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雀庵の「常在戦場/22 戦争の始まり」

2021-05-27 11:35:55 | 日記
雀庵の「常在戦場/22 戦争の始まり」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/308(2021/5/27/木】「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と言うけれど、「いかに生きるべきか」、この道は人それぞれで、「これ」という道を探すだけでも大変、実践するとなればなおさらだ。


<伊能忠敬(1745ー1818年、73歳没)は家業や村政に励むかたわら、好きな学問を学び続け、50才から江戸に出て本格的に勉学に励み、55才の老齢の身から17年間(72歳)にわたり全国測量を行いました。ロマンと情熱を持ち続け、生涯現役で生きた忠敬に、多くの人々が勇気づけられています>(千葉県佐原市「伊能忠敬記念館」)


当時は40歳辺りで「初老」、50歳なら立派な老人、ご隠居。55歳から測量隊を率いて全国津々浦々を巡るなんて・・・気力体力、真実を極めたいという強烈な知的好奇心、マニアック、オタク的で執拗な研究心、うーん、凄いなあ、敬服する。老人の智慧知性と少年の好奇心、青年の行動力、「心技体+教養・学問」、そういう生き方をしたいものだ。


スポーツジャーナリスト・増田明美氏の「思ふことあり それぞれの引き際」産経2021.5.25にも力づけられた。


<5月3日、日本陸上競技選手権の女子1万メートルに福士加代子さんが出場した。これまで福士さんはこの大会で7回チャンピオンになっている。五輪にはアテネから四大会連続で出場。リオデジャネイロはマラソンで出場した。今回は5度目の五輪出場をかけた挑戦だった。


ところが、広中璃梨佳(りりか)さんや安藤友香さんがトップ争いをするなか、福士さんは2周抜かれて最下位でフィニッシュ。競技場で見ていた私は悲しかった。「女王」福士さんのまさに、「盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」風景だったのだ。


レース後、「こんなに走れないとはね…。応援してくれたのに、ごめんなさいね」と明るく福士さんが話しかけてくれたので、「なんで走ったの?」と聞いてみた。足の状態が良くないことを知っていたからだ。すると、「だって挑戦するチャンスがあったでしょ。しないのはもったいないもん」と福士さん。


いろいろ話していたら、練習の過程でも疲労はとれにくくなっているようだ。「以前は自分でムチを入れたら走れていたけど、最近はムチの跡だけ残って走れない」と笑って言った。何と返していいかわからなかったけど、彼女の目に浮かぶ涙をみながら、カッコいい人だなと心から思った。


家に帰ってNHKBSで放送された女子1万メートルを録画で見たら、かなり長く最後尾の福士さんを映していた。見る人の中には自分と彼女を重ね合わせながら、いろいろと考える人もいるだろう。美しいまま終わるか、ボロボロになるまでやって終わるか、引き際は人それぞれだと思う。どちらもステキだ。


私は競技者としての引き際は、駅伝がきっかけだった。ごぼう抜きするなど活躍した駅伝もあったが、そのときの全日本実業団女子駅伝では一人も抜けなかった。でも、その事実よりも襷(たすき)が受け渡されるのを待っている間、全然興奮しない自分に気がついた。体から身を焦がすような情熱が湧いてこなかったのだ。それで「もうダメだ」と心底思い、その日の夜に引退を決意した>


「体から身を焦がすような情熱」・・・小生には気力はまだ残っているが、体力の劣化は如何ともしがたい、情けない。文章を書くのがこんなに体力を消耗するなんて・・・先輩たちがある日突然「筆を折る」気持ちが分かった。愚痴ったところで一歩も前進しないのだから、精魂尽き果てるまで少しでも、這ってでも前へ進みたい、ゴールへ向かいたいものだが・・・


伊能忠敬はいかにしてパワーを維持していたか。豆腐や豆類などを中心とした食事だったらしい。1960年頃まで日本の庶民は大体そんなもので、時々肉か魚が付いた。健康食そのもの。伊能忠敬が特別だったわけではないだろう。


豆腐と言えば父方の祖父の弟(おおおじ)、通称「武蔵小山のおじさん」は手焼き煎餅屋で、大村益次郎みたいに主菜が豆腐で、同居人はうんざりしていたが長寿だった。小生は豆腐はあまり好まないが・・・“健康食”とかベジタリアンで長生きするかどうかは知らないが、夕食は肉とか魚がないとつまらないね。(生野菜の植物繊維は牛でも消化できないから糞詰まりになりそう、大丈夫なのかなあ)


おじさんの趣味は質素倹約蓄財で、株式投資なども上手くいって5億円くらい貯め込んだようだ。奥さんに先立たれ(逃げられ?)、子供はなく、晩年は下僕のような弟子にオシンみたいな嫁さんをめあわせて養子縁組、面倒を見させていた。それなりにおじさんらしい質素倹約蓄財道のゴールだった、が、ナンカナーの感じ。


小生の目指す「ゴール」は何なのか、実はよく分からない。漠然と「皆がそこそこ穏やかに暮らせる国とか世界になればいいなあ」とは思っているが、粗衣粗食で満足する人もいれば、蓄財蓄妾美酒美食を目指す人もいる。価値観は人それぞれで、テンデンバラバラ、能力も千差万別、それなのに集団を組まないと人間は生きていけない。


人間は原始時代から縄張り争い、部族間抗争があり、合従連衡や併合で大きくて強い部族(連合)を目指す。そうしないと駆逐されて辺境に追いやられてしまう。強い部族、強い民族、強い国家でないと生きづらい、生き残れない。強くて賢明なリーダーが強い兵士、タフな国民を率いて、勝てないまでも負けない国家にしなければならない。


