日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

水遊びの高揚のような学習。

2016-08-14 21:54:54 | 発達応援
 週末は、いつまでもだらだらと過ごせる気の緩む日々です。
特に、今はオリンピックがあるので、競技を観ていると、
時間が何時かなんて、わからなくなります。

 明日からまた、早朝の仕事のはじまる月曜日。
午前0時には寝ておきたいものです。

 この休み中、神田橋先生の本を近くにおいておいて、
気になる所をぱらぱら読み直しています。

 

 その中にこんな記述がありました。

 <前略>おそらくすべての遺伝子は進化の歴史の成果あるいは痕跡を保持しており、
開花の機会を待っているのだろう。そのことをヒントに、早期幼児教育なるものがおこなわれている。
悲惨である。個々の遺伝子の開花の臨界期は異なっているううだろうし、
開花を待っている遺伝子群は数えきれないだろう。
そのなかの幾つかだけを取り上げて機会を与えることに専念すると、
凸凹に歪んだ環境を与えることになり、
他の遺伝子は盲目のままに置かれることになる。<後略>


 この部分を読みながら、
私が良かれと思って子どもとやっている学習は、
子どもの開花させようとしているものを摘み取りはしないまでも、
莟のままに放置することになっていないかなぁ、
う〜む、と考えることでした。

 凸凹のある子どもの凹の部分をどうにかしようと、
そこにスポットライトをあてて、どうにかしようと躍起になると、
その子の優れた所や得意な部分を忘れてしまいがちになります。

 そして、凹の部分にフォーカスするあまり、
別の近道があることにも気がつかず、難しくて、つまらないやり方で
押し切ってしまう事態になってしまったりします。

 学習をするとき、
特にわからないことをわかってもらうための学習では、
苦行が当たり前のようですが、それは学習する方も教える方も
出口のない迷路をうろうろするようで、お互いにため息が出そうになります。

 やはり、本の中にこのような記述がありました。

 <前略>いま一つ、遺伝子の積極性を仮説するならば、
適合する臨界期でいのち全体が輝くはずである。
ある年齢での幼児の水遊びでの高揚はその例であり、
あの高揚の雰囲気が数多く出現するような子育てをしたいし、
治療にもこの雰囲気を持ち込みたい。<後略>


 私がやっていることは、子育てでも治療でもないのですが、
学習もまた、幼児の水遊びの高揚の雰囲気のように進めたいものです。

 そうした雰囲気がでたときが、
子どもがわかった!と思えるときではないかな、と思うことでした。



 

 
コメント
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