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雀庵の「大戦序章/9 プーチンは核兵器で勝つ」

2022-03-11 21:31:56 | 日記
雀庵の「大戦序章/9 プーチンは核兵器で勝つ」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/442 2022/3/11/金】正月に引いた風邪が抜けず、その上に持病の鬱が重なってイマイチの気分が続いていたが、3月になってから待ちに待った春が駆け足でやって来た。「春子、逢いたかったぜ、二度と君を離さないぞ、いいだろ?」。それにしても目がシバシバするは、鼻水は垂れるや・・・カミサン曰く「アンタ、それ花粉症よ」、ハッ、ハッ、カッフンショーッ! ま、鬱が消えてやる気が起きてきたのは結構だ。


冬の間放置していた庭の手入れ、ホームセンターでの園芸用の土と雀の餌の調達、排水管の掃除、そして両親の墓参りを終えてほっとしたら、次期住職に見つかってしまい、4月の「写経・写仏会」で講演してくれと迫られた。


「ぼ、ぼ、ぼくは記者でしたから、話す人ではなく、聞き出す人、取材する人なんです。人前で話すなんて、と、と、とてもできません」、「それなら『話を聞きだす取材術』ってテーマで話してよ」。あー言えばこー言う、大学で仏教哲学あたりを学んだインテリはしつこい、結局受けざるを得なくなった。とほほ、男はつらいよ。


「話を聞きだす取材術」・・・引き受けた以上は草稿を創らにゃならんと書き始めたが・・・


<東京五輪の1964年あたりから1970年頃まで、いわゆる新左翼、過激派の学生運動が燃え上がりました。実態は日本を中国やキューバのような共産主義国家にしたいという革命運動で、多くの大学生がゲバ棒や火炎瓶をもって「自民党政権を倒せ」と暴れまわった。


高度成長時代で景気は良く、学生はまじめに勉強しなくても就職できたので、私を含めてこれという目的がない学生が結構いたようです。衣食足りて礼節を知るどころか、小人閑居してブラブラしていると、中国では文化大革命が始まり、独裁的なソ連とは違う新しい、何やら本物の、理想的な共産主義国家へ変身しつつある、日本でも共産主義革命を起こして、弱者に優しい国に変えていこう、まずは自民党政権を倒そう、全ての政策を潰していこう、日米安保条約を破棄しよう、となっていきました。


結局は国民の支持を得られずに孤立し、最後は連合赤軍による仲間のリンチ殺害や浅間山荘事件になり、新左翼学生運動はほぼ消えました。「団塊の世代」を中心とした、現在の70代と80代の男で新左翼運動に熱をあげた人々は「俺の青春は何だったんだろう」と今でも思っている人は多いようです。


若者は概ね世間知らずで「正義」とか「純粋」が大好きです。「濁り」を嫌う。山本夏彦翁は「正義はやがて国を亡ぼす」と書いていましたが、確かにこの世は「正義」だけで押し通すことはできない、だから大人の世界は概ね「清濁併せ吞む」、この考えが主流でしょう。


恥をさらすようですが、私が読書が好きになったのは刑務所の独房の中です。1971年、二十歳でした。当時は成田空港の建設を巡って地元の農民は大反対し、それを過激派が応援と称して利用し、革命の起爆剤にしようとしました。政府の余りにも強引な遣り口に世論も反対運動に同情的でしたが、9月の大きな衝突で私は逮捕され、護送車の中で「お前らに機動隊員3名が殺された」と言われ、小突かれました。これをきっかけに新左翼運動、過激派は急速に支持を失なっていきました。


独房では最初の1か月は何も読む物がない。カレンダーと大正時代に作られた「房内心得」しかなく、読む物がないということがいかに酷く、苦しいことか、身に染みました。1か月後には友人たちが差し入れてくれた本を読めるようになりましたが、そのほとんどがソ連、ロシア革命がいかに残虐だったかを告発するものでした。それまでは共産主義革命を礼賛する本ばかりを読んでいたので、かなり動揺しました。