「皆がそこそこ穏やかに暮らせる国とか世界」にするために、多くの場合、戦争によって新たな秩序が創られた。強くなければ駆逐されるか併呑されてしまう。


自国の安全、平和のためには戦争で「勝てないまでも負けない」備えは最低限必要になる。自衛力とか反撃力。穏やかな国だけれど備えは強靭で、しかも国民は勇武を貴ぶ。それなら周辺国は手を出しにくい。


今は「八方美人でニコニコしていれば安泰だ」という時代ではない。戦雲立ち込め、いつ火の手が上がるやも知れぬという危機感、それを感知するカナリア的な仕事、警鐘を鳴らすような記事を書くというのは意味があるかもしれない。ないよりはマシ、か。


ソ連が劇的な崩壊をした時、すなわち1990年前後、ソ連国民は食うや食わずで大変だったが、小生ら都市部の企業経営者はバブル経済で浮かれていたからまったく痛痒を感じなかった。円高で海外旅行者は急増し、小生は「そろそろソ連旅行を促進してもいいか、ルーブルも随分下がったから、とりあえずエルミタージュ美術館を視察してみよう」などと思っていたものである。西側諸国は10年前、1980年前後の中共の改革開放に次ぐソ連共産主義帝国崩壊を大いに歓迎していた。岩田温著「日本人の歴史哲学」から。


<1989年のベルリンの壁崩壊後、引き続いてのソ連の崩壊は、長い冷戦の終結を告げるとともに、共産主義の終焉と捉えられ、自由主義国家はこれを歓声とともに迎えた。F.フクヤマは『歴史の終わり』を著し、将来に自由民主主義体制という政治システムを根本から否定するような事件は起こり得ないと説いた。


これに対してイギリスのジャーナリスト、イグナティエフは『民族はなぜ殺し合うのか』においてこう述べる。


「我々は将来に関して、とんでもない見当違いをしていたと思い知る。帝国主義最後の時代にとって代わって現れたのは、新たな暴力の時代であった。新世界秩序の基本となる筋書きは、民族紛争による国家分裂、主な担い手は軍司令官、そして時代の合言葉は『民族ナショナリズム』である」


米ソ角逐時代後に現れたのは平和な世界ではなかった。冷戦終結は共産主義の脆弱さ、実現不可能性を明らかにしたものの、それは平和な自由民主主義体制下のユートピア的世界の到来を告げるものではなかったのである。ユーゴスラヴィア崩壊後の大混乱などは、局地的な事件とするだけではとどまらない大きな問題がある。


ユーゴの独裁者チトーは主要6民族の統一を成し遂げた(1943年)。彼は連邦体制をとることによって、各民族の独立への憧れを平和裏に満たしうると考えた。イデオロギーによる支配により、民族を越えるユーゴスラヴィア国民としての意識が国民に芽生えることを望んだ。しかし、彼の死後(1980年以降)には急速に(民族)ナショナリズムが勃興してくる。


「1980年代、ユーゴの政治がナショナリズムに傾いたのは、民族間の差異そのものが原因ではない。セルビアを先頭に、生き残りの共産党エリートたちが権力を維持しようと民族意識を繰り出したためである。民族間の差異の意識はここで初めて憎悪へと転化した」(イグナティエフ)


「純粋さへの意志」に基づいたナショナリズム、原理主義である。それは先進国にも浸透している。2002年、フランスにおいて民族主義政党「国民戦線」を支持している若者の声に耳を傾けてみよう。山本賢蔵著「右傾化に魅せられた人々―自虐史観からの解放」から。


「貧困に苦しむ人々が豊かさを求めて移民となってやってくるのは、当然のことで、それは理解できる。しかし、それをそのまま放置しておいていいわけはない。大量の移民たちのせいで、フランス人が生活に困っている。この国は誰のものなのか・・・


『町の市場や一部の地域に行ってみればわかる。フランス語が一言も聞こえてこない。彼ら(アラブ人)はこっち(フランス人)を侵入者のように見る。
本当に変な気持ちになる。何と言えばいいのだろう? 本当に奇妙な感じ。不安感、怯え。そういう状態が、どんどんひどくなっている』」


ここでのフランス人は、自民族のものであるべき国家が、ある民族によって奪われようとしているとの危機感を抱き、アイデンティティが失われようとしていることを畏れている。この恐怖の感情が、何らかの契機を得て、暴力的、排外的なナショナリズムへと繋がっていくのである>(以上)


共産主義は執拗なボディブローを食らって跪きテクニカルノックアウトで敗者になったが、死んだわけではなく、リングネームを変えて20年、30年で復活してきたのではないか。新たな技は革マル式「国家乗っ取りサナダムシ移民パンチ」か? じっくりじわじわと敵を消耗させ、気付いたときは脳みそから爪先までサナダムシだらけだったり。


友あり遠方より来たる、また楽しからずや、と新大陸の住民は欧州からの白人を歓迎し、そしてあっという間に白人に乗っ取られ、絶滅危惧種になった。今の北米は新移民に白人が圧迫されている印象だ。欧州の白人国家も旧植民地からの移民もどきの侵入に苦しめられている。


欧州における共産主義者は、その名称を捨てただけで、多くは今でも特権階級として君臨している。弱体する自由民主主義国家、強靭化する旧共産主義の独裁国家。中共はパンダの着ぐるみを捨てて餓狼、戦狼、まるでナチスみたい。


外からの脅威・外圧に、移民による内からの内圧・対立・・・「戦争の始まり」を強く意識し、十分に準備した国家、勢力が勝ち、新しい国際秩序を創ることになる。危機感を持たない国、根性のない国はまず落ちこぼれになる。「天は自ら助くる者を助く」、ボーっとしていたり、他国を頼りにしているような国はまず消えるだろう。自業自得と言う。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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