近いうちにオリンピックがはじまるんだなぁ〜、と思っていたら、
既にはじまっていた、オリンピック!
眠い目をこすりながら観るほどのファンではないけれど、
体操のあのくりんくりんと気持ちよく回転する姿などは、ついつい観てしまいますね。
今日は安曇野プランの算数の日でした。
この夏、量としての数を沁み込ませて欲しくて、
量を扱う算数に特化しようと、保護者の方とお話ししての算数で、
今回が夏休み3回目でした。
そんな中、一緒に学んでいる子が、自ら自信を持って数を扱う場面がありました。
それは、くっつかず、何度も使える粘土の中にプラスチックのお豆さんを入れた場面でした。
子どもが長く伸ばした粘土の中に私が、
「はい、ここに1個入れるね。もう1個はこっちに入れるね。はい、どうぞ、丸めてください。」と
言ったときに、その子は「1個と1個、合わせて2個だね!」と得意そうに言いました。
そして、丸めた粘土の中から1個のお豆を探し出したので、
「あら、1個お豆さん出てきたね。粘土の中にはあといくつお豆さん残ってる?」と聞くと、
「最初2個だったから、1個!」と自信満々に答えてくれました。
そして、最後の1個のお豆さんを見つけたあとには、
「これで全部だから、もう、ない!0個!」とニコニコと教えてくれました。
その後、同じようなことを3個でもやりましたが、
自信満々、に粘土に入れた豆の数や取り出したあとの豆の数、
全部取り出すと粘土の中に豆はなく、それは0だ、ということを教えてくれました。
この一連の子どもの自信たっぷりの振舞いを見ながら、
この子は、「3」までの数だと自信を持って、
頭の中で足すことも、引くこともできるのだなぁ、ということがはっきりとわかりました。
そして、目に見えない「0」という数字の存在が、
粘土の中に豆を入れて、それを全部取り出して、豆が入っていない状態、という風に
自分で納得し、理解で来ているんだなぁ、ということもわかりました。
その後、ちょっと大きな数を扱い出すと間違えたり、
「これ、難しい!」とイライラした表情を見せはじめ、あくびも多く見られました。
学習する内容が「わかる!」と子どもが感じられるものであることが、
子どもが安心して学ぶことができる条件なのかもしれないな、と思った算数の時間でした。
教えるほうは「わかる!」とわくわくしながら挑戦できるレベルを
しっかりと見極めることがいちばんの仕事ですね。
うーん、難しいぞよ!
既にはじまっていた、オリンピック!
眠い目をこすりながら観るほどのファンではないけれど、
体操のあのくりんくりんと気持ちよく回転する姿などは、ついつい観てしまいますね。
今日は安曇野プランの算数の日でした。
この夏、量としての数を沁み込ませて欲しくて、
量を扱う算数に特化しようと、保護者の方とお話ししての算数で、
今回が夏休み3回目でした。
そんな中、一緒に学んでいる子が、自ら自信を持って数を扱う場面がありました。
それは、くっつかず、何度も使える粘土の中にプラスチックのお豆さんを入れた場面でした。
子どもが長く伸ばした粘土の中に私が、
「はい、ここに1個入れるね。もう1個はこっちに入れるね。はい、どうぞ、丸めてください。」と
言ったときに、その子は「1個と1個、合わせて2個だね!」と得意そうに言いました。
そして、丸めた粘土の中から1個のお豆を探し出したので、
「あら、1個お豆さん出てきたね。粘土の中にはあといくつお豆さん残ってる?」と聞くと、
「最初2個だったから、1個!」と自信満々に答えてくれました。
そして、最後の1個のお豆さんを見つけたあとには、
「これで全部だから、もう、ない!0個!」とニコニコと教えてくれました。
その後、同じようなことを3個でもやりましたが、
自信満々、に粘土に入れた豆の数や取り出したあとの豆の数、
全部取り出すと粘土の中に豆はなく、それは0だ、ということを教えてくれました。
この一連の子どもの自信たっぷりの振舞いを見ながら、
この子は、「3」までの数だと自信を持って、
頭の中で足すことも、引くこともできるのだなぁ、ということがはっきりとわかりました。
そして、目に見えない「0」という数字の存在が、
粘土の中に豆を入れて、それを全部取り出して、豆が入っていない状態、という風に
自分で納得し、理解で来ているんだなぁ、ということもわかりました。
その後、ちょっと大きな数を扱い出すと間違えたり、
「これ、難しい!」とイライラした表情を見せはじめ、あくびも多く見られました。
学習する内容が「わかる!」と子どもが感じられるものであることが、
子どもが安心して学ぶことができる条件なのかもしれないな、と思った算数の時間でした。
教えるほうは「わかる!」とわくわくしながら挑戦できるレベルを
しっかりと見極めることがいちばんの仕事ですね。
うーん、難しいぞよ!