人でのどに自信がある人などが選びそう。
 そういう時、酒も飲めず歌も余興もダメな私はひたすら料理待ちですし、料理のお皿が出尽くしてしまうと手持無沙汰で困ってしまうので、ちょっと中座して外の風にあたりに行ったりします。
 宴会のキセルです。
 話を戻して・・・
  子供の頃の記憶で言うとマイウェイで、黒い噂でほされぎみのフランク・シナトラが復活したような気がしていましたが・・・何分子供の頃に記憶なのでパソコンで調べてみました。
 その辺りの事情ははっきりしませんが、ともかくこの曲はフランスの曲で原題を直訳すると「いつものように」となるらしい。
 これにポール・アンカーが詩をつけたのだそうです。
  いろんな人が歌っているようです・・・詩とか歌手の力は勿論、タイトルの「マイウェイ」と言う言葉の持つ力もあるような気がします。

 囲碁で「マイウェイ」と言えば・・・よくプロの先生が「アマの方も、教科書的なものを鵜呑みにしないで自分の打ちたい所へ打つようにして・・・」というアレもマイウェイなんでしょうね。
 言葉通り直訳すれば確かにマイウェイです。
  但し王道であれ裏街道であれ、でこぼこ道でも曲がりくねった道であってもそれが自分の道であると信じることができればマア「マイウェイ」には違いない。
 但し困ったことに、本人は予測できないけれど、その道には先に乗り越えられないような障害物が待ち構えていたとしても、あるいはやがては崖で道が無くなっていたとしても・・・他人には予測が出来ても本人は疑うことも無く「マイウェイ」だと信じていたりすることでしょうね。
 
 思いつきですが一つ、こんなテキストがあったらと言う思いつきがあります。
  よくプロ棋士の打ち碁を題材にした一手毎の解説がついたテキストとか小冊子があります。
 これを素人が解説するのはおこがましいので、まず題材をそこそこの棋力のアマの対局とします。
 まあ元棋譜そのものがまずは素人版「マイウェイ」。
  そこに別のアマチュアが自分の考えで解説等を入れます・・・これは手の解説と言うより「自分の好みではこう打つに違いない」というスタンスで話を進める。
 これが第二の「マイウェイ」。
  (さらに県の代表クラスの方の話を入れるかどうか・・・これを入れると煩雑になるかも知れないので難しい)
 更にプロの立場で「絶対的な評価」[場合の手としての評価」「手の成立する場合の条件」「考え方についての説明」「棋士の先生自身が手を選ぶとすれば」などの話・・・。
 そういうもので一局の話をまとめれば「マイウェイ」のそれぞれの一局が出来そうだと・・・昼寝をしながら考えた話に皆さんを付き合わせてしまいました!!。
 

やや不快

2009-06-06 03:49:43 | Weblog
 「不快」な感じと言っても、もしかしたら私だけが感じるのかも知れませんから、「不快ならどうなんだ」と言われてしまえばそれまでの話です。
 でも、例えると、電車の中の携帯電話で通話は「迷惑」と言う面があるのですが、これが若い女の子などが化粧をしていた場合には、その彼女の精神構造と言うか周りを気にしない精神力と言うかそう言うもの考えますが、それは「迷惑」と言うより(嫌ならそれを見なければ好いわけで)どちらかと言うと「不快感」の方です。
 電車の中での化粧と言う行為と、化粧品独特の臭いが嫌いなのです(特に人のおおぜいいる場所での臭いが・・・)
 マア本人は気にしてないと言うより、自分にとっては良いと思っているのでしょうね・・・そこがスゴイところですが。

 話は深夜の囲碁観戦です。
  久し振りにパンダに行きました。
 午前3時ですから、この時間に「お客」で賑わっているのはここだけですから、「草木も眠る丑三つ時はパンダに限る?」とマアそんな感じです。
 入場してまずは対局一覧表から、対局者の棋力が私と同じかやや上で、進行手数がなるべく少ない対局を探して入場します。
 運良く手数が1手目の対局を発見して観戦しました。
  但し観戦した時には既に5,6手進んでいます。
   まあ序盤で1手から6手ですから進行は充分分かりましたが・・・それにしても打つ手が早い!!。
 時間の条件を見て驚きました。
  何と1/25なのです!!。
 つまり1分で25手打つのですから1手平均が2秒強。
  これではダルマさんの「笑ったら負けよアップップ」ではないけれど、「考えたら負け」みたいな条件です。
 考えずに条件反射みたいに打つ練習なのでしょうか?
  そう言うことに意味があるのか無いのか?・・・特にアマにとって。
   いやアマですから意味など好いのですが、少なくとも1,2秒で打ち続けるゲームが楽しいのでしょうか?疑問。
 打っている本人が感じることで・・・見ている私がどう思おうが関係ないのですが・・・。
 でも、何だか自分が大事にしているものを軽視されているみたいで、勝手に「不快感」
 まあ、私がゆっくり時間をかけて立派な碁を打てるわけでもありませんが・・・