3か月後に保釈になったものの、過激派は国民の支持を失い、不毛な内ゲバを繰り返すばかりで、最早、大学へ戻ることもできない。苦労させた両親に詫びるために1年ほど家業を手伝い、夜は逮捕された過激派学生を支援する組織を手伝っていましたが、そのツテで目黒の建材店に就職しました。


その店の2代目の若社長はある日、こう言うのです。「君は横浜市大だろ、奥浩平の『青春の墓標』読んだ?」。奥浩平は横浜市大の中核派のリーダーでしたが、抜群に頭が良かったものの、革マル派シンパの中原素子に恋して振られ、自殺した“有名人”です。多くの学生は読んでいました。若社長曰く「中原素子って、僕の姉だよ」。


若社長や先輩(詩人)の訓導もあって私は共産主義を除染していきましたが、読書好きが高じてやがて「啓示」なのか、ひょんなことから「出版社に勤めたい、編集者になりたい」と専門学校に入り、小さな出版社(「世界ホテル案内」などの海外旅行業界向け出版社)に採用されました。1975年の春です。


その出版社では海外ホテルの最新情報を伝える「HotelAge」という情報誌も発行しており、その編集・記者になりました。しかし、記者は「取材・情報収集して記事を書く」のが仕事ですが、その素養がない。上司から教えてもらいながら少しずつ勉強していきました。初めて活字になった記事のタイトルを今でも覚えています、「ロサンゼルス・ダウンタウンにシェラトン開業」・・・


その後、海外旅行産業の情報を伝える「Wing Travel」(航空新聞社)に移籍しましたが、私は一日に3人とか6人を取材することもありました。同業他社との競争では、多く取材した方が勝ちになりますから、手を抜かずに頑張る。人脈も増えていきます。


初対面の取材では、取材される方は大体、記者をちょっと警戒していますから、ノートを広げて一言一句を必死で書いていく。書きながら質問する、その返答をまた必死で書いていく。相手はそれを見て悪い気はしません、「俺は当たり前のことを言っているが、もしかしたら結構いいことを言っているのかも知れない、それにしてもこの記者は随分熱心だなあ」と大体好意的になります。


で、とりあえず取材が終わり、「ありがとうございました」となる。ここから「いい話」を聞けることが結構あるのです。


「まあ、そういうことですけれどね、他社さんはどう言っています?」、「そうですね、大体、御社の見方と似ていますが、現実的ではない、むしろ規制を撤廃した方がいいというのが本音のようです」、「そうですか・・・いや、実際には現場ではそういう意見は多いんですよ」・・・


こういう話になると小生は再びノートを広げて、大きな字で「オフレコ」と書いて、つまり相手を安心させて、相手の本音をこれまた必死で書きとるのです。


実際に記事にする時は「○○社ではこう言っている」と表向きの話を書きますが、「一方で現場では『業界団体は省庁の天下り先ではない、本末転倒だ』と批判する声も根強い」などと書いたりします。こういう記事は業界内では評価されますが、省庁からは「この野郎」と叱られます。


その時は一席設けて土下座して一件落着を図ります。お役人のメンツを立てる一種の儀式です。雨降って地固まるという、お代官様と越後屋の何やら怪しい、持ちつ持たれつのWinWin 関係が深まるわけです。愛(う)い奴となれば美味しい仕事ももらえたりします。タダレタ関係にならないようにお互いに距離を保つのは当然ですが。


取材先から信頼されるようになるとリークしてくれる人脈(ディープスロート)が増えていきます。「マムシ」と呼んで可愛がってくれる方もいました。1984年、33歳の時に独立して編集プロダクションを起業しましたが、そういうファンがどんどん仕事をくれました。記者、編集者、広告代理店、映像制作まで何でもこなしましたが、もともと酒好きなので接待も怠りなく励みました。


