こちらのBBCののニュースなどにも出ているが、ペルーのフジモリ元・大統領が日本を出国し、チリヘむかったがすぐに身柄拘束され、ペルーの当局者と今現在交渉が行われているらしい。
私はついこの間、この人が長く日本にいることに関して疑問を呈するエントリーを書いたのだが、このニュースを聞いてまたしても複雑な思いがするのを禁じえない。
それともう一つ、つい先ほどホワイト・バンドの売り上げの一部がある基金に寄付されるという報道もあった。
もちろんフジモリの場合も、ホワイト・バンドの場合も「私の声が届いた」などということはないであろうが、自分が問題提起をしている人たちの一部に加わったかもしれないぐらいのことは思ってもいいのではないだろうかなどと思ったりする。
しかしどうも考えさせらてしまうのは、自分は自分なりに問題提起したのであるけれども、いっこうに問題は片付かないどころか、問題そのものが消し去られてしまった、ということになってしまったようで非常に歯がゆい気持ちが強い。
たとえば私は野田聖子の選挙公約に疑問を呈したが、その後しばらくして、その公約の一部は消されてしまい、他の部分についても批判しだしたところ、ついにはサイト全体が消されてしまった。
この場合は私の批判を「かわそう」、あるいは私の批判の根拠を消してしまって、私がまるで根拠がない批判をしているかのような印象を国民に与えようとしているのではないかと思われるが、ただ単に野田聖子だけではなくて、もしかして世の中全体で一般的にネット上の批判に対する「かわしかた」のようなものが出来上がりつつあるような気がしてどうも釈然としない。
野田についてはここで多くは書きたくないが、私は別に郵政民営化に賛成しろ、といったのではなく、反対するなら、反対するできちんと分かりやすく説明した上で自民党からでて批判してほしいというつもりで書いたのだが、最近の動きに関してはどのように自分でとらえてよいのか難しい部分もある。
いずれまた野田についてはあらためて書くかもしれない。
もちろん私の意見など別に誰にも強制するわけではなくて、自分としてはこうした点が疑問である、ということを書いているだけなのだが、どうも世の中全体の動きというのは自分の疑問を解決してくれるように働いてくれることはなくて、自分が呈している問題が次から次へと消え去ってしまうようなきがして仕方がないのである。
逆に言うとこうしたことがあるので、取りあえずある時点における自分の疑問なり意見なりを書いておいて違う局面が現れた段階であらためて自分のブログを見るということもそれなりに意義があることになるということもあるだろう。
しかし、非常に自分が危惧していることはたとえばフジモリに関して報道されているところでは、日本出国時にはホテルに滞在していたらしいし、チリへは羽田からチャーター機で向かったらしい。
隠し資産があるとかいろいろなことがこの人の関しては言われているが、隠し資産もなくてどうしてこのようなことができたのかとか、日本政府が具体的にどのような援助なり保護をこの人に対して行っていたのか、たとえば要人警護のSPはつけていたのかとか、などなどいろいろな疑問が、この件が次の段階に移ったことで吹っ飛んでしまうような気がして仕方がない。
ホワイト・バンドに関しても今ある程度の寄付をすればそれですむような問題なのかなどいろいろ疑問はわくが自分は当事者ではないのでなんとも言いようがない。
フジモリに関する疑問は本当にたくさんあって、たとえば日本政府が再三の身柄引き渡し要求を拒否して約5年間も滞在させたことには問題がないかどうか。
親類の方も日本にいられるわけだし、状況が変わったからと言って、手のひらを返すような対応をすることなどは自分もよいことだとは思わない。
しかし、元・大統領だからと言って手厚く保護するというのはあまりよいことではないだろう。
かりに保護するにしてもどのような状況でどのように保護などをしていくら税金が使われたのかなどといった情報が全くないままうやむやになったらそれはよくないと思う。
文中敬称略