近所の横断歩道で信号が青に変わるのを待っていたら、
自転車の中学生が男女合わせて3人、青になったらスタートダッシュで競争と、
前傾姿勢で信号待ちをしていました。
信号が青に変わったと同時に、ダッシュ。
…ひとりの女の子が、自転車に乗らず自転車を押しながらすごい勢いで走って行きました。
自転車を漕ぐ子と変わらぬ速さで走って行きます。
なんという、体力!若いって、すてき!
支援が必要な子どもたちの中には、
時間の感覚が鈍かったり、時間の感覚が抜け落ちているように思われる子が多いように感じます。
個人で過ごす分には、それでも構わないのですが、
学校で生活したり、一日の決められた宿題や宅習をしようとするときに、
時間の感覚のなさが邪魔をして、いつまでたっても宿題が終わらなかったり、
だらだらしたり、寝ることも忘れて没頭したりと困ったことになります。
中学校で支援員をしているときに、とても丁寧で美しい字を書く子がいたのですが、
ノートを取るのが間に合わないので、字をスピードアップして書く練習をしたことがありました。
消しゴムを使わずに、合図されたらどんどん次の行にいく視写をさせていたら、
途中で、ピタリと固まって動かなくなってしまいました。
消しゴムを使わないでやるという条件もあったのですが、
端から見たら美しい字でも、本人には納得ができず、
それを書直すことができないことが、気持ちをふさいでしまったようで、
涙まで流していました。
この子の場合は、ペースがゆっくりめですが完璧主義だったこともあって、
自分のペースと相容れないベルの音で、書きかけていても次の行にいく気持ち悪さや
自分では書直したい字も書直せない、でもその字が目につく違和感で、パニックになったようでした。
また、遅い時間まで残っていて平気な子どもには、
私の勤務時間を知ってもらったりすることもありました。
もちろん、それでピンとくる訳もなく、
紙に、子ども(生徒)が学校から家に帰り着く時間、そして、食事、風呂、
観たいテレビ、ゲームをする時間、この時間には寝たいという時間を帯グラフにして、
やっと、子ども自身が家に帰ってからの自分に残された時間を把握できて、
焦って帰ることもありました。
この時間を帯グラフにするのはおもしろかったのか、
しばらくの間、放課後、一緒に勉強していた子たちが、
帯グラフの書き合いっこをしていて、誰がヒマそうだとか、時間があるとかないとか、
わいわい楽しんでいました。
そんなことで盛り上がらず、さっさと宿題に取りかかれよ!とも思いましたが、
時間を自分のものとして意識する楽しさを知った新鮮な気持ちのうちだけかな、と
放っておいたら、そのうちしなくなりました。
ただ、時々、授業中やテスト中に50分の時間を
「名前1分、漢字に5分…」とか「ノートとり10分、教科書読み5分…」などと、
授業の暇つぶし(!)やわからないテストの時間つぶし(!!)に、
時間帯グラフをご丁寧に定規を使って作っていたときには、
問答無用で無言の圧力と目線で消させました
他にも、子どもと私と2人ともストップウォッチを持って、
同時に「スタート!」と押して、同時に「ストップ!」と押して、
今、多少の誤差はあるものの、あなたにも私にも同じだけの時間が流れているね、と
話したこともあります。
そして、目には見えないけれども他の人にも、
あなたと同じだけの今日の時間が残っているんだよ~というと、
不思議そうな顔でうなずいていた子どももいました。
中学校の教科書に、谷川俊太郎さんの「朝のリレー」が載っていましたが、
自分が朝をむかえているときに、世界の人々の時間に思いを馳せるおもしろさに気がついたり、
なんのこっちゃ、あたりまえじゃん!と現実的に考えたり、
まったく、ほんとうに、どういう意味?と思う子もいるんでしょうね。
時間という目に見えない、感覚的なものを身につけさせるのは大変なことですね。
自転車の中学生が男女合わせて3人、青になったらスタートダッシュで競争と、
前傾姿勢で信号待ちをしていました。
信号が青に変わったと同時に、ダッシュ。
…ひとりの女の子が、自転車に乗らず自転車を押しながらすごい勢いで走って行きました。
自転車を漕ぐ子と変わらぬ速さで走って行きます。
なんという、体力!若いって、すてき!
支援が必要な子どもたちの中には、
時間の感覚が鈍かったり、時間の感覚が抜け落ちているように思われる子が多いように感じます。
個人で過ごす分には、それでも構わないのですが、
学校で生活したり、一日の決められた宿題や宅習をしようとするときに、
時間の感覚のなさが邪魔をして、いつまでたっても宿題が終わらなかったり、
だらだらしたり、寝ることも忘れて没頭したりと困ったことになります。
中学校で支援員をしているときに、とても丁寧で美しい字を書く子がいたのですが、
ノートを取るのが間に合わないので、字をスピードアップして書く練習をしたことがありました。
消しゴムを使わずに、合図されたらどんどん次の行にいく視写をさせていたら、
途中で、ピタリと固まって動かなくなってしまいました。
消しゴムを使わないでやるという条件もあったのですが、
端から見たら美しい字でも、本人には納得ができず、
それを書直すことができないことが、気持ちをふさいでしまったようで、
涙まで流していました。
この子の場合は、ペースがゆっくりめですが完璧主義だったこともあって、
自分のペースと相容れないベルの音で、書きかけていても次の行にいく気持ち悪さや
自分では書直したい字も書直せない、でもその字が目につく違和感で、パニックになったようでした。
また、遅い時間まで残っていて平気な子どもには、
私の勤務時間を知ってもらったりすることもありました。
もちろん、それでピンとくる訳もなく、
紙に、子ども(生徒)が学校から家に帰り着く時間、そして、食事、風呂、
観たいテレビ、ゲームをする時間、この時間には寝たいという時間を帯グラフにして、
やっと、子ども自身が家に帰ってからの自分に残された時間を把握できて、
焦って帰ることもありました。
この時間を帯グラフにするのはおもしろかったのか、
しばらくの間、放課後、一緒に勉強していた子たちが、
帯グラフの書き合いっこをしていて、誰がヒマそうだとか、時間があるとかないとか、
わいわい楽しんでいました。
そんなことで盛り上がらず、さっさと宿題に取りかかれよ!とも思いましたが、
時間を自分のものとして意識する楽しさを知った新鮮な気持ちのうちだけかな、と
放っておいたら、そのうちしなくなりました。
ただ、時々、授業中やテスト中に50分の時間を
「名前1分、漢字に5分…」とか「ノートとり10分、教科書読み5分…」などと、
授業の暇つぶし(!)やわからないテストの時間つぶし(!!)に、
時間帯グラフをご丁寧に定規を使って作っていたときには、
問答無用で無言の圧力と目線で消させました
他にも、子どもと私と2人ともストップウォッチを持って、
同時に「スタート!」と押して、同時に「ストップ!」と押して、
今、多少の誤差はあるものの、あなたにも私にも同じだけの時間が流れているね、と
話したこともあります。
そして、目には見えないけれども他の人にも、
あなたと同じだけの今日の時間が残っているんだよ~というと、
不思議そうな顔でうなずいていた子どももいました。
中学校の教科書に、谷川俊太郎さんの「朝のリレー」が載っていましたが、
自分が朝をむかえているときに、世界の人々の時間に思いを馳せるおもしろさに気がついたり、
なんのこっちゃ、あたりまえじゃん!と現実的に考えたり、
まったく、ほんとうに、どういう意味?と思う子もいるんでしょうね。
時間という目に見えない、感覚的なものを身につけさせるのは大変なことですね。