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雀庵の「常在戦場/48 諸悪の根源は習近平・中共」

2021-07-09 16:27:49 | 日記
雀庵の「常在戦場/48 諸悪の根源は習近平・中共」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/333(2021/7/9/金】毎度のことながら梅雨はブルーになるから嫌なものだが、6月初旬に植えた稲がすくすく育っているのを見るとありがたい気分になる。農業は大昔からカラ梅雨や冷夏で悲惨な目に遭ってきたから「梅雨は嫌だ」なんて言ったら天罰を食らうだろう。


昨年から国交省京浜河川事務所は物凄い勢いで多摩川の治水工事を進め、放水路も整備した。放水路は「川などが台風・大雨によって増水した時、流量容量を超えた水を地下に取り込んだり、余裕のある河川に分水する」もので、増水が終わったら渇水期に必要な分以外は川に放流するそうだ。農業用水としても利用されている。


長江・三峡ダム上流の重慶では今年も大雨が続いている。地元の Hualong.com 7月7日19時のニュースにはこうあった。


<重慶市水保全局によると7日17時現在、32の中小河川の水位が上昇し、そのうち4つは警戒レベル越え、4つは警戒レベル、8つは警戒レベルを下回った。特に奉節県甲高河甲高駅は上流洪水の「重畳」の影響を受け、安全水位の1.88mを超え、6.0mに上昇した。


現在、水保全局は24億8100万立方mを貯水し、必要な貯水量の66.41%になっている。貯水池の洪水防止と安全確保を前提に、降雨を利用して貯水池の貯水・保水作業を行い、干ばつや洪水の急激な変化に備える必要があると説明した>


昔から政治の要諦のひとつは「治水灌漑」と言われるが、日本では統一国家が安定してきた大化の改新前後から本格的な取り組みが始まったようだ。水資源開発公団OBの古賀邦雄氏は亀田隆之著『日本古代治水史の研究』を引用してこう書いている。


<日本の場合は、水稲耕作の流入以後、それを農業生産の中心に置く社会となったことが関係して、治水の問題は農業生産と結びつき、そのために灌漑との関連性を濃厚に示すこととなった。治水は灌漑用水確保の前提として治水という側面を大きく持つにいたり、その意味で、日本では治水は勧農政策の一端を担うものとして位置づけられる。


具体的に、律令国家による治水政策では、8世紀から9世紀にかけて造池使、築堤使、修理堰使、検水害堤使などの、治水・用水に関する諸使が中央から派遣され、民生と密接な関係を持ち、耕地の安定を図っている。平安京の治水では、葛野川には防葛野河使、鴨川には防鴨河使がおかれ、その任を果している>


政治=統治の一丁目一番地は「飢餓からの解放」だろう。李克強によれば中共14億のうち6億は月収1000元(約1万5000円)、年収18万円だという。食うのがやっと、という貧困層で、それすら出稼ぎしないと無理のよう。これが習近平の言う「小康社会」の現実だ。


パンだけで我慢しろ、餓死しないだけお前は幸せだ、中共に感謝しろ、と言われても、格差が大きくなるばかりでは惨めな思いは募るばかりだろう。その上に宗教、言語、風俗、習慣まで圧迫されたら・・・ウイグル人の憤懣のマグマは爆発寸前なのではないか。中共統治の土手を崩す激流になりかねない。


東トルキスタン(中共名:新疆ウイグル自治区)の歴史、特に近代史をざっくり知りたいと調べたが、野口信彦(日本シルクロード文化センター)著「東トルキスタン共和国の成立と崩壊」、スヴェン・ヘディン著「シルクロード」にあたったが、複雑で頭が混乱するばかり。呆然としていたら世界ウイグル会議の「東トルキスタンの簡潔な歴史」あった。結構分かりやすいので助かった。以下、ざっくり紹介する。


<東トルキスタンは、古代(からの交易ルートである)シルクロード上に位置しており、地理的にはユーラシア大陸の心臓部にあたる。この地域は2000年以上前から商業、文明文化の中心地として栄えていた。豊富な歴史や文化に加え、無限に広がる砂漠、雄大で壮観な山脈、美しい河流、草原や森林など極めて多彩な自然環境もある。(トルキスタン≒トルコ由来)


