雀庵の「大戦序章/10 戦わざる者は亡びる時代に」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/443 2022/3/14/月】小生は「哲学者になりたい」と思っているのだが、ニーチェの主著『ツァラトゥストラはかく語りき』はチンプンカンプンで、4回ほど挑戦した末に「こいつバカか? 脳ミソ、いかれてるんじゃねえの?」と突き放した。ま、正しくは撃退されたわけ。
最近、マルクス・ガブリエルの「歴史の針が巻き戻るとき」を読み始めて、これまたチンプンカンプンで「何かこいつ、ニーチェみたいだな、頭良過ぎておかしいんじゃね?」と、これまた拒絶されてしまった。
小生は「悪い奴ほど正義好き&粘着質」という、実に嫌な性格だから、己のプライドを棄損したニーチェ&ガブリエルを叩きたい、という下司の逆恨みがつのって、まずは調べてみた。
<ニーチェはドイツの哲学者。ザクセンの牧師の息子。ボン、ライプチヒ両大学に学び、ワーグナーとショーペンハウアーに傾倒した。24歳でスイスのバーゼル大学教授。1879年大学を辞し、10年に及ぶ漂泊を経て1889年発狂、ワイマールに没。
ニーチェはキリスト教的な道徳を否定し、人間自身の可能性を極限まで実現して、権力への意志を遂行する超人の道徳および永劫回帰の思想を説いた。二〇世紀ヨーロッパの思想・文学・芸術に対して巨大な影響を与えた。
著作群でなされたあらゆる「価値転倒の試み」にあっては、その矛先をソクラテス的主知主義、ドイツの教養俗物、ワーグナー、キリスト教的プラトン主義等々へと向けながら、一貫して生の充溢を彼岸へと回収するニヒリズムと形而上学の克服が目指されている。20世紀思想の責務はニーチェの課題の深化にあると言って過言ではなく、とりわけ構造主義以降の諸思潮に多様なかたちでのニーチェ再読の動きが見られる>日本国語大辞典、百科事典マイペディア。
この記述もオタクの世界みたいでチンプンカンプン、難しいなあ。ニーチェは小生より100年前に発狂しているから、まあ先輩だが、哲学とか宗教は「苦しんでいる人を救う」とか「良き社会にする」学問であり、理路整然と分かりやすく説くのが大事だと思うのだが・・・そう言えばお釈迦様自身も「突きつめていくと難しくなって、余程の人でないと理解してもらえない」と悩んでいたっけ。
ニーチェの学んだボン大学と言えば、ガブリエルはボン大学の教授ではなかったか。
<1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』は世界中でベストセラーとなった。さらに「新実存主義」「新しい啓蒙」と次々に新たな概念を語る>(プレジデントオンライン2022/3/12)
いずれにしても何を言いたいのか分からない、という文章はいただけない。もしかしたら小生自身が「哲学」という学問が分かっていないのかも知れない。調べたら、
<哲学は世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む>(デジタル大辞泉)
この説明が一番分かりやすかったが、要は「世界はどうあるべきか、国家や人間はどうあるべきか」を考える学問ということだろう。「人はなぜ戦争ができるのか…哲学者マルクス・ガブリエルが語る『非人間化』のワナ」(プレジデントオンライン 2022/3/12)から。
<ソーシャルメディアがビデオゲームやドローン攻撃と同様に私たちを非人間化するのは、真の人間ではないステレオタイプなアイデンティティを作り出すからです。真に人間的な自己決定は、ステレオタイプなアイデンティティではなく、非常に複雑なアイデンティティによって決まる関数です。
ソーシャルメディアが私を非人間化するのは、私が私自身について「ステレオタイプなアイデンティティとは異なるもの」として考える自由を奪うからです。ソーシャルメディアは私の他者性を攻撃し、現実には私と共通点のない他の人々に私を似せていくのです。
※注1:非人間化(dehumanization) ガブリエル氏は、「我々には普遍的な道徳的価値観(universal moral value)があり、違う文化がそれを覆っているだけだ」と述べている。「もし我々が皆、普遍的なヒューマニティ(人間性)に気づいていたとしたら、残忍な戦争を始められるはずがありません。真の本格的な戦争を始めようと思ったときに求められるのは、相手の非人間化(dehumanization)です」と述べている(PHP新書『世界史の針が巻き戻るとき』68頁)>
