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雀庵の「大戦序章/12 露中北の赤色政権を根絶すべし」

2022-03-17 15:02:11 | 日記
雀庵の「大戦序章/12 露中北の赤色政権を根絶すべし」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/445 2022/3/17/水】夕べは散々だった。確定申告の用紙が届いていないの気付いて探してみたが、やはりない。申告期限は過ぎているから、明日は税理士に連絡してみよう、そうだ、「明日は明日の風が吹く(Tommorow is another day)」、風と共に去りぬ・・・ところが寝付いたら大地震!


2011年の「3.11」大震災そっくりで凄い揺れ。我が隔離室=ペントハウスは木造だからペシャンコになりそう、「神さま仏さま、どうか酷いことになりませんように」と祈るばかり。地震大国だから天にすがるしかないが、かねがね「日本海側が発展して太平洋側の発展が遅れたのはどういう訳だろう」と思っていた小生は、「これだ! 太平洋側は津波が多いから先人は避けたのだ。日本海側なら津波は少ないし、半島や大陸との交易にも便利だし!」と大発見?。幸いにも「3.16」大震災は大きな被害もないようだから一件落着。ああ良かった。


昨日は散歩を兼ねて図書館に予約本を取りに行った。カナダ出身の歴史家、マーガレット・マクミランの『戦争論-私たちにとって戦いとは』だ。


<Margaret MacMillan(1943年12月23日 - )は、カナダ・オンタリオ州トロント出身の歴史家。イギリス首相ロイド・ジョージの曾孫。トロント大学トリニティ・カレッジで現代史の修士号取得。オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで博士号を取得した。専門はイギリス帝国現代史、国際関係論。カナダ国際問題研究所のメンバー>(WIKI)


折角だから図書館の軍事コーナーも覗いたが、書架番号は「42‐1」、「死に至る」と覚えておこう。「戦略論大系 10 石原莞爾」「戦略論の名著 孫子、マキアヴェリから現代まで」も借りた。


昨年あたりから「今の世界のルーツは紀元前4000年あたり、以来、人類は人がましく(人間臭く)なってきたのではないか」と思うようになったので、宗教、哲学、戦争の歴史に興味津々。特にこのところは第3次世界大戦が始まっているという認識だから尚更に温故知新の欲望は増すばかり、病膏肓、ほとんどビョーキ。「人類史は戦争史でもある、戦争が今の時代を創った、これからの時代も戦争が創る」という論を広げて日本の覚醒を促したい、それなりに勉強しておかないと軽侮、シカトされてしまうので、いささか焦り気味。お迎えがいつ来るか分からないし・・・


小生は「キチ〇イめ」と罵倒されても屁の河童だが、「無知蒙昧の妄想性バカ」と非難されたら自己嫌悪に陥るから、保身のために“理論武装”に励んでいるという感じ。政治家は「慎重に検討し適切に判断する」という常套句で逃げるけれど、草莽崛起の市井の煽ってナンボの無名“口だけ戦士”は逃げたらそこでゲームセット。投げたら終わり、とは「スラムダンク」の安西先生の教えでもあるね。


マクミラン女史がロイド・ジョージの曾孫というのはちょっと面白い。「ロイド・ジョージは英国の政治家。27歳で自由党下院議員。ボーア戦争に反対して名をあげ,商務院総裁を経て,1908年アスキス内閣の蔵相となり,社会保障に力を注ぐため富者に対する課税増大を盛った画期的な予算を強行。第1次大戦中は軍需相,陸相を勤め,1916‐1922年首相となり強力な戦時体制を樹立して勝利に貢献,パリ講和会議の全権ともなった。労働党の進出と自由党の衰退により晩年は政界で孤立。1945年伯爵」(百科事典マイペディア)


ヒトラー・ドイツへの弱腰外交で有名なチェンバレン首相を引きづり降ろしたのはロイド・ジョージだという。貴族の血筋でマクミラン女史も貴族顔、小生を育ててくれた上司の内藤喜代司さんも大名の血筋で貴族顔(内藤家は今の新宿御苑に屋敷があり「内藤新宿」の語源になった)だが、貴族顔、貴種顔になるには最低でも300年はかかるのではないか。一朝一夕ではできないから「貴種」「名門」になる。


英国では戦争最前線に立って軍を率いるのが貴族のノブレスオブリージュだという。1979年に保守党党首のサッチャーが英国史上初の女性首相に就任し、アルゼンチンとのフォークランド紛争では米国のレーガン大統領の宥和策を蹴飛ばして勝利し、“鉄の女”と呼ばれた。彼女も名家のお嬢様で貴種顔だった(後に一代貴族)。


