『経済ってそういうことだったのか会議』の人頭税の話にはまだ納得がいかない。
租税の三要件、簡素性・公平性・中立性を満たせるのが人頭税だというのだが、
公平性の議論はどうかなと思う。
「がんばる人(=マーケットで価値を生み出している人)ほど損をする税制は理不尽だ」
と竹中平蔵は言う。
稼いでいる人からは取れるだけ取ってなんて、
納税者としての立場からすればバカらしくなるような「財の再分配」は
公平ではないと主張している。
例としてこんな話がある。(『フェアプレイの経済学』からの引用)
100個おもちゃを持っている子供が遊んでいるところを見て、
他の子供の親は我が子がおもちゃを1個しか持っていないからといって
「あんなに持っているんだからとってきちゃっていい」と言いはしない。
言うとしたらそれはおかしい。
多く持っているという理由だけで持ち物を取り上げて、
少ししか持たない者へ分配するのはフェアではないのだ。
また、国からサービスを提供されている身として応益分を負担すると考えるのなら、
皆が同じ額を納めるのが公平だともいう。
例えば国の防衛のような公共のサービスは、個々人が選択して享受するものではない。
「うちはお金払わないから守ってくれなくていいよ」という
主張そのものができないのだ。
だから誰にでも同じ金額を課す人頭税こそ公平という話になる。
しかし、納税義務について一点留保がある。
さすがに、0歳児から死ぬ直前の人間にいたるまで納税させるのは無理なので、
「納税者の年齢は考慮に入れるべき」との発言がある。
実際に人頭税が導入されるのなら、確かに考慮しなければならないことだろう。
ところがその場合、公平性は保証されるか。
応益的負担としての公平性を保つには、
国民は皆すべからく納税すべきだということになるはずだ。
国防の例で言えば、納税年齢を制限することは、
守ってもらっているにも関わらず代金を支払わない(支払えない)人の
存在を認めることになる。
仮に、子供やお年よりの分は払わなくてもいいですよということになれば、
子供が沢山いて、お年寄りを抱えている一家は、
他の納税者の負担に乗っかる分が大きくなる。
フェアでないといって退けたはずの「財の再分配」は、
限定的であるにせよ、認められることになる。
また、所得に占める税の割合も納税者によって異なる。
年収200万の人の納める20万と、年収2000万の人の納める20万とでは、
負担率が大きく違う。
おもちゃの例で言えば、おもちゃを持て余している子供がいる一方で、
一つしかないものを取り上げられる子供も出てくる。
一律同額、なるほどそれは公平だろう。
しかし、「働くことがバカらしくならないような税制」への解答のはずなのに、
持てるもの全てとまでは言わないが、
ごっそりと奪われかねない可能性もあるようでは、
なんのための公平性だか分からなくなりはしないか。
あくまで公平性を尊重して、納税者の年齢制限を行わなかったとしたらどうか。
高収入の人は何も心配することなく結婚して子供を作ることができるだろうが、
収入の低い人は、子供の分の負担を考えるとなかなかそうもいかない。
だとすれば、極端な話、別の税制の外国に人が流出して、
国の競争力が低下することも考えられる。
財の再分配は、市場人から見た場合公平ではないと言える。
自分でプレイしたスコアを勝手に持っていかれるのだ。面白くなかろう。
しかし、厳密に公平性を追求すれば国力の低下を招く恐れがある。
とはいえ公平性のたがを緩めることは、人頭税の存在意義の一部を失うことになる。
本当に人頭税が理想の税制なのか、疑問が残る。
租税の三要件、簡素性・公平性・中立性を満たせるのが人頭税だというのだが、
公平性の議論はどうかなと思う。
「がんばる人(=マーケットで価値を生み出している人)ほど損をする税制は理不尽だ」
と竹中平蔵は言う。
稼いでいる人からは取れるだけ取ってなんて、
納税者としての立場からすればバカらしくなるような「財の再分配」は
公平ではないと主張している。
例としてこんな話がある。(『フェアプレイの経済学』からの引用)
100個おもちゃを持っている子供が遊んでいるところを見て、
他の子供の親は我が子がおもちゃを1個しか持っていないからといって
「あんなに持っているんだからとってきちゃっていい」と言いはしない。
言うとしたらそれはおかしい。
多く持っているという理由だけで持ち物を取り上げて、
少ししか持たない者へ分配するのはフェアではないのだ。
また、国からサービスを提供されている身として応益分を負担すると考えるのなら、
皆が同じ額を納めるのが公平だともいう。
例えば国の防衛のような公共のサービスは、個々人が選択して享受するものではない。
「うちはお金払わないから守ってくれなくていいよ」という
主張そのものができないのだ。
だから誰にでも同じ金額を課す人頭税こそ公平という話になる。
しかし、納税義務について一点留保がある。
さすがに、0歳児から死ぬ直前の人間にいたるまで納税させるのは無理なので、
「納税者の年齢は考慮に入れるべき」との発言がある。
実際に人頭税が導入されるのなら、確かに考慮しなければならないことだろう。
ところがその場合、公平性は保証されるか。
応益的負担としての公平性を保つには、
国民は皆すべからく納税すべきだということになるはずだ。
国防の例で言えば、納税年齢を制限することは、
守ってもらっているにも関わらず代金を支払わない(支払えない)人の
存在を認めることになる。
仮に、子供やお年よりの分は払わなくてもいいですよということになれば、
子供が沢山いて、お年寄りを抱えている一家は、
他の納税者の負担に乗っかる分が大きくなる。
フェアでないといって退けたはずの「財の再分配」は、
限定的であるにせよ、認められることになる。
また、所得に占める税の割合も納税者によって異なる。
年収200万の人の納める20万と、年収2000万の人の納める20万とでは、
負担率が大きく違う。
おもちゃの例で言えば、おもちゃを持て余している子供がいる一方で、
一つしかないものを取り上げられる子供も出てくる。
一律同額、なるほどそれは公平だろう。
しかし、「働くことがバカらしくならないような税制」への解答のはずなのに、
持てるもの全てとまでは言わないが、
ごっそりと奪われかねない可能性もあるようでは、
なんのための公平性だか分からなくなりはしないか。
あくまで公平性を尊重して、納税者の年齢制限を行わなかったとしたらどうか。
高収入の人は何も心配することなく結婚して子供を作ることができるだろうが、
収入の低い人は、子供の分の負担を考えるとなかなかそうもいかない。
だとすれば、極端な話、別の税制の外国に人が流出して、
国の競争力が低下することも考えられる。
財の再分配は、市場人から見た場合公平ではないと言える。
自分でプレイしたスコアを勝手に持っていかれるのだ。面白くなかろう。
しかし、厳密に公平性を追求すれば国力の低下を招く恐れがある。
とはいえ公平性のたがを緩めることは、人頭税の存在意義の一部を失うことになる。
本当に人頭税が理想の税制なのか、疑問が残る。