これを1、2回読んで何を言いたいのか分かる人はいるのだろうか。この論稿は短いのだが「注」が3つあっても小生には歯が立たなかった。ガブリエルの「歴史の針が巻き戻るとき」を読んでいたら、「一夫一婦制」以外は邪道というような記述があり、小生は「この人、キリスト教以外の宗教を邪教と思い込んでいる、寡婦対策として一夫多妻が必要だったというイスラム世界の事情を知らないようだ」と思ったが、ドイツ人は「私は優秀、私は正義」病が強すぎるのではないか。
ドイツ人は共産主義に溺れ、その後にはヒトラー・ナチスに篭絡されたが、有権者の半分はヒトラーに反対だった。ところがそれを表に出すとテロのターゲットになるので、黙るしかなかった。今でも野党のAfD(ドイツのための選択肢)は暴力的なアカ政党支持者から攻撃を受けている。
理性ではなく空気、気分で動き、最近ではショルツ首相が「ロシアを許さない! ウクライナを支援する!」と叫び、おお、ちっとはまともになったかと思っていたら、相変わらずエネルギーはロシア依存のままで、「だって寒いんだもん」。言うこととやっていることが正反対、正義だと思ってバカなことをやるのがドイツ人気質のようで、「信じてはいけない国」だということは肝に銘じておくべきだ。
ニーチェ&ガブリエルのみならず、米国もEUもプーチン・ロシアを非難しながら、侵略されているウクライナを孤軍奮闘させている。人道がどうだこうだと偉そうなことを言いながら、巻き添えを食いたくないから“口だけ”応援団。「外交とは国家利益の追求」と言うが、あまりにもえげつないと民度が堕落しまいか。「ウクライナ侵攻 不条理と不正義、暴力の世界 日本に必要な現実主義」日経2022/3/12から。
<正義とは「強者がいかに大をなしえ、弱者がいかに小なる譲歩をしうるかの可能性しか問題にならない」。古代ギリシャの歴史家・トゥキディデスの書にはこんな言葉がある。
ロシアが強大な軍でウクライナに侵攻した。ある日を境に生活は崩壊し死の恐怖が迫る。民間人も銃をとり、倒れていく。圧倒的な不条理と不正義、暴力に戦慄した人も多いはずだ。ゼレンスキー大統領は9日、産科病院が空爆を受けたと指摘し「大人や子供が残骸の下敷きになっている。残虐だ」と非難した。
ウクライナが国際社会に助けを求めると、国連総会は非難決議を採択し、米欧日は経済制裁を発動した。それでもプーチンは止まらない。国連や北大西洋条約機構(NATO)、米国が軍を投入して守ってくれるわけでもない。
ロシアと米英は1994年、ブダペスト覚書に署名した。核兵器の放棄を条件にウクライナの安全を約束する内容だった。2013年には中国の習近平が当時のウクライナ大統領・ヤヌコビッチと声明を出した。主権、領土の一体性を互いに支持し、ウクライナが核による侵略や威嚇にさらされれば「中国が相応の安全保障を提供する」と記した。
ロシアはその後、覚書を破り侵攻してクリミアを併合し、和平合意もほごにした。もちろんロシアの行為は犯罪だが、米英や中国も「ウクライナを守る約束」は履行してくれない。国際政治は冷徹で非情だ。
外交や政治学では現実主義と理想主義の相克がある。トゥキディデスは前者に名があがる。弱肉強食が正義という意味ではない。国家や人に道徳や倫理、正義を期待しても裏切られかねないという思考だ。
国際経済が発展し、各国が関係を深めれば戦争は減る。理想主義にはそんな期待もあった。主要7カ国(G7)首脳会議もG8としてプーチンを招いた時期がある。オバマ米政権期は米中のG2で国際秩序を主導する案も浮上した。
現実主義が性悪説なら、理想主義は性善説とされる。どちらが正しいとはいえない。一方に偏りすぎないバランスが重要だ。
今回、外交関係者が頻繁に口にする事例がある。1938年のミュンヘン会議だ。ナチスドイツがチェコスロバキア・ズデーデン地方の割譲を要求した。「迫害されるドイツ系住民の保護が必要」との主張だった。チェンバレン英首相が要求をのんだ結果、ヒトラーの増長と第2次世界大戦を招いた、との評が多い。
示唆になるのは「ロシア系住民の保護」を唱えて侵略したロシアの手口が似ていることだけではない。専制的国家の独裁者に外交努力で接しても、平和が守れない怖さがある点だ。