「ジョンブル魂」は英国版の「大和魂」。ヘタレのバイデンを見るにつけて日英同盟復活を期待したい感じになるが、片想いか。早速「戦争論」読み始めたが、知性と情熱を込めた序章がとても美しい。以下、ざっくり紹介する。


<「戦争」、この言葉は恐怖から賞賛まで、様々な感情を生じさせる。戦争を記憶し、戦争を考える行為そのものが戦争に近づくと思って、戦争から目を背けるものもいる。戦争に魅せられ、戦争に興奮し、心を引かれる者もいる。


私は歴史学者として、過去の意味を理解したいのなら、歴史研究の対象に戦争を含めるべきだと思う。戦争が与える影響は大きい。戦争を歴史から除外することは、人類の発展を促し、歴史を変えてきた地理、資源、思想、社会、政治の変化にも匹敵する、大きな力のうちの一つを無視することだ。


紀元前5世紀にペルシャ人がギリシャの都市国家を破っていたら・・・、16世紀にインカ帝国がピサロの遠征を打ち砕いていたなら・・・、ヒトラーが第2次世界大戦で勝っていたら・・・、現在の世界の姿は異なっていただろうか。想像するしかできないが、世界は違うものになったということは理解できる。


仮定の問いは、私たちがぶつかる難問の一部に過ぎない。「人間的であるとは?」「人間社会の本質とは?」、戦争はこうした本質的な問題を提起する。「戦争は人間の獣的な性質を芽生えさせるのか、それとも最善のものを生み出すのか?」、戦争に関わる多くの問題について言えることだが、考えの一致をみるのは難しい。


戦争は、社会集団として組織作りを始めた先祖の時代に「原罪」として織り込まれたものなのか? カインの印――争いを繰り返すことを非難して刻まれた呪いの印なのか? 予定通り都合よく話をまとめようという見方なのか? 社会の変化によって新たなタイプの戦争が起こるのか? 戦争が社会の変化を引き起こすのか? 戦争と社会はむしろパートナーであり、「危険だが生産的な関係にある」と捉えてもいいのか? 破壊的で残酷で無駄の多い戦争が、人類に恵みをもたらすということがあり得るのか? いずれも大切な問いだ。


戦争は例外的状況ではないし、早く忘れてしまった方が良い類のものでもない。普通の状態ではない、すなわち平和がない、という状態でもない。戦争と社会は深く織り込まれており、分かりやすい関係ではないということをとことん把握しない限り、歴史の重要な部分を見失ってしまう。


恐ろしく心が折れそうなテーマから目を背けたくなっても、私たちは向き合うべきなのだ。戦争は人類の歴史の方向を何度も変えた。未来への道を開くこともあれば、道を閉ざすこともあった。


私たちの時代に近づいて想像してみよう。もしドイツが1940年5月にダンケルクでイギリスおよび連合国軍を一掃し、その夏にバトル・オブ・ブリテンでイギリス戦闘機の司令部を破壊していたとしたら、どうなっていたのか。イギリス諸島はナチの所有物になっていた可能性がある。


戦争の本質は暴力で構成される。だが、社会が異なれば戦争のやり方も異なる。戦争が社会に変化と適応を引き起こすこともあれば、社会の変化が戦争に影響を及ぼすこともある。中央集権化した政府と、組織化した官僚機構を備えた今日の強力な国民国家は、何世紀にもわたる戦争の産物だ。


過去の勝利と敗北の記憶と記念碑が、国民の物語の一部となり、国民は自分たちを一つにまとめる物語を求める。国民自ら、自分たちが共有すると考える中央集権化した政治形態によって、大規模で長期の戦争を行うことができるようになる。戦争を行うことができる能力と、人間社会の進化は同じ物語の一部なのだ。


何世紀もかけて戦争は恐ろしさの度を高め、衝撃は大きくなった。私たちは過去に比べて多くの資源や、組織化が進んで複雑な社会を持つようになった。何百万人も動員して従軍させることもでき、以前と比べてはるかに大きな破壊能力もある。世界戦争、総力戦という言葉も生まれた。


西側の大学の大半は戦争研究を無視する。戦争を研究し、考えることが「戦争を認めることになるのではないか」と危惧するからだ。国際関係史、外交史、軍事史の研究者はいずれも、この分野が関心を持たれないことに不満顔だ。仕事もない。戦争や戦略の研究は、あったとしても、軍事史研究者がこぼれ話を掘り起こして、タメにならないお話を構築するという、どうでもいい話だ。何年も前に、学生にアピールできる歴史学部の課程について、教育コンサルタントに「戦争と社会」の名称を考えていると話したところ、コンサルタントは困った顔をし、「平和の歴史」にしてはと勧めてくれたものだ。


普段は意識していなくても、「戦争によって形作られた世界に生きている」のだから、戦争を無視するのは奇妙なことだ。戦争のせいで人々が移動し、逃げ、歴史から消えたこともあった。多くの国境が戦争で決まった。政府、国家が戦争により興亡した。


