雀庵の「大戦序章/19)プーチン排除の自由民主革命を」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/452 2022/3/31/木】戦後生まれの小生が知った生の戦争は「ベトナム戦争」だった。中学生の1965年頃だったが、NHKの「特派員報告」の影響を受けて「大人になったら特派員になりたい」と思ったものである。「サイゴンから修一がお伝えしました」なんてカッコイイナー、男の仕事だなあ、と憧れたことを覚えている。
ベトナム戦争は日米欧の多くの若者が米国を侵略者として反米運動を進め、同時に米国を支援する自国の政府を叩く運動になり、実際には「新左翼=ニューレフトという過激派の共産主義革命運動」になってしまった。純粋無垢な“無知の涙”、小生もその一人で、お縄を頂戴したが、10年裁判はきつかったなあ、自業自得だけれど。
1975年4月のサイゴン陥落まで「北ベトナムはイイモン、南ベトナム政府と米国はワルモン」というのが多くの若者、マスコミ、学識者の共通の判断だった。ところが北ベトナムが勝利、進攻、進駐してから、そういう判断が揺らいだ。
「ベトナム戦争終結の1975年の4月30日、2台のソ連製843号戦車がフェンスを破って南ベトナムの大統領官邸に押し入り占拠した。それが事実上の戦争終焉のサインになった。843型に乗っていた隊長が官邸の屋上に登り、北ベトナム国旗を立てた」(ベトナム軍事歴史博物館案内)。南ベトナムの人々、特に華人は粗末な筏まで使って他国へ逃げ出した。
<インドシナ3国からの難民の総数は約144万人に達し、その内約130万人がアジア地域の難民キャンプを経て米豪加仏、日本など第三国に移住した。ベトナム脱出の手段としてボートを用いた人々を特にボート・ピープルと呼んだ>(WIKI)
ベトナム統一後の1977年1月に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は政府から「歴史的役割を輝かしく完遂した」とされ、事実上厄介払いされた。ベトコンの多くは戦後復興にあたって“勝者”として腕を振るえると思っていたから、北ベトナムに弊履の如く捨てられたのは裏切られた思いだったという。共産主義者を信じたのが間違いだったのだ。
さて「大戦序章/17)勝つために戦争のイロハを学ぶ」3/27の続き。
前回は<森鴎外が陸軍省の派遣留学生としてドイツに滞在したのはドイツの軍事学、欧米先進国の軍事事情を学ぶためだった。明治初期以来の「富国強兵」において鴎外が持ち帰っただろうクラウゼヴィッツの「戦争論」や「近代ドイツ陸軍の父」と呼ばれる参謀総長・元帥モルトケの戦略・戦術は日本陸軍に多大な影響を与えたと言える>と書いた。今回はこのヘルムート・フォン・モルトケに焦点を当てる。
<モルトケ(1800年10月26日 - 1891年4月24日) は、プロイセン及びドイツの貴族、軍人、政治家、軍事学者。1858年から1888年にかけてプロイセン参謀総長を務め、(バラバラだった)ドイツ(民族)統一に貢献した。1858年から1888年にかけてプロイセン参謀総長を務め、対デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争を勝利に導き、ドイツ統一に貢献した。近代ドイツ陸軍の父と呼ばれる。
1823年10月にベルリンのプロイセン陸軍大学に入学した。当時の陸軍大学校長は『戦争論』の著者として知られるカール・フォン・クラウゼヴィッツ少将であったが、クラウゼヴィッツから直接に教えを受ける機会はなかった。
モルトケには「戦争に時代や状況を飛び越えた一般原則は存在しない」「戦史から勝利の公式を見つけることはできない」という持論があった。そのためモルトケはこれまでの軍事の常識を簡単に捨て去ることができた。
明治日本は、1884年にお雇い外国人として来日したモルトケの弟子クレメンス・メッケル少佐の協力を得て、ドイツ式軍制を導入する改革を断行した。またメッケルの教鞭によって陸軍大学にドイツ型参謀教育が確立されていった。ドイツ式軍制に生まれ変わった日本軍は日清戦争と日露戦争に勝利して成果を示した>(WIKI)
モルトケ流メッケルはチョンマゲを切り落としたばかりの初心な日本に何を教えたのか。サイト「軍事学を学ぶ」にはこうある。