日本には日米同盟があり、米国が守ってくれる――。そうかもしれないが、約束に絶対はないというのは今回も分かった。国際情勢やときの米指導者で履行の度合いも変わる。
理想主義や平和主義が強いとされたドイツでさえ、この局面で防衛予算の大幅増を決めた。米欧は欧州に注力する。極東で中国や北朝鮮、ロシアに対峙する日本は一層、役割を自覚しなければならない。
安全保障が専門の神保謙・慶大教授は「現実主義の安保の一番大事な要素はパワー(力)だ。いくら約束事をしてもパワーの前では目立たない」と話す。
政府は年末に外交・防衛の基本方針「国家安保戦略」を改定する。神保氏は「日本もリスクをとるんだ、と米国が納得する必要がある」と説く。冷徹な世界に立ちすくむのではなく、現実主義での一歩が重要になる。(佐藤理)>
この記事は理解できるし、賛同できる。一方でガブリエルの論稿はちっとも理解できないし、そもそも理解されたいという熱意も努力も感じられない。哲学オタクの内輪世界でのゲームのよう。こんなものを哲学だとやって来た末に、大学の哲学科出身者は出版・マスコミ業界にも結構、就職するそうだが、代表的な企業はNHK、朝日新聞、西日本新聞、中国新聞、ジャパンタイムズだという。見事に日本を代表するアカメディアで、哲学はアカ養成の言葉遊びの学問に堕したか。
マキャベリやモンテーニュは命懸けで己の思想、哲学を説いた。人間の本質を突いた。だから時空を超えて今なお読まれている。共産主義革命を唱えたカール・マルクスは結局、特権階級だけが美味しい思いをする狂気の独裁国家を創っただけだった。今どき先進国で共産主義革命を信奉、希求しているのは日共だけである。ほとんど邪教だが、議員報酬やお布施で食えるからサナダムシのような彼らにとって日本はこの世の天国だ。そのうち自滅するだろう。
血の滲むような真剣勝負のない空疎な、幻惑的な言葉を並べるのを哲学と称するのなら、哲学は無用の学問でしかない。切れない刀、弾丸の出ない銃、毒にも薬にもならない言葉・・・そういう偽物、フォニーが通用するおめでたい時代は終わったのだ。戦わざる者は亡びる、世界も日本も大きな岐路にある。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/443 2022/3/14/月】小生は「哲学者になりたい」と思っているのだが、ニーチェの主著『ツァラトゥストラはかく語りき』はチンプンカンプンで、4回ほど挑戦した末に「こいつバカか? 脳ミソ、いかれてるんじゃねえの?」と突き放した。ま、正しくは撃退されたわけ。
最近、マルクス・ガブリエルの「歴史の針が巻き戻るとき」を読み始めて、これまたチンプンカンプンで「何かこいつ、ニーチェみたいだな、頭良過ぎておかしいんじゃね?」と、これまた拒絶されてしまった。
小生は「悪い奴ほど正義好き&粘着質」という、実に嫌な性格だから、己のプライドを棄損したニーチェ&ガブリエルを叩きたい、という下司の逆恨みがつのって、まずは調べてみた。
<ニーチェはドイツの哲学者。ザクセンの牧師の息子。ボン、ライプチヒ両大学に学び、ワーグナーとショーペンハウアーに傾倒した。24歳でスイスのバーゼル大学教授。1879年大学を辞し、10年に及ぶ漂泊を経て1889年発狂、ワイマールに没。
ニーチェはキリスト教的な道徳を否定し、人間自身の可能性を極限まで実現して、権力への意志を遂行する超人の道徳および永劫回帰の思想を説いた。二〇世紀ヨーロッパの思想・文学・芸術に対して巨大な影響を与えた。
著作群でなされたあらゆる「価値転倒の試み」にあっては、その矛先をソクラテス的主知主義、ドイツの教養俗物、ワーグナー、キリスト教的プラトン主義等々へと向けながら、一貫して生の充溢を彼岸へと回収するニヒリズムと形而上学の克服が目指されている。20世紀思想の責務はニーチェの課題の深化にあると言って過言ではなく、とりわけ構造主義以降の諸思潮に多様なかたちでのニーチェ再読の動きが見られる>日本国語大辞典、百科事典マイペディア。
この記述もオタクの世界みたいでチンプンカンプン、難しいなあ。ニーチェは小生より100年前に発狂しているから、まあ先輩だが、哲学とか宗教は「苦しんでいる人を救う」とか「良き社会にする」学問であり、理路整然と分かりやすく説くのが大事だと思うのだが・・・そう言えばお釈迦様自身も「突きつめていくと難しくなって、余程の人でないと理解してもらえない」と悩んでいたっけ。
ニーチェの学んだボン大学と言えば、ガブリエルはボン大学の教授ではなかったか。
