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雀庵の「常在戦場/9 第2次文化大革命に警戒すべし」

2021-05-07 06:51:46 | 日記
雀庵の「常在戦場/9 第2次文化大革命に警戒すべし」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/296(2021/5/6/木】一つの政権が長引くと国民は分裂していくようだ。美味しい思いをする政権支持者グループ(体制派、保守派、インテリ、中産階級以上、少数派)と、広がる格差と不遇に腹を立てる政権変革支持者グループ(改革派、中・低学歴、中産階級未満、多数派、庶民)という分裂が一般的である。


会社でもできる奴(将校、エリート、出世組)と並社員(兵卒、出世しても課長補佐)は出自は問わないものの厳然と区別される。お目見え以上とお目見え未満。今は社内試験と技能(企画力とかリーダーシップ)で評価されるが、並社員は「仕事は人生を(面白おかしく)過ごすのための手段」と考えている人が多く、「仕事は人生そのもの」と信じている幹部候補生とはアマチュアとプロほどの違いがあるから、「並」は「上」にはなかなかならない、なれない。


「面白おかしく人生を生きる」という面では上も並も似ているが、仕事にそれを求めるか、仕事以外(遊び、趣味)に求めるかの違いかもしれない。


高卒、大卒、大学院卒の人を、小生は同僚あるいは経営者として身近に見てきたが、編集・記者という仕事では大卒がとても有効、使いやすかった。勉強したかどうかは知らないが、大卒だとそれなりに「読書」もし、いかに生きるべきかといった「思考」もそれなりにし、書くことも含めて「文字」にも親しんでいる。取材先や客筋は大卒だから、言語も大体共通しており、話の80~90%は分かる。専門用語の理解も早い。


高卒はそういう「読書、思考、文字」の土壌がない(か不足している)から編集・記者には向かないと思う。大学院卒は紳士で真面目で学究肌だが、記者は突破モン的なゴロツキ性、マムシ的な執拗さ、清濁併せ呑む嫌らしさ、二重スパイ的怪しさ、敵を創らない保身術、白を黒とする詐欺師的文筆力、非難されたら速攻で計算し、負ける喧嘩は避けて速攻で土下座する恥知らず・・・こういう“粗養、粗暴”が大卒にはあるが、大学院卒にはどうもないようだ。


レーニンは「戦争を内乱に転化せよ、目標が同じなら野合だろうと人民戦線を組め」と大いに煽った。敵の弱点を探り、急所を「一点突破、全面展開」で集中攻撃する。反革命勢力や怪しい奴は殺せ、あるいは収容所で奴隷の如く働かせろ・・・階級闘争史観だから適性階級を圧迫、抹殺することにニゴリはない。レーニン、トロツキー、スターリン、毛沢東らの思想・行動の底流は「無慈悲に敵を殺さなければやがて彼らに我々が殺される、問答無用、情けは無用」だ。もちろん毛沢東信者の中坊(中学進級前に下放されたから小卒?)らしい習近平も同様だろう。


JBプレス2021.4.29、福島香織氏の論稿「温家宝の『発禁』寄稿、習近平の逆鱗に触れたあの言葉 再び『文革』で権力闘争を挑む習近平」から。


<最近、習近平政権にタブーとみなされている刊行物を国外や香港、マカオなどから中国内に持ち込んだとして、きびしい懲罰にあったり、党籍はく奪や刑事罰に遭うケースが増えているらしい。そのタブー視されている刊行物の中には、温家宝が、自分の母親を偲ぶエッセイを寄稿した週刊紙「マカオ導報」も含まれているという。


すでに一部では報じられているが、温家宝が自分の亡き母親の思い出を清明節(中国のお盆、2021年は4月4日)に合わせて4回にわたって連載した内容が、どうやら習近平の逆鱗に触れて、ネット上では閲覧制限され、ちょっとした騒ぎになっていた。


温家宝の「我が母親」というタイトルのエッセイは、「マカオ導報」に3月25日から4月15日にかけて4回に分けて掲載された。微信の媒体公式アカウントにも転載されたが、すぐに閲覧制限され、事実上の発禁扱いになった。文章が習近平の逆鱗に触れたのだ、と噂された。


中身は苦労した母への愛情があふれたものだが、その含むところは多層的で、温家宝自身と母親の名誉、紅二代(革命世代の子弟、共産党貴族)との矛盾・確執、中国が進む道と温家宝自身の理想が乖離していくことについての現政権への不満・・・などが読み取れる。


このエッセイに対する多維ニュースの論評記事のタイトルは「母を偲ぶ文章が発禁に 温家宝はなぜ文革を忘れられないのか?」だ。


温家宝は「我が母親」の中で、文革が今日に至るまでの政治運動に影響を与えているとし、温家宝一家自身、文革期間に災難に遭ったことを書いている。たとえば温家宝の父親は1959年に歴史問題で教師の職を追われ、文革期には吊し上げを食らい、学校で軟禁され、給料も出なくなり、大字報と呼ばれる政治的壁新聞が家の門に貼られ、野蛮な“尋問”に遭い、造反派に殴られていつも顔が腫れていたという。


多維ニュースの論評記事はこう語る。「温家宝はおそらく文革に何度も言及した唯一の中共指導者だ」。温家宝はかつて公開の場で、「文革の錯誤がまだ完全に消えていない。政治体制改革は成功しておらず、文革は再び起こり得る」と警告していた。


思い出すのは2011年、温家宝は香港の政治元老、呉康民と単独で会見し、「中国の改革が困難である主な理由は、封建制度の残滓と文革の遺毒である」と語っていたことだ。温家宝のこの発言は呉康民を通じてメディアに暴露され、大きな反響を引き起こした。また2012年、温家宝は国務院総理としての最後の記者会見でこう語っている。


