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名も無きねこに

拒絶反応

2025-01-20 21:39:18 | わたし
『哲学の歴史10 危機の時代の哲学 20世紀(I)』(野家啓一編 中央公論新社 2008)  の総論で読んだ次の文章には強い衝撃を受けた。

このような状況の中で発せられたのが、「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮」であるというアドルノの言葉であった。詩を書くことが野蛮であるならば、哲学することもまた同様であろう。彼は主著となる『否定弁証法』(1966年)の中で次のようにも述べている。

アウシュヴィッツ以降は、このわれわれの生存が肯定的なものであるといういかなる主張も単なるおしゃべりに見え、そうした主張は犠牲者たちに対する不当な行為であるという抵抗感が沸きおこらざるを得ない。[略]肯定的に設定された超越的存在から輝き出てくるような、この世界の内在的意味を作り出す試みそのものを、あの出来事は嘲り笑わざるをえなくさせているのである。

イカはヨーゼフ・ボイスの「万人がアーティストである」という
考えを支持しており、わたしたちの行いは全てアートであると言っている。
ただし良いアートと悪いアート、そのどちらでも無いアートがあるそうだ。
いくつか例を挙げて聞いてみたら、何とアウシュヴィッツも悪いアートであるという。
イカの主張には拒絶反応を起こしてしまう。
読書会で会ったときにもう少しこのことについて話したい。
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