<1980年生まれ。史上最年少の29歳で、200年以上の伝統を誇るボン大学の正教授に就任。西洋哲学の伝統に根ざしつつ、「新しい実在論」を提唱して世界的に注目される。著書『なぜ世界は存在しないのか』は世界中でベストセラーとなった。さらに「新実存主義」「新しい啓蒙」と次々に新たな概念を語る>(プレジデントオンライン2022/3/12)
いずれにしても何を言いたいのか分からない、という文章はいただけない。もしかしたら小生自身が「哲学」という学問が分かっていないのかも知れない。調べたら、
<哲学は世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む>(デジタル大辞泉)
この説明が一番分かりやすかったが、要は「世界はどうあるべきか、国家や人間はどうあるべきか」を考える学問ということだろう。「人はなぜ戦争ができるのか…哲学者マルクス・ガブリエルが語る『非人間化』のワナ」(プレジデントオンライン 2022/3/12)から。
<ソーシャルメディアがビデオゲームやドローン攻撃と同様に私たちを非人間化するのは、真の人間ではないステレオタイプなアイデンティティを作り出すからです。真に人間的な自己決定は、ステレオタイプなアイデンティティではなく、非常に複雑なアイデンティティによって決まる関数です。
ソーシャルメディアが私を非人間化するのは、私が私自身について「ステレオタイプなアイデンティティとは異なるもの」として考える自由を奪うからです。ソーシャルメディアは私の他者性を攻撃し、現実には私と共通点のない他の人々に私を似せていくのです。
※注1:非人間化(dehumanization) ガブリエル氏は、「我々には普遍的な道徳的価値観(universal moral value)があり、違う文化がそれを覆っているだけだ」と述べている。「もし我々が皆、普遍的なヒューマニティ(人間性)に気づいていたとしたら、残忍な戦争を始められるはずがありません。真の本格的な戦争を始めようと思ったときに求められるのは、相手の非人間化(dehumanization)です」と述べている(PHP新書『世界史の針が巻き戻るとき』68頁)>
これを1、2回読んで何を言いたいのか分かる人はいるのだろうか。この論稿は短いのだが「注」が3つあっても小生には歯が立たなかった。ガブリエルの「歴史の針が巻き戻るとき」を読んでいたら、「一夫一婦制」以外は邪道というような記述があり、小生は「この人、キリスト教以外の宗教を邪教と思い込んでいる、寡婦対策として一夫多妻が必要だったというイスラム世界の事情を知らないようだ」と思ったが、ドイツ人は「私は優秀、私は正義」病が強すぎるのではないか。
ドイツ人は共産主義に溺れ、その後にはヒトラー・ナチスに篭絡されたが、有権者の半分はヒトラーに反対だった。ところがそれを表に出すとテロのターゲットになるので、黙るしかなかった。今でも野党のAfD(ドイツのための選択肢)は暴力的なアカ政党支持者から攻撃を受けている。
理性ではなく空気、気分で動き、最近ではショルツ首相が「ロシアを許さない! ウクライナを支援する!」と叫び、おお、ちっとはまともになったかと思っていたら、相変わらずエネルギーはロシア依存のままで、「だって寒いんだもん」。言うこととやっていることが正反対、正義だと思ってバカなことをやるのがドイツ人気質のようで、「信じてはいけない国」だということは肝に銘じておくべきだ。
ニーチェ&ガブリエルのみならず、米国もEUもプーチン・ロシアを非難しながら、侵略されているウクライナを孤軍奮闘させている。人道がどうだこうだと偉そうなことを言いながら、巻き添えを食いたくないから“口だけ”応援団。「外交とは国家利益の追求」と言うが、あまりにもえげつないと民度が堕落しまいか。「ウクライナ侵攻 不条理と不正義、暴力の世界 日本に必要な現実主義」日経2022/3/12から。
<正義とは「強者がいかに大をなしえ、弱者がいかに小なる譲歩をしうるかの可能性しか問題にならない」。古代ギリシャの歴史家・トゥキディデスの書にはこんな言葉がある。
ロシアが強大な軍でウクライナに侵攻した。ある日を境に生活は崩壊し死の恐怖が迫る。民間人も銃をとり、倒れていく。圧倒的な不条理と不正義、暴力に戦慄した人も多いはずだ。ゼレンスキー大統領は9日、産科病院が空爆を受けたと指摘し「大人や子供が残骸の下敷きになっている。残虐だ」と非難した。