東トルキスタンの面積は182万平方キロmだった。その一部が、1949年に中国共産党が侵略し、強制的に簒奪されたのである。


東トルキスタンは、東側で中国やモンゴルと、北側ではロシアと、西側でカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドと、南側ではチベットと接している。


東トルキスタンにはウイグル人及び同じくトルコ系言語を使用する諸民族――カザフ人、ウズベク人、キルギス人、タタール人、タジク人などが住んでいる。中国の最近の人口調査によると、東トルキスタンの総人口は1925万人。これは、この土地で違法居住している749万人の漢人移民を含む数字である。


1949年以前は、漢人が20万人ほどしかいなかった。しかも、満州(清)の時代やその後の軍閥らとの戦いの時代に東トルキスタンに流れてきた軍人や軍人家族がその大半を占めており、一般の漢人市民はほとんどいなかった(清の侵略以前は全くいなかった)。総人口の中で、ウイグル人は960万人であり、多数を占める。一方で、ウイグル人固有の資料によれば、ウイグル人は2000万人前後とされている。


東トルキスタンは、地理的に中国の自然辺境(そして本来の辺境)である万里の長城の外側に位置する。歴史や文化の面から見ても、東トルキスタンは中央アジアの一部であり、決して中国の一部ではない。歴史上には、東トルキスタンで暮らしてきたのは漢人ではなく、ウイグル人をはじめとする中央アジアのトルコ系民族ばかりだった。


史料によると、東トルキスタンでのウイグル人の歴史は4000年以上に遡ることができる。


歴史上には、ウイグル人の先祖及び他の地元民が、東トルキスタンで数々の自分たちの独立王朝を建て、この地を繁栄させてきた。シルクロードの中部に位置したこの地は、ウイグル人が東西の文化交流を促進させる上で極めて重要な役割を果たすと共に、自分たち独特の文化や文明を発展させていた。


中央アジアに住む他のトルコ系民族と同じように、早期の歴史にはウイグル人もシャーマン教、マニ教、そして仏教を信仰していた。イスラム教がやって来る直前までは、東トルキスタンは重要な仏教文明の中心となっていた。


ウイグル人とムスリム(イスラム教徒)の接触、イスラム教への信仰は9世紀当初から始まっており、ウイグル・カラハン王朝(850-1212)の時代になってから成型された。王朝の首都であったカシュガルは、急速にイスラムを学ぶ中心地になっていった。


当時、イスラムの先進した制度がこの地域の文明を更に上昇させ、芸術、科学、音楽や文学作品などの分野が繁栄を迎えた。この時期には、数百人もの有名なウイグル人学者が現れ、数千冊もの不朽の名作が誕生した。中でも、ウイグル人学者ユスプ・ハス・ハジップの著作である「幸せをもたらす知識」と、ウイグル人学者マフムット・カシュガルの著作である「トルコ語大辞典」が最も有名な著作である。


◆満州(清)による侵略:1759年に、独立国家であったサエデヤ・ウイグル王朝(ヤルカンド・ウイグル王朝とも呼ばれる)が、当時の中国の支配者であった満州(清朝)に侵略され、軍による植民地支配が1862年まで続いた。この間、東トルキスタンのウイグル人及び他の地元民が、再び自分たちの独立及び主権を取り戻すために、勇敢的な奮闘を展開させ、合わせて42回も武装蜂起を繰り返した。


1864年には侵略者たちを追放して、カシュガリヤ国を建てたが、清が1876年に再び侵略して来た。8年にわたる血生臭い奮戦の後、東トルキスタンは1884年11月18日に正式に清の地図に入れられることになってしまい、その名は「新疆」(「新しい占領地」「新たに征服した土地」という意味)に変えられた。


◆中国の東トルキスタン占領:清が1911年に国民党によって転覆(辛亥革命で中華民国成立、翌年、清国滅亡)されてから、東トルキスタンは清が任命した最後の総監で清の忠実な手先である軍閥の手に入ってしまった。この時、中央政府は東トルキスタンでの影響力を失っていた。


