気楽に♪

ゆったりと自然体で、気楽に過す私流・・・  (無断転用禁・著作は放棄せず)

一家四人が?!

2012年05月19日 21時32分23秒 | あれこれ
今日、故郷の友人から電話が来た。

3/11の震災で、息子の家族4人が津波の犠牲になったのだそうだ。

しかも、お嫁さんと孫は、火に焼かれ手足もない状態で見つかったそうです。

看護師している友人は「大丈夫だから顔を見せて欲しい」と
頼んだそうですが・・・

「絶対、見ない方が良いです!」と言われ
顔を見る事はせず、歯型照合で遺体確認をした…と言ってました。

彼女は、いまだに「何で?」と思うそうです。

それは良く解ります。

「何でまた、そこにとどまっていれば助かったのに…」
「何でまた、戻ったのか?!」
「何で、家に戻ったのか?」
「何で?何で?」

そんな事の繰り返しを考えるそうです。

別の友人も、あのひ避難場所にみんなで逃げたのに
そこにまで津波が押し寄せ、一家が全員が流され・・・。

1波の時は浮く事が出来たが、
2波の強い引きで、水中に引きずり込まれ「もう駄目だ!」と思ったそうです。

遠くなる意識の中で、足に何かが絡まってる感じがしたそうです…

気が付くと、自分は木に引っ掛かかっていたそうです。

津波襲来の時は、もう既に4時を過ぎ、雪が舞い始めて
とてもとても寒く、酷い時間帯でした。

そんな凍える中で、必死に家族の行方を捜したら
近くの木に息子が引っ掛かっていたそうです。

手足から血が流れ、自力で降りられない息子を引きずり降ろし
また襲い来る津波の恐怖と戦いながら
ぬかるんで足元がおぼつかない中、必死に逃げたそうです。

全身ずぶぬれで、あの体の芯まで凍える様さ…
もう本当に大変だった!と、数日後に避難所で出会い聞きました。

息子が居たから、生きていける!
そう彼女は言いました。

その後、彼女は全身打撲で病院に行ったのですが
もっともっと酷い患者で病院は溢れ
初日は診て貰う事すら出来ないほど、被災地は酷い状況でした。



彼女の家は、イチゴ農家でした。
イチゴを見ると思いだしてしまします。

私は近頃、震災関連のニュースをあまり見たくありません。

色々な忘れたい事が否応なく蘇るからです。

誰しもが身内を探し、辛い日々でした。

「生き地獄」って、あんな状況を言うのでしょうか…?

右も左も遺体と、壊れた家屋と、原形もとどめない車の山…
そして、妙に乾いた粉塵が舞う被災現場…

日に何度も大地は揺れ、体が均衡を失うのではないかと思うほど。

本当に、早く心の傷が癒され、安心安全な暮しが戻れば良いと願うばかりです。



この石鹸を作ってくれた友人の家も跡形もなく流されてしまいました。

みんな、みんな…あの一瞬で「幸せ」を失ってしまったのです。