ウクライナが国際社会に助けを求めると、国連総会は非難決議を採択し、米欧日は経済制裁を発動した。それでもプーチンは止まらない。国連や北大西洋条約機構(NATO)、米国が軍を投入して守ってくれるわけでもない。
ロシアと米英は1994年、ブダペスト覚書に署名した。核兵器の放棄を条件にウクライナの安全を約束する内容だった。2013年には中国の習近平が当時のウクライナ大統領・ヤヌコビッチと声明を出した。主権、領土の一体性を互いに支持し、ウクライナが核による侵略や威嚇にさらされれば「中国が相応の安全保障を提供する」と記した。
ロシアはその後、覚書を破り侵攻してクリミアを併合し、和平合意もほごにした。もちろんロシアの行為は犯罪だが、米英や中国も「ウクライナを守る約束」は履行してくれない。国際政治は冷徹で非情だ。
外交や政治学では現実主義と理想主義の相克がある。トゥキディデスは前者に名があがる。弱肉強食が正義という意味ではない。国家や人に道徳や倫理、正義を期待しても裏切られかねないという思考だ。
国際経済が発展し、各国が関係を深めれば戦争は減る。理想主義にはそんな期待もあった。主要7カ国(G7)首脳会議もG8としてプーチンを招いた時期がある。オバマ米政権期は米中のG2で国際秩序を主導する案も浮上した。
現実主義が性悪説なら、理想主義は性善説とされる。どちらが正しいとはいえない。一方に偏りすぎないバランスが重要だ。
今回、外交関係者が頻繁に口にする事例がある。1938年のミュンヘン会議だ。ナチスドイツがチェコスロバキア・ズデーデン地方の割譲を要求した。「迫害されるドイツ系住民の保護が必要」との主張だった。チェンバレン英首相が要求をのんだ結果、ヒトラーの増長と第2次世界大戦を招いた、との評が多い。
示唆になるのは「ロシア系住民の保護」を唱えて侵略したロシアの手口が似ていることだけではない。専制的国家の独裁者に外交努力で接しても、平和が守れない怖さがある点だ。
日本には日米同盟があり、米国が守ってくれる――。そうかもしれないが、約束に絶対はないというのは今回も分かった。国際情勢やときの米指導者で履行の度合いも変わる。
理想主義や平和主義が強いとされたドイツでさえ、この局面で防衛予算の大幅増を決めた。米欧は欧州に注力する。極東で中国や北朝鮮、ロシアに対峙する日本は一層、役割を自覚しなければならない。
安全保障が専門の神保謙・慶大教授は「現実主義の安保の一番大事な要素はパワー(力)だ。いくら約束事をしてもパワーの前では目立たない」と話す。
政府は年末に外交・防衛の基本方針「国家安保戦略」を改定する。神保氏は「日本もリスクをとるんだ、と米国が納得する必要がある」と説く。冷徹な世界に立ちすくむのではなく、現実主義での一歩が重要になる。(佐藤理)>
この記事は理解できるし、賛同できる。一方でガブリエルの論稿はちっとも理解できないし、そもそも理解されたいという熱意も努力も感じられない。哲学オタクの内輪世界でのゲームのよう。こんなものを哲学だとやって来た末に、大学の哲学科出身者は出版・マスコミ業界にも結構、就職するそうだが、代表的な企業はNHK、朝日新聞、西日本新聞、中国新聞、ジャパンタイムズだという。見事に日本を代表するアカメディアで、哲学はアカ養成の言葉遊びの学問に堕したか。
マキャベリやモンテーニュは命懸けで己の思想、哲学を説いた。人間の本質を突いた。だから時空を超えて今なお読まれている。共産主義革命を唱えたカール・マルクスは結局、特権階級だけが美味しい思いをする狂気の独裁国家を創っただけだった。今どき先進国で共産主義革命を信奉、希求しているのは日共だけである。ほとんど邪教だが、議員報酬やお布施で食えるからサナダムシのような彼らにとって日本はこの世の天国だ。そのうち自滅するだろう。
血の滲むような真剣勝負のない空疎な、幻惑的な言葉を並べるのを哲学と称するのなら、哲学は無用の学問でしかない。切れない刀、弾丸の出ない銃、毒にも薬にもならない言葉・・・そういう偽物、フォニーが通用するおめでたい時代は終わったのだ。戦わざる者は亡びる、世界も日本も大きな岐路にある。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
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