今日ある店で隣りに座った女性がいろいろなものを机の上で散らかしていた。
自分よりちょっと若いぐらいの人だろうか。
肌は過ごし浅黒くて、女性にしてはがっちりした体格の人だった。
黒くて大きいボストン・バックに散らかした物をしまいこんで立った姿を見るとなにかの制服らしきものを着ていた。
きっとこれから夜勤なのだろう。
それもたぶん女性にとっては少し肉体的にきつい仕事なのだろう。
うちの母の知り合いの娘さんが以前大学生の頃のバイトで、やはり夜のきつい仕事をしていたと聞いたことがある。
でもそれを長く続けられる人はそう多くは無いはずだと思う。
たぶん今日はそういう人のうちの一人とすれ違ったのだろうと思う。
こういう言い方も失礼になるかも知れないけれど、どんな人でもみなそれぞれ自分の世界というものを持っているはず。
一生のうちに出会える人の数はそう多くは無くて、自分が知りえることはこの世の中のほんの一部に過ぎない。
今思い出したが、木村拓也が同い年のいろいろな職業の女性と二人だけで語り合う番組をやっていた。
木村拓也がその女性にインタビューする形で、それぞれの職業の苦労話などを訊いていて、それなりに面白かったが、インタビューされるほうも全くの素人が多かったけれども中にはすでに有名になっている人もいた。
テレビだし、顔と名前も出てるし、短い時間で他人の職業や内面についてどれだけのことがきけるかということはかなり限界があるだろうと思われるが具体的なことは忘れてしまったものの、それなりに面白かった記憶がある。
あるプロバイダのサイトで編集者が有名人と会って、毎回インタビューしてそれをブログにまとめているのがあるがはっきり言ってつまらないことこの上ない。
いかにも役者さんのプロフィールを調べてそれをまじめになぞってる感じでほとんど意外性や驚きのようなものが自分には感じられない。
木村拓也の場合にはいろいろな職業の人にインタビューしている点が面白かったのだけれど、面白かった点の一つはあまり予備知識など無く、なんでもざっくばらんに尋ねている点が面白かった。
もちろん木村拓也が素人の人と話しているということ自体が面白いことこの上ないわけだが、きちんと受け答えしてた人たちもなかなかすごい人たちだったと思う。
だいたいプロフィールや他のインタビューなどを見てからインタビューするのであれば、あらためてインタビューする意義というものがあまり無くなってしまうのではないかと思う。
本当に面白いインタビューというものがあれば、もしかしたらあまり世間の注目をあびない分野で絶対にメディアにでない人にインタビューするのが面白いのではないかと思う。
むろんそういうインタビューのようなものを集めた本もあると思う。でも今日隣り合わせた女性と話すとしたらどんな会話が成り立っただろうかなどと考えてみるのも空想ではあるが面白。
むろんテレビなどで見る実際のインタビューにしても必ずしも真実を伝えてるとは限らないし、一回や二回あったぐらいでその人の考えや気持ちなど本当に分かるわけではないかもしれない。
テレビでもネットでもいろいろ伝えることに関して自分は疑問を抱くことがあるのは、きっとこの人が言ってることには違う部分があるはずだなどと思うからである。
それが本当はもっとこの人は奥深いものをもっているはずだと思える場合と、この人は見かけほど有能な人ではないはずだと思う場合があって、そう思う基準のようなものはほとんど「かん」になっているように思う。
前者は後者に比べ圧倒的に少ない。でもそういう少ない人に自分はどんな形であれめぐりあって行きたいと思っている。
自分がそうでないからこそそう思っていることは断わるまでもないけれどこれも一種のゴーマニズムかも知れない。
インタビューというのはもちろん「される側」だけでなく「する側」もそれなりのものを持ってないとただでさえ表面的なものがさらに表面的なものになってしまいがちだと思う。
インタビューなんて所詮そんなものかも知れないし、インタビューといっても時間などの種類によって千差万別ではあるけれど、ノンフィクションの優れたものの多くは、山際淳司のそれのように理想的なインタビューが元になってできているのではないだろうか。
今日はここを見てくれている古くからの友人ともすれ違って、もしかして話してくれそうだったけれど結局すれ違っただけで終わってしまった。
そういうわけで私は話しだすとやたら長いので、またいつかぜひいろいろ教えてください。
ここなどの反応も最近心配ではあるけれどまた感想聞かせてね。