<軍事学におけるモルトケの功績は、クラウゼヴィッツの研究で得られた知見をさらに発展させ、「実際の作戦行動に応用する方法を示した」ことだといわれている。モルトケを評して「クラウゼヴィッツが唱えた戦争の殲滅の原理を基礎に置き、決戦によって敵を捕捉撃滅することの戦略的な重要性を主張、実践の領域に適用し新しい作戦指導を可能にした」という評価もある。
モルトケの思想の特徴の一つは、要塞を連ねての防衛線保持よりも、「野戦軍の運用を工夫し、分進合撃などの機動で敵を圧倒することが重要」と考えた。また「実践的な戦略思想」の在り方を示し、「各級指揮官が主体的、主動的に戦闘を指揮することができる」ように、訓令戦術を導入したことでも評価されており、これは「刻々と変化する戦闘の状況に組織が柔軟に対応する上で大きな効果を発揮」した>
石原莞爾は「最終戦争論」でモルトケを高く評価しており、「戦争史大観」(1941年)にある「最終戦争論」もその影響を受けているとか。
いずれにしても石ころと火炎瓶、ゲバ棒をもっての突撃しか知らないドシロウトの小生には難しくてチンプンカンプンだ。「プーチン・カンプンを痛めつける方法はないものか」と探したら鈴木衛士・元航空自衛隊情報幹部の「プーチンの大量破壊兵器投入、国際社会がエスカレーションを止める3つのポイント」(サキシル2022/3/28)があった。キモは――
<【ロシアのエスカレーションを阻止するには】結論を言えば、プーチン大統領に、「ABC兵器を使用しても目的は果たせそうにない。ここは交渉によって一旦停戦を成立させ、長期において目的を果たせればよい」と判断させることだ。
このために必要なことは、暴力団への対応と同様に、1)相手の脅しに決して屈しないこと、2)力による対応では目的を果たせないと悟らせること、3)必要以上に追い詰めない(逃げ道を作為する)こと、である。
具体的にいえば、1)については、センセーショナルに報じられている第3次世界大戦や核戦争という事態に、いたずらに脅えないことである。交渉を長引かせて次の手を考えているプーチンは、決して狂ってなどいない。冷静な判断ができると考えられる。したがって、米軍を始めとするNATO軍は、レッドラインを明確にし、「一線を越えれば座視しない。被害がウクライナ周辺国にも及ぶようなABC兵器を使用すれば、必ず軍事的対応をする」と明言してその準備を進めるべきであろう。
現時点でウクライナに侵攻しているロシア軍にNATO軍が攻勢をかければ、ロシア軍はとても耐えられないだろう。それはロシア側も十分認識していることは間違いない。今、このタイミングで米国などがロシアに対して一定の軍事的圧力をかける行動こそが、交渉を加速させることに繋がると筆者は考えている。
2)については、前述の行動をとった場合、プーチンは「米軍などがウクライナのロシア軍に攻撃を仕掛けた場合、戦略核兵器の使用もあり得る」と脅してくるだろう。その際は、バイデン米国が「一発でも戦略核兵器を使用すれば、その日のうちにロシアという国は消えてなくなるだろう」と、トランプが北朝鮮に対して言い放ったように、掛け合いで負けないことだ。
3)については、前述の1)2)の手段と並行して、第3国を交えた外交手段を駆使し、プーチンがどの線まで譲歩できるのかを探り、ウクライナを支援することによって早期に停戦の実現を目指すことこそが、最終的に現状を打開する糸口につながるということは言うまでもないだろう。
停戦交渉が成立しても、その際の条件をロシアがその後守るかどうかは疑わしいが、いったん戦闘停止命令が出れば、ロシア軍の士気は一気に緩み、将兵の戦意は失われるであろう。
そして、時間が経つにつれ、今回の戦争の悲惨さとその結果による負の遺産の余りの大きさにロシアの大多数の国民が気付いた時、プーチンの時代が終わるのではないだろうか>
「いったん戦闘停止命令が出れば、ロシア軍の士気は一気に緩み、将兵の戦意は失われる、プーチンの時代が終わる」・・・そうなることを祈るが、西側諸国による強烈な包囲網が10年も続くとロシアとその仲間(中共、北、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、アブハジア、南オセチア、シリア、ブラジル、キューバ、アルゼンチン、そしてインド?)では経済低迷を余儀なくされる、これは確かだ。