「文革終了後、中国共産党は歴史的決議を行い、改革開放を実施した。しかし、文革の錯誤と封建時代の影響はまだ完全に消えていない。今後、また生産分配が不公平になり、汚職腐敗問題などが起こるだろう。これら問題を解決するには、経済改革を行うだけでなく、政治改革を行わねばならない。特に党と国家の指導制度の改革が必要だ・・・


政治改革が成功しなければ、経済改革は最後まで行えない。すでに獲得した成果も再び失うことになり、新たな生産の問題は根本的に解決できず、文革の悲劇が再び繰り返されるかもしれない」


また2012年に温家宝は清華大学で講演を行い、やはり文革について次のように言及している。


「中国が大躍進を行い、人民公社がゆがんだ道をゆき、文革という過ちを犯した・・・改革開放は継続して前進せねばならず、後退できない・・・改革開放こそが国家の未来と希望に関与し、民族の前途と運命に関与するのだ」


2012年の温家宝最後の総理記者会見からしばらくたってから、私は党内事情に詳しい知人から、「温家宝の言う『文革の遺毒』とは、みんな薄熙来(元紅衛兵の権力者、汚職で収監中)のことを指していると思っているようだが、本当は習近平に対する批判なのだ。温家宝は習近平が文革を再発させることを恐れている」と耳打ちされた。今思い返せば、温家宝たちは習近平の「文革脳」の危うさをすでに認識していたにちがいない。


もし温家宝の寄稿が、文革を批判したことで習近平の逆鱗に触れて削除対象になったというならば、習近平は第20回党大会で長期独裁政権を確立する手段として「文革」を発動するつもりなのではないか、という疑念が生じてくる。


世界第2位の経済体となりIT技術が発達し、グローバル経済の主役級の中国で、いかに習近平が「文革脳」であっても、その呼びかけに今時の若者たちが簡単に洗脳されて、階級闘争を発動させるようなことがあるだろうか? と誰もが思う。だが昨年来、「文革2.0」という言葉が中国党内人士たちの間でささやかれているのは事実である。つまりバージョンアップされた文革だ。


もし文革2.0が発動されるとなると、習近平は誰を追い落としたいのだろう。はっきり言って、今の共産党内に毛沢東にとっての劉少奇級の政治家は見当たらない。ほとんどの中央の政治家、官僚たちはおそらく習近平のやり方に不満を持っているが、習近平を権力の座から引きずり下ろすほどの気概はないように見える。なのに、なぜ習近平は文革を起こそうとしているのか。


それは、習近平が恐れているのは人民だからではないか。


新型コロナ肺炎が昨年武漢で発生したとき、庶民がいかに習近平政権に不満を抱えているかが垣間見えた。今後経済の減速がはっきりし、食糧問題やエネルギー問題が目に見える形でひっ迫していけば、いつ庶民の不満が爆発してその矛先が習近平に向かうかわからない。


その矛先を自分に向かわせないためには、誰でもいいから文革手法で大衆にとっての敵を作りあげ、世論を誘導して攻撃させなければならない、と考えているのではないだろうか。国内を混乱させ人民同士を分断させれば、すくなくとも世論が団結して自分に向かってくることはない。


忘れてはならないのは、かつての文革のとき、日本や欧米の一部の左翼知識人や左翼メディアが、文革を理想のプロレタリア革命だと礼賛していたことだ。文革の輸出は毛沢東の戦略としてあらゆる形で行われ、進歩的知識人ほど洗脳されていた。


世界がつながっているインターネットやSNS上で文革2.0が起きるとすれば、文革の輸出は、かつてよりも簡単かもしれない。米国のBLM(Black Lives Matter)運動が文革に似ているのは偶然なのか。日本でも同様の事象が起きていないか。2022年秋の第20回党大会まで、ちょっと気を付けていてほしい>
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今の中共は完全に情報統制され、個人の動きも完全に捕捉されているようだ。国民の多くはカネで動くから、昨日までの気のいいおばちゃんが今日から共産党のスパイになったりする。1976年頃のある日、職場の同僚にルシーラ范(はん)が加わった。中国から日本に脱出した中(母)仏(父)ハーフの女性だ。文革時代は「適性国民」として24時間、365日、何年にもわたって“愛国ババア”連中に監視されたと言っていた。ウンザリだろう、誰だって逃げ出したくなる。


コロナで2週間隔離されてもウンザリだから、特に自由とか民主を知っている者には中共の監視国家は耐え難い。逃げ出したくてもコロナ以前のようにはいかない・・・どうしたらいいのか、多くの人民が鬱勃としているかも知れない。


習近平はオーウェルの「1984」を読んだことがあるのか。独裁統治のハウツー本としてアイディアを得ていそうだ。初版は奇しくも中国建国の1949年だ。オーウェルは創作の意図をこう語っている。


「共産主義やファシズムですでに部分的に実現した倒錯を暴露することを意図したものです。小説の舞台はイギリスに置かれていますが、これは英語を話す民族が生来的に他より優れているわけではないこと、また全体主義はもし戦わなければどこにおいても勝利しうることを強調するためです」(WIKI)


米国民主党のポリコレ病アカモドキは、自分たちが習近平同様にディストピアを着実に創るために「米国版文化大革命」を始めているという認識はなさそうだ。夏彦翁曰く「正義はやがて国を亡ぼす」、修一曰く「墓穴掘り 米中ともに 地獄行き」。世界は日の出を待っている。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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