 ところで、この対局は85手あたりで白番の人の時間切れ負けでした。
  流石に序盤の捻じり合いで考えるところがあったに違いない・・・そうなると1手2秒では難しいはず。
 なんだか、時間切れで負けると言うことは「まとも」な感覚のような気がします。
 この1分で25手と言うペースで最後まで打てるとしても・・・そう言う碁って??。
 尤もこの対局を見ていた私も、やはり変な人種かも。

イルギュラー!?

2009-06-04 18:40:09 | Weblog
 今日はまさに「それではお疲れ様、お先に」と言う時間の5分前に!!
  何と「すみませんが、明日朝にに申請者に渡さなければならない証明書がるのですが・・・」という「待った!」がかかってしまいました。
 「すみませんが」付きではあっても「否や」はあり得ないわけで・・・
  どうせやらなければいけないのですから、ここは冷静に「ハイ、いいですよ」
 我ながら好い人ですが、他に選択肢が無い時に悪い人になって粘ってみたところで仕方がない・・・このあたりはかなりスムースに切り替わります。
 尤も証明書の作成は1件では無くて2件
  一人で2件の申請でしたので、それぞれに検査済の合格証が必要。
 これを少し厚手の用紙に印刷して、合格証の印などが入るとそれなり・・・それらしくなります。
 マアそのために少し気を使って丁寧に作成して、一字一句のミスも無いようにチェック・・・当然とはいえこういうところに神経と時間が必要。

 そういうわけでいつもより45分は帰りが遅くなりました。
  現実にはパソコンの前に45分余計にいただけなのですが、意外と+アルファーの疲れがあるようです。
 帰ろうとした時に引き止められると、その分余計に仕事時間が増えるので多少は疲れが増えるのは当然ですが、それよりも「突然予定が変わった」という精神的なイレギュラーが大きいような気がします。
 尤も、それでも真っ直ぐに家に帰らずに、途中で本屋さんとCDレンタルショップに寄るところなどは私らしいとは言えます。

 ところで「帰ろうとしている人を引きとめる」話
 碁会所などで、何局か対局をして、そろそろ家での夕食時間なのでかえろうかなと思いつつ、やや中途半端な時間なので少し観戦でもしようかなとしている人が居たとします。
 こういう人は体は碁会所にあり、目は他人の対局を見ているのではあるけれど気持は「そろそろ帰ろうかな、どうしようかな」という微妙な状態にあるらしい。
 私の知り合いのK見さんはこういう人がいると、声をかけることにしているのだそうです。
 彼が言うには「こういう人は一旦気持ちが対局モードから切れているので、普段よりパワーダウンしている」のだそうです。
 現実に彼はそう言うところで勝ち星を稼ぐのを得意としている・・・

 さて、仕事の方はどういう状態でもキチンとしなくてはいけないわけだけれど・・・やはり「もう少し早く言って下さいよ」だろうナ。
 
 

 
 
 

怪我勝ち

2009-06-03 19:13:50 | Weblog
 今日は久し振りにネットで打ちました。
  3週間以上はリアルもネットもご無沙汰してしまいまして、本当に久しぶり。
 囲碁も自転車の運転とか水泳並みに、一度覚えれば病気でもない限り忘れはしないでしょうが、それでも不安。
 スポーツだって暫く実戦から離れれば勝負勘みたいなものが鈍くなるでしょうから、ちょっとしたミスはやりそうです。
 本来五分五分になるようにセットされているはずのハンデ戦のはずですから、このちょっとしたミスの積み重ねが致命傷になりかねないのです。
 そういう意味でも復帰後の第一戦は御相手へのサービスゲームと割り切っていくしかありません。
 本当は所謂勘を取り戻すまでの数戦はそんなようなものでしょうが、ともかく一戦だけで復帰のご挨拶を済ませてしまおうと言う厚かましさでもあります。

 そうそう、自転車などは一度覚えればその後はずっと乗れると言いましたが、乗れるか乗れないかはそうですが、バランスよく乗るとか、速く走るとかいったものは若い人にはかないません。
 あまり良い事ではありませんが、若い人たちなどはハンドルから両手を離してもバランスを保って走れるのですが、私などはとても試す気にも成れないくらいバランスには自信が無い。
 囲碁のブランクもそのようなもので、打ってみなければどうなるかわかりませんでした。