大国の中共とその敵である大国のインドは、ロシアとは持ちつ持たれつの怪しい関係にあるが、それ以外の国は経済力から見てもとてもロシアの助っ人にはなりそうもない。このままではロシア国民は日用品の物不足、さらに食糧難で飢え、以前のように店には長い行列ができ、やがてオウツカがなくなれば男は確実に暴動を起こすだろう。
ウクライナの北にあるベラルーシは、プーチンの犬のような大統領ルカシェンコがロシア支持を掲げているが、ベラルーシの野党からは「ロシアの野蛮な行為に協力するルカシェンコ政権への制裁」を世界に求める声もあがっているという(六辻彰二・国際政治学者「ベラルーシはなぜロシアに協力的?」2020/3/3)。
「英チャタムハウスが不自由な中でも時々、ベラルーシで世論調査らしきものをやってくれているのは助かる」と言うロシア・ウオッチャーの「服部倫卓ブログ」2020/3/30によれば――
<ロシアによるウクライナ侵略を受け、チャタムハウスは3月5~14日にベラルーシ国民896人を対象に本件に関する意識調査を行った。「ロシアの行動を支持するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:28%」「完全な中立を表明し、外国の軍隊はすべてベラルーシから撤収させる:25%」「ロシアの行動を非難するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:15%」「ウクライナを支持するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:4%」「ロシア側に付いて紛争に関与する:3%」だった>
盟友のはずのベラルーシ国民でさえもプーチンを見放しているということだ。発狂帝暴君プーチン一派を排除する「自由民主革命」という体制変換をしなければロシアの明日はないだろう。強権独裁を排除し、家族と同胞により良きロシアを手渡す・・・己の命より大事な大義のために今こそロシア人は立ち上がるべきだ。世界は必ず支援するだろう。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/452 2022/3/31/木】戦後生まれの小生が知った生の戦争は「ベトナム戦争」だった。中学生の1965年頃だったが、NHKの「特派員報告」の影響を受けて「大人になったら特派員になりたい」と思ったものである。「サイゴンから修一がお伝えしました」なんてカッコイイナー、男の仕事だなあ、と憧れたことを覚えている。
ベトナム戦争は日米欧の多くの若者が米国を侵略者として反米運動を進め、同時に米国を支援する自国の政府を叩く運動になり、実際には「新左翼=ニューレフトという過激派の共産主義革命運動」になってしまった。純粋無垢な“無知の涙”、小生もその一人で、お縄を頂戴したが、10年裁判はきつかったなあ、自業自得だけれど。
1975年4月のサイゴン陥落まで「北ベトナムはイイモン、南ベトナム政府と米国はワルモン」というのが多くの若者、マスコミ、学識者の共通の判断だった。ところが北ベトナムが勝利、進攻、進駐してから、そういう判断が揺らいだ。
「ベトナム戦争終結の1975年の4月30日、2台のソ連製843号戦車がフェンスを破って南ベトナムの大統領官邸に押し入り占拠した。それが事実上の戦争終焉のサインになった。843型に乗っていた隊長が官邸の屋上に登り、北ベトナム国旗を立てた」(ベトナム軍事歴史博物館案内)。南ベトナムの人々、特に華人は粗末な筏まで使って他国へ逃げ出した。
<インドシナ3国からの難民の総数は約144万人に達し、その内約130万人がアジア地域の難民キャンプを経て米豪加仏、日本など第三国に移住した。ベトナム脱出の手段としてボートを用いた人々を特にボート・ピープルと呼んだ>(WIKI)
ベトナム統一後の1977年1月に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は政府から「歴史的役割を輝かしく完遂した」とされ、事実上厄介払いされた。ベトコンの多くは戦後復興にあたって“勝者”として腕を振るえると思っていたから、北ベトナムに弊履の如く捨てられたのは裏切られた思いだったという。共産主義者を信じたのが間違いだったのだ。
