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歳暮や電話のよしあし

2005-12-31 00:09:29 | クダ

今日は自分のところへ歳暮が一つきた。

小学校一年の頃からの友人で夏と冬には何か贈ってきてくれるのだが、こちらは世話になりっぱなしで申し訳ないなといつも罪悪感に駆られている。

夏の時期に素晴らしいジュースを贈ってくれたので、非常にうれしかったことを述べたところ今日もまた送ってきてくれた。


自分は特にこうしたものを贈られる義理はないと思うのだが、「もういいです」とも言えないような感じだ。

もしかしたらそういうことは言ったのかも知れないが、いずれにせよ贈ってきてくれているのでありがたく頂戴している。


しかし歳暮のたぐいというのも贈るほうも贈られるほうも実はかなりめんどくさいもので、特に自分の親は自分が学生時代、勝手に自分の担任などにいろいろものを贈って、この先生はもらったとか送り返したなどとわざわざ自分に言ってくるので本当にわずらわしかった。

もちろん物を贈ってそれなりに「効果」があった場合と、全くそんなことはなかったことはなかったかのようにひどいことをされたこともあって、自分はそういうことは決して忘れられないので、いずれ仕返ししてやるつもりだ。

と言うわけでこういう贈り物のたぐいと言ういのはなんらかの「期待」がこめられているので非常に厄介なものだと言うことはたしかであるがそれだけでなく受け取りがめんどくさいということも大きい。


自分の家は「留守」のことが多い。

それもそのはずドアホンがこわれているからだ。

もちろん直すべきだが、ここには書けない理由でわざとほったらかしてある。

しかしこっちの苦労を知らない配達の人は「これ直しといてください」と言ってきたりする人もあった。

そのときはたしかドアを叩いたので気づいたのだと思う。

そのときは「はいすみません」などといっておいたのだが、もちろんほったらかしである。

今日もドアを開けたらその人だった。今日は携帯から電話をかけてきたのですぐにドアを開けたこともあるせいか、何も言われなかった。


こっちの勝手な言い分だが、ようするにドアホンはいらないのかもしれない。

配達する人は携帯をもっているのであて先に電話番号が書いてあれば電話して呼び出すことができるし、それがない場合でもドアを叩けばいいのである。


もちろんうちに来る客がある場合もつく寸前に携帯から電話してもらえばいいだけの話である。


もちろん留守のこともけっこうあって、そういうときに何度断わってもいらないものを田舎から送ってくる人があって一度受け取り拒否にしたことがある。

そうしてもまたいらないものを送ってきて、そのときは手紙が添えてあったが、その手紙は中味の水が漏れてぬれていたが前の受け取り拒否のことがうらめがましく書かれていた。


今日は電話のことについても書こうと思っていたが、いったんここでやめにしてまた機会があれば書きたいが、とにかくいらないものを送ってくるのは非常に困る。

さすがにもう送ってこないが、他の歳暮がとどくとまたあそこから送って来たらやだなと思う。

と言うわけで自分はすごく性格がひねくれているとそういう人からは思われるような人間なのである。