 内容は短気な急戦を避け「ゆっくりゆっくり」と自分に言い聞かせて打ちました。
 ともかく急戦では、久しぶりなのでちょっとしたミスをしやすいし、その影響が大きいだろうと・・・
 その甲斐あってか、運良く地合い有利で終盤となり、逃げ切ることができました。
 まあ、最後の方は何回も数え直しました。
  ところで、勝敗には関係なかったのですが、久しぶりの影響はあったようです。
 打つところが無くなって「終局要請」をしたのですが、このソフトではかけ目の所をきちんとダメ詰めをして置いて貰わないとパソコンがかけ目も地と認識してしまうのをうっかりしていました。
 その場合は、一旦終局状態になっても「終局」に同意せずに対局再開をしてもらいカケ目を埋めてもらえば良いのですが、そのこともうっかりして終局。
 ですから実際より2目違いましたが・・・マア結果に影響が無くて良かったです。
 ともかく3週間ぶりの対局でした。
  なんだか相手に申し訳なかったような・・・運良く勝ったのだと思います。

飴玉恐るべし

2009-06-02 18:28:20 | Weblog
 今朝のTVで見た最新の便利グッズ。
  上半身にセンサーを取り付けて体の細かな動きも感知するのだそうです。
 パソコンのキイを叩く動きでさえ察知してこれを運動によるカロリー換算をするのだそうです。
 従来は万歩計のようなもので1日の目標歩行歩数で考えていたものが、ストレートに「今日の消費カロリー」で表示される。
 ですから、1日の摂取カロリー目標が2500カロリーのところ、その日は消費が2440カロリーの場合は、夕食で何か少し控え目にすることで調整することが出来る。
 何とも細かにコントロールできるようになったものです。

 私の場合も本当は目標カロリーのようなものがあるはずですから、このような器具を利用した方が良いとは思うのですが・・・
 尤も、お医者様も「目標××カロリー厳守」みたいな言明では無く「ともかく今より体重を落としなさい」なので、ここまで細かなチェックは不要のようには思う。
 ただ、お医者様にしたら「この患者はきちんとした指示をしたところでドウセ守らないであろう」と考えている節があるので、とりあえず方向性だけを指示したのかも知れません。
 あるいは、もしかしたら細かな指示を受ける人に比べて緊急性が高いのかも知れません・・・

 ともかく、体重を落とすことを指示されています。
  従って糖分になるようなものの摂取をコントロールすることと、その消化を阻害するとか遅らせるような薬を使っています。
 体の機能で、インシュリンの出が悪いらしいので・・・この薬のコントロールが誠に微妙のようです。
 効かなくては困りますが、効きすぎても困るを通り越してやや危険なこともあるようです。
 運動しすぎの低血糖状態・・・これは食品摂取とか、運動量などのバランスが関係しているらしい。
 それと薬と食品も相性があるらしい・・・ともかくこの種の薬を飲んだらグレープフルーツは厳禁・・・過剰反応するらしい。
 らしいと言うのは・・・私は臆病なので、この薬を飲むようになってからグレープフルーツとは縁がないので、自分の体で実験したことはない。
 
 低血糖状態になると、スーッと体内の電圧が下がるような脱力感があったり、冷や汗をかいたり寒気がしたりします。
 今日の仕事帰りにこれに近い状態になりました。
  仕事の帰りに真っ直ぐ家に帰るのを潔し?としないせいか、今日も帰り道に寄り道。
 地下にある店の階段を下りて行く時に低血糖状態に近い感覚を自覚しました。
  「脱力感・寒気・冷や汗・無気力感」
 どうも今日の午後に「事務所の立ち入る調査などの用務のため歩いたことが引き金になっているらしい。
 疲労感+低血糖感
  そう言えば今日の昼の弁当は苦手なおかずが2つもあったので、メインの総菜はパスしたしライスも半分も食べていない・・・。
 そう言うことが重なる時は重なるものです。
  カバンの中に緊急対策用の顆粒状の糖のパックがあるので心配はないのですが、たまたまポケットに飴玉が2個入っていましたので、まずは飴玉から。
 飴玉恐るべしと言うか、何とか体がストップモーション状態にはならずにすみました。
 ヤレヤレ、薬は効かなくては困るけれど効きすぎても危険。
  運動は必要ですが程度が問題
 カロリーの取りすぎは厳禁ですが、取らないのも危険。
  要するに微妙なバランスで生活しているのだといことを再認識させられました。