さて「大戦序章/17)勝つために戦争のイロハを学ぶ」3/27の続き。
前回は<森鴎外が陸軍省の派遣留学生としてドイツに滞在したのはドイツの軍事学、欧米先進国の軍事事情を学ぶためだった。明治初期以来の「富国強兵」において鴎外が持ち帰っただろうクラウゼヴィッツの「戦争論」や「近代ドイツ陸軍の父」と呼ばれる参謀総長・元帥モルトケの戦略・戦術は日本陸軍に多大な影響を与えたと言える>と書いた。今回はこのヘルムート・フォン・モルトケに焦点を当てる。
<モルトケ(1800年10月26日 - 1891年4月24日) は、プロイセン及びドイツの貴族、軍人、政治家、軍事学者。1858年から1888年にかけてプロイセン参謀総長を務め、(バラバラだった)ドイツ(民族)統一に貢献した。1858年から1888年にかけてプロイセン参謀総長を務め、対デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争を勝利に導き、ドイツ統一に貢献した。近代ドイツ陸軍の父と呼ばれる。
1823年10月にベルリンのプロイセン陸軍大学に入学した。当時の陸軍大学校長は『戦争論』の著者として知られるカール・フォン・クラウゼヴィッツ少将であったが、クラウゼヴィッツから直接に教えを受ける機会はなかった。
モルトケには「戦争に時代や状況を飛び越えた一般原則は存在しない」「戦史から勝利の公式を見つけることはできない」という持論があった。そのためモルトケはこれまでの軍事の常識を簡単に捨て去ることができた。
明治日本は、1884年にお雇い外国人として来日したモルトケの弟子クレメンス・メッケル少佐の協力を得て、ドイツ式軍制を導入する改革を断行した。またメッケルの教鞭によって陸軍大学にドイツ型参謀教育が確立されていった。ドイツ式軍制に生まれ変わった日本軍は日清戦争と日露戦争に勝利して成果を示した>(WIKI)
モルトケ流メッケルはチョンマゲを切り落としたばかりの初心な日本に何を教えたのか。サイト「軍事学を学ぶ」にはこうある。
<軍事学におけるモルトケの功績は、クラウゼヴィッツの研究で得られた知見をさらに発展させ、「実際の作戦行動に応用する方法を示した」ことだといわれている。モルトケを評して「クラウゼヴィッツが唱えた戦争の殲滅の原理を基礎に置き、決戦によって敵を捕捉撃滅することの戦略的な重要性を主張、実践の領域に適用し新しい作戦指導を可能にした」という評価もある。
モルトケの思想の特徴の一つは、要塞を連ねての防衛線保持よりも、「野戦軍の運用を工夫し、分進合撃などの機動で敵を圧倒することが重要」と考えた。また「実践的な戦略思想」の在り方を示し、「各級指揮官が主体的、主動的に戦闘を指揮することができる」ように、訓令戦術を導入したことでも評価されており、これは「刻々と変化する戦闘の状況に組織が柔軟に対応する上で大きな効果を発揮」した>
石原莞爾は「最終戦争論」でモルトケを高く評価しており、「戦争史大観」(1941年)にある「最終戦争論」もその影響を受けているとか。
いずれにしても石ころと火炎瓶、ゲバ棒をもっての突撃しか知らないドシロウトの小生には難しくてチンプンカンプンだ。「プーチン・カンプンを痛めつける方法はないものか」と探したら鈴木衛士・元航空自衛隊情報幹部の「プーチンの大量破壊兵器投入、国際社会がエスカレーションを止める3つのポイント」(サキシル2022/3/28)があった。キモは――
<【ロシアのエスカレーションを阻止するには】結論を言えば、プーチン大統領に、「ABC兵器を使用しても目的は果たせそうにない。ここは交渉によって一旦停戦を成立させ、長期において目的を果たせればよい」と判断させることだ。
このために必要なことは、暴力団への対応と同様に、1)相手の脅しに決して屈しないこと、2)力による対応では目的を果たせないと悟らせること、3)必要以上に追い詰めない(逃げ道を作為する)こと、である。
具体的にいえば、1)については、センセーショナルに報じられている第3次世界大戦や核戦争という事態に、いたずらに脅えないことである。交渉を長引かせて次の手を考えているプーチンは、決して狂ってなどいない。冷静な判断ができると考えられる。したがって、米軍を始めとするNATO軍は、レッドラインを明確にし、「一線を越えれば座視しない。被害がウクライナ周辺国にも及ぶようなABC兵器を使用すれば、必ず軍事的対応をする」と明言してその準備を進めるべきであろう。