まるで「午後5時の男」、クライアント(お客様)の担当部署に顔を出すと、「おっ! 修ちゃん、何というタイミングで来るんだよ! 仕事片付けるから1時間程待っててよ」と大歓迎です。2、3人とか、女の子も呼んで5、6人とかで居酒屋に行き、大いに飲んでもらい、あれこれ話してもらいました。無口な私は大体、聞き役で、「あの問題はどうなってるの?」とか誘導することはたまにありますが、宴席での男の話は業界に共通するものが多いので、とても勉強になります。


ビジネスは能力は当然として、相性とか信頼関係もとても重要になります。相手の信用を得て、色々教えてもらう、これは記者にとって原点ですが、「必死で勉強していい質問をしないと核心的な返答を引き出せない」というのも大事です。


コロナ禍で画面越しの各国首脳陣によるリモート会議が増えていますが、これでは当たり障りのない話しか出ないでしょう。普通の企業でも「本音」は会議ではなかなか表には出ません。会議の後の「ちょっと一杯やっていこう」という中で本音のやり取りになり、落としどころ、最終判断が決められる。首脳会議でも本番の後の密室でやり取りされているはずですが、報道はされない。政府による不都合な真実は50年後、100年後になって公開されたりしますが、記者とかジャーナリストは関係者に接近し、話を引き出し、その壁を突破して、真実を探っていく。


幸か不幸か、もう一度人間に生まれ変わっても、「色々な人から話を聞きだし、記事を書く」という、奇妙と言えば奇妙な、ちっとも飽きることのない、この記者という仕事に就くだろうとは思っています>


人皆飾ってモノを言うから、何となくいい子ぶりっ子の臭さがあるね。講演出席者は60歳前後の良家のご婦人が多いから、最初の「共産主義批判」はチンプンカンプンで皆眠くなっちゃうからカットした方がいいだろう。「話を聞きだす取材術」というテーマに合っているかどうか分からないが、まあ取材とは事前の準備と勉強は当然ながら(これを疎かにすると相手にされない)、取材中の真剣な態度が必須で、執筆に当たっては興味を引く文章術、そして「明確かつ正確な内容」伝達が求められる。


さらにテーマによっては「こうすべきだ」という記者(あるいはメディア)としての判断を求められ、「議論を進めるべきだ」とか「成り行きが注目される(略してナリチュウ)」という、判断を逃げるような記事は読者にバカにされることは覚えていた方がいい。


例えばある問題があり、読者は個人的には「こうすべきだ」と思っており、会議でそれを主張したい。その際に「○○新聞でもそう書いている」と自論を支えてくれる記事を求めているのだ。読者から「クソの役にも立たないナリチュウ記事は止めてくれ」と言われてから、小生は断定記事を心掛けるようになった。


「私はリベラル、地球とマイノリティに優しい人です」、こういう輩は表向きは自由民主人権法治を装うが、概ね容共で中露や北を叩くことはない。理想の社会は共産主義革命によって実現できると確信しているように見える。自由陣営のタガは緩みっぱなしだから、頭がおかしくなったプーチンは今を措いてチャンスはないと旧ソ連の再興を目指して暴れ出した。習近平は虎視眈々とアジア制覇を狙っている。金正恩は政権と民意が揺らいでいる韓国を併呑するには今がチャンスである。


NATOが立ち上がらなければプーチンに侵略されたウクライナは明日の欧州である。自業自得だ。それを見て中共は台湾、日本、豪州を攻撃するだろう。北は南へ侵攻する。西側諸国がボーっとしていれば中露北の21世紀版枢軸国の連戦連勝は間違いない。危機感も想像力もない、頭の劣化した国は亡びる。当たり前だ。


「記者の仕事 or 話を聞きだす取材術」というタイトルを想定して記事を書き進めていたら、いつの間にか戦争論になってしまった。カナリアは敏感ということか、あるいは小生の脳みそがイカレテいるのか。近くプーチンは核ミサイルでウクライナを制圧するだろう。蛇の道は蛇、キチ〇イにはそう思えるのだが・・・
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目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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