奈良の鹿

 奈良には鹿がいる。奈良の友人に、こんなふうに鹿があちこちにいるのは面白いねと言うと、彼女は、奈良に住む自分にとっては当たり前のことなのだけれど、よその人から見たら、やっぱりそれは驚くことなんだなあと、再発見したように言っていた。
 話はそれるけれど、桜のつぼみもまだ固い頃、息子を連れて木屋町二条のあたりを歩いていたら、高瀬川の一之舟入に係留されている復元された高瀬舟を眺めていたおじさんがいて、私たちの姿を認めると、「君たちにとっては当たり前のことなのかもしれないけれど、ここにこれがあるということはすごいことなんだ。君たちは、そのすごさがわからなくなってしまっている。人間、驚かなければだめだ。驚かなければ脳も活性化しない」と突然高説をぶち出した。もう少し柔らかな口調で、にこやかに言ってくれたら返しようもあるのだけれど、にこりともせずまっすぐに見つめてくるので、返答に困って曖昧に「はあ」などと言っていたが、じっと見据えたままでいつまでも解放してくれない。いい加減、困って手持ち無沙汰で立っていたら、ようやくふっと表情が緩んで、「一種の哲学論だね」などと言い置いて、下流の方へ行ってしまったので、ほっとした。
 奈良公園には鹿がそこらじゅうにいて、めいめいが好きなところで糞をするから、公園内は足の踏み場もないほどに、黒豆みたいな鹿の糞が散らかっている。実際、糞を踏まずに歩くのは困難で、草食動物の鹿の糞は、猫の糞のように臭くもなく踏んでも靴の裏にくっついたりはしないから、そのうち慣れてしまうけれど、最初のうちは抵抗がある。
 しかし、この糞が、奈良公園の芝の肥料となるらしい。そして、糞を栄養に生えてきた芝を、鹿が主食として食べる。だから、芝はいつも手入れされたように短く保たれている。そういう循環が出来ているらしい。
 静かな裏の通りで会った鹿は、地面に少し生えた芝を一生懸命になってむしり取って食べていたが、大勢の観光客が流れるように歩く東大寺の表参道なんかに出ると、鹿せんべいを束ねて売っている店がそこいらじゅうにあるから、そこにいる鹿は観光客からもらった鹿せんべいですでにお腹がいっぱい、新しく買ったせんべいを鼻先に持っていっても、まあくれるなら食べるけど、というくらいの余裕が感じられる。鹿には鹿のテリトリーがあるそうだから仕方がないのだろうけど、わずかな芝を必死にむしっていた鹿たちに比べて、なんとも不公平な気がする。

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