現時点でウクライナに侵攻しているロシア軍にNATO軍が攻勢をかければ、ロシア軍はとても耐えられないだろう。それはロシア側も十分認識していることは間違いない。今、このタイミングで米国などがロシアに対して一定の軍事的圧力をかける行動こそが、交渉を加速させることに繋がると筆者は考えている。
2)については、前述の行動をとった場合、プーチンは「米軍などがウクライナのロシア軍に攻撃を仕掛けた場合、戦略核兵器の使用もあり得る」と脅してくるだろう。その際は、バイデン米国が「一発でも戦略核兵器を使用すれば、その日のうちにロシアという国は消えてなくなるだろう」と、トランプが北朝鮮に対して言い放ったように、掛け合いで負けないことだ。
3)については、前述の1)2)の手段と並行して、第3国を交えた外交手段を駆使し、プーチンがどの線まで譲歩できるのかを探り、ウクライナを支援することによって早期に停戦の実現を目指すことこそが、最終的に現状を打開する糸口につながるということは言うまでもないだろう。
停戦交渉が成立しても、その際の条件をロシアがその後守るかどうかは疑わしいが、いったん戦闘停止命令が出れば、ロシア軍の士気は一気に緩み、将兵の戦意は失われるであろう。
そして、時間が経つにつれ、今回の戦争の悲惨さとその結果による負の遺産の余りの大きさにロシアの大多数の国民が気付いた時、プーチンの時代が終わるのではないだろうか>
「いったん戦闘停止命令が出れば、ロシア軍の士気は一気に緩み、将兵の戦意は失われる、プーチンの時代が終わる」・・・そうなることを祈るが、西側諸国による強烈な包囲網が10年も続くとロシアとその仲間(中共、北、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、アブハジア、南オセチア、シリア、ブラジル、キューバ、アルゼンチン、そしてインド?)では経済低迷を余儀なくされる、これは確かだ。
大国の中共とその敵である大国のインドは、ロシアとは持ちつ持たれつの怪しい関係にあるが、それ以外の国は経済力から見てもとてもロシアの助っ人にはなりそうもない。このままではロシア国民は日用品の物不足、さらに食糧難で飢え、以前のように店には長い行列ができ、やがてオウツカがなくなれば男は確実に暴動を起こすだろう。
ウクライナの北にあるベラルーシは、プーチンの犬のような大統領ルカシェンコがロシア支持を掲げているが、ベラルーシの野党からは「ロシアの野蛮な行為に協力するルカシェンコ政権への制裁」を世界に求める声もあがっているという(六辻彰二・国際政治学者「ベラルーシはなぜロシアに協力的?」2020/3/3)。
「英チャタムハウスが不自由な中でも時々、ベラルーシで世論調査らしきものをやってくれているのは助かる」と言うロシア・ウオッチャーの「服部倫卓ブログ」2020/3/30によれば――
<ロシアによるウクライナ侵略を受け、チャタムハウスは3月5~14日にベラルーシ国民896人を対象に本件に関する意識調査を行った。「ロシアの行動を支持するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:28%」「完全な中立を表明し、外国の軍隊はすべてベラルーシから撤収させる:25%」「ロシアの行動を非難するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:15%」「ウクライナを支持するが、ベラルーシ自身は紛争には関与しない:4%」「ロシア側に付いて紛争に関与する:3%」だった>
盟友のはずのベラルーシ国民でさえもプーチンを見放しているということだ。発狂帝暴君プーチン一派を排除する「自由民主革命」という体制変換をしなければロシアの明日はないだろう。強権独裁を排除し、家族と同胞により良きロシアを手渡す・・・己の命より大事な大義のために今こそロシア人は立ち上がるべきだ。世界は必ず支援するだろう。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」