「多様性」は「多様な個性」と考えてみる
以前にも「多様性」について書いたが、今回は「多様な個人」につ
て考えてみた。本来、多様性は「人にはいろんな考え方がある」「
自分とは違うもの」と理解できればよいのであって「受け入れるこ
と」はないと今は思っている。なぜなら、多様性を「受け入れる」
には、荷が重すぎるからだ。また「多様性」と言うより「多様な個
性」と言ったほうが、なんとなく、わかり易く私にはしっくりくる。
そもそも人間の個性は多様である。
しかし「受け入れること」はできなくても、「そこにいる」「そこ
にある」ことなら認めることができるかもしれない。自分の「中に」
受け入れるのではなく、自分の「外に」置いておく感じである。
例えば、「私はその考え方は好きじゃないけど、そういう考え方もあ
るね」「なるほど、あなたはそう考えるんだ。私はこうだけど」ある
いは「今まで、私はそんな考えをしたこともなかったけれど、確かに
そういう視点もあるよね。良い悪いは別として」のように、視点が広
がる感じである。
「多様性」とは「無条件に受け入れる」ことではなく、だからといって
「排除する」ことでもない。様々な個性や価値観を排除せずに「そこに
いてもいいよ」とすること「考え方は違うけど協力できることは協力し
よう」それが「多様な個性」ではないかと私は思っている。
しかし、組織やチームで働くためには、目標に向かって共通の理想や価
値観を抱きながら「一人一人の個性は違うけれど理想に向かって協力で
きることは協力しよう」という多様な個性が一つの場に集えることが大
切である。この「多様な個性」と「一体性」や「包括性」の関係につい
ては、次の機会にでも考えてみることにしよう。