「紅の雲」

 ふと、谷崎潤一郎の「細雪」に出てくる枝垂桜を見ようと思い立って、平安神宮に行った。
 応天門をくぐると、朱塗りの柱の上の深緑色の瓦屋根の向こうに、紅色の枝垂桜が、沸き立つように盛り上がっている。立派な木だと感心しながら西側の神苑入り口を通ると、もう目の前は紅の霞である。お庭のいたるところで盛大な花火が揚がったようで、紅色の火の粉が流れ落ちきることなく、しばし時を止めている。空へ向って枝を伸ばす染井吉野や山桜と違い、繊細な枝が下がったところに、紅色の小さな八重の花がはらはらとついている様子は、たおやかでかつ華やかで、和装の女性の髪飾りが連想された。
 花の咲く神苑の華やかさは異様なほどで、現実から乖離しているような錯覚がした。たとえば、紅色の巨大なくらげがいくつも揺らいでいる美しい竜宮の風景のような。西神苑から中神苑へ通じる小道を歩いていたとき、左手の塀の向こうから大きな車の音が聞こえてくるので驚いた。この浮世離れした聖地のすぐ向こうに、塀ひとつ隔てて丸太町通りが通っているということが、とても意外に感じられた。
 中神苑の池のほとりに茶店があって、その前を通ったら、割ぽう着姿の店のおばさんが、「ちょっと、ボク」と息子に声をかけて近づいてきた。何か買えと勧められるのかと思ったら、おばさんは池のほうを指差して、「ほらボク、池に青鷺がいるよ」と、池の縁の石の向こうに、大きな鷺が水底を突付いているのを教えてくれた。
 青鷺が池に飛んでくるのは珍しいことだという。神の池に舞い降りた鷺が、ゆっくりと池を渡り歩いて行く様を見ていると、ますます、異界にいるような気がしてきた。


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