ウイグル人たちは、再び自由を取り戻そうとの意志で、長期にわたる数々の苦しい闘争を行い、1933年と1944年に2回独立を果たし、東トルキスタン共和国を建てた。しかし、この二つの政権とも、現地の漢人軍閥や中国共産党の軍事侵入、そして、ソ連の政治陰謀によって転覆されてしまった。


1949年にソ連の援助を得た中国人民解放軍が侵入し、東トルキスタン共和国を征服、1955年に、中国共産党が東トルキスタンで所謂「新疆ウイグル自治区」を作った。


中国共産党の支配下に置かれてから、東トルキスタンは史上最悪の暗黒時代を迎え、ウイグル人の生存権利が深刻な危機にさらされることになった。中共政府が東トルキスタンにおいての永久の占領を実現するために、あらゆる邪悪な手段を使ってウイグル人及び他の地元民に対処してきた。


自分たちの身分及び生存権利が、中国共産党の残忍で非人道的な破壊及び恐怖に置かれる中、ウイグル人や他の地元民が手を結んで中国共産党の統治に屈することを拒絶し、先祖から受け継いだ反抗のたいまつを高く挙げて、中国共産党と反侵略闘争を続けている>


前回、小生はこう書いた。「大国のソ連を葬り、米国を駆逐した“恐ろしく根性のある”アフガンのイスラム過激派、ムジャヒディン(戦士)が“新疆ウイグル解放”のジハード(奮闘努力)を始めれば中央アジア全体が『中共にNO!』と叫ぶようになる可能性は高い」


中共もそれを危惧しており、ナント「アフガンのイスラム過激派の買収」に乗り出したようだ。産経2021/7/9「中国、タリバン支援の観測も…アフガン安定関与狙う」から。


<中国が米軍撤収完了後のアフガニスタン安定化に向け、関与を深める姿勢を見せている。アフガンが「テロリストの温床」と化せば、隣接する新疆ウイグル自治区の安定に影響を与えかねないことなどが、その理由だ。米軍撤収による混乱拡大を最小限に抑えるため、イスラム原理主義勢力タリバンを支援するとの観測も上がっている。


「中国は地域の国や国際社会とともに、アフガン内部の交渉や平和再建を推進するために積極的に努力したい」。中国外務省の汪文斌報道官は8日の記者会見でアフガン情勢についてこう語り、安定化に向けて関与する意向を強調した。


6月3日には王毅国務委員兼外相がアフガンとパキスタンの外相とオンライン会合を開催。「3カ国は意思疎通と協力を強化し、共通の利益に合致する方向へ情勢を進める必要がある」との考えを示した。


中国はアフガンの安定を図り、西へと延びる巨大経済圏構想「一帯一路」の中継点としたい思惑を持つほか、アフガンに豊富に埋蔵されている天然資源にも注目している。


ただ、中国が何よりも警戒するのは、中国国内での抑圧に不満を抱くウイグル族がアフガンに逃れ、拠点を築く事態だ。特に新疆のウイグル独立派組織「東トルキスタン・イスラム運動」の活動に神経をとがらせており、今年に入って王氏は新疆に近接する国に組織壊滅に向けた協力を呼び掛けている、云々>


中共は「カネでどうにでもなる」と思っているが、タリバンはどう反応するのだろう。同じイスラム教徒でも宗派対立は激しいし、人や国家はカネ(利益)次第でどう転ぶか分からないのが現実だ。タリバンやイスラム諸国が東トルキスタン・イスラム運動に距離を置くという選択肢もあり得る。新疆ウイグル問題解決のためには自由陣営諸国が団結して、少なくとも中央アジア諸国を「反中」でまとめる必要があるだろう。


諸悪の根源は習近平・中共である。G7、NATO、ASEAN、インド、台湾、豪州などによる中共包囲網を着実に進めることが、今、我々のでき得る最良の策である。習近平・中共という暴れ川を抑えるためにまずは強靭な土手を築かなくてはならない。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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