芸術、スポーツ、遊びから言葉、表現まで・・・戦争由来の事柄は溢れている。ニューヨークタイムズ2018年12月は、こう見出しを付けた。「トランプ、連日戦争。孤軍奮闘進む」(For Trump,a War Every Day,Waged Increasingly Alone)。


私たちの多くは、戦争を直接体験した人々が話してくれた物語を聞いたものだ。父の話は、護送船団に付き添うカナダ船に乗って大西洋を横断して地中海に入ったというものだったが、概ね楽しい内容だった。だが、たった一度だけ、船が危うく沈みそうになったことを話してくれたが、声が震え、話し続けることができなくなった。


ベルギーとフランスでは、今なお第1次世界大戦の不発弾による事故があり、農民、爆弾処理専門家、誤った場所を掘る労働者、木こりの間に犠牲者を出す。ロンドンとドイツの建設現場では第2次世界大戦の不発弾が見つかることがある。


スウェーデンでは考古学者が鎖帷子(くさりかたびら)を着た兵士の遺体を掘り出した。1361年にデンマークの侵入者と戦った仲間たちとともに殺されたのだ。2018年にはベルギーで宅地開発業者が第1次世界大戦で倒れた125人の兵士の遺体を発見した。主としてドイツ人だったが、連合国の兵士も含まれていた。2002年、青い軍服を着たままの何千という死体がビリニュス郊外の集団墓地で発見された。連隊の番号が付されたボタンがついていた。1812年、ナポレオンがモスクワから退却する間に彼らは死亡したのだ。


戦争はおそらく人間の活動の中でもっともよく組織されたもので、さらなる社会の組織化を刺激する。平時でも戦争の準備に当たっては政府が大きく社会を統制するが、近代になるとますますそうなる。戦争に対して求めるものが、能力に合わせて大きくなったからだ。


政府の力が増していくと戦争も進歩し、変化した。その多くについて私たちは良いことだと思うかもしれない。法と秩序、民主主義、福祉、教育、女性や労働者の地位向上、医療、科学技術の発展・・・私たちは互いの暴力を容認しなくなった。「利を得るために戦争をしよう」と思わない者が大半であるのは明らかだ。確かに利を得るには他の方法がある。だが、それを見つけたのだろうか。


戦争についてはこのようなパラドックスが数多くある。私たちは戦争を恐れているが、戦争に魅了されている部分もある。戦争の残忍性や無駄をおぞましく感じる一方で、兵士の勇気を称えることもあるし、戦争に対して危険な魅力を感じることもある。人間活動のうちの最も高貴なもののひとつである、と戦争を称えるものさえいる。


戦争は参加する者に同種の人間を殺すことを許容するが、大きな利他主義も求める。行き着くところ、自分の命を他の者のために進んで放棄することほど無私であることはあり得るのだろうか? 戦争を社会のカンフル剤ととらえる長い伝統を私たちは持っている。戦争を抱え込み、高貴な部分を引き出すのだ。


戦争を必要悪とか“掃除”“敵と己の穢れを粛清する消毒”とする見方はある。だが、私たちには戦争を悪、悲惨なもの以外何も生まないもの、取り返しのつかないほどの欠点があり、歴史の終わりまで私たちの運命を暴力に委ねる印として捉える、もう一つの長い伝統がある。


スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ*は正しい。戦争は謎だ。恐ろしいものだ。だからこそ、私たちは理解する努力を続けなければならない。


(*ベラルーシの女性作家、ジャーナリスト。父はベラルーシ人、母はウクライナ人。「戦争は女の顔をしていない」などの作品がある。2015年、ノーベル文学賞)>


なかなかいい論稿だ。敗戦後の日本では米国による洗脳で「戦争=悪」という見方が主流のようだが、大東亜戦争がなければ世界中は今なお欧米列強の植民地になっていたろう。そもそも古事記によれば神武東征という戦争で国家統一がなされ、明治維新、日清戦争、日露戦争がなければ日本は植民地になっていたかもしれない。世界の植民地解放でのノーベル賞は日本である。


戦争はないに越したことはないが、勝たないまでも負けないことが大事だ。攻撃力がなければロシアや中共の属国になることは確かで、今日のウクライナは明日の日本、台湾、アジアである。現在の日本では「露中北は危険な国」という知性、理性、良識を日本人は概ね共有していると小生は思っているが、「危険な国に侵略されないためには何よりも軍事力による戦闘能力と抑止力が必要である」ということをきちんと説いていくことがこれからはますます重要になる。


有志国と手を取り合って露中北の赤色政権を根絶する、これは21世紀の我らの崇高な天命だ。為せば成る、新しい歴史を創ろうぜ!
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目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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