日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

優しくて、美しい、傲慢な支援。

2017-03-07 17:42:26 | 発達応援
 メッセージカードを貼るために、マスキングテープを探していたら、
「あ、ガムテープも持ってこなくちゃ!」と思い出しました。

 先に、ガムテープを手にしたら、ガムテープで荷造りするのが先になり、
「メッセージカードを貼るためのマスキングテープ」というのが、すっかり記憶から抜け落ちて、
荷物を送って、机の上にぽつんと置かれたメッセージカードを見て、がっくり。

 こんなドタバタは、まぁ、日常茶飯ごとなので、
落ち込みも、呆れもしませんが、なんだかなーーーー。

 子どもが、なにかを「できるようになりたい!」と言ったり、「がんばりたい!」と言ったとき、
その子はどんな気持ちなのでしょうね。

 何がきっかけかはわからないけれど、自分を成長させるために挑戦したかったり、
がんばることに、やりがいを感じたり、
とにかく、「できたい!がんばりたい!」という気持ちでいっぱいなのではないでしょうか。

 「できるようになりたい!」は、「できるようになりたい!」だけ。
「がんばりたい!」も「がんばりたい!」だけ。
親や周りの大人は子どもが自発的に言い出したことを、嬉しくも頼もしくも思い、
きっと、「じゃあ、がんばれよ!」と背中を押すのではないでしょうか。

 これが凸凹っ子、凸凹のある人だと、どうやら、そうばかりではないらしい。

 できないことをがんばるといってきた人への支援

 「できないけどがんばる」ことを、
「なぜ?」と聞かれ、「できなくても恥ずかしくないですよ」と、
声をかけられる支援が、世の中にはあるらしい。

 例えば、計算ができるようになりたい、と言ったって、
買い物には計算必要ないよね、計算機って、あるよ、日常生活でどれだけ計算って必要かい?と、
計算ができるようになりたい!の裏の心理を丁寧に読み解いていく支援なんだそうです。

 馬鹿にしていますねぇ、凸凹っ子、凸凹のある人のことを。

 できないことをできるようになりたい!が、
誰かに馬鹿にされたくない、が理由だろうと、親や他人の目だろうと、コンプレックスだろうと、
それを「気にしなくてもいいんだよ、だから、そんなのできなくても、あなたはあなた。」と
表面上美しい言葉で、相手を尊重するフリをして、
なーーんにも自力ではできない、木偶の坊に固定するのが支援なのか?

 「今のままで、大丈夫」と、優しく、美しく、書かれた支援者であろう方の文章に、
本当に、腹が立つし、胸くそがわるくなりました。

 どうして、凸凹があるというだけで、そのままで良くなるんだろう。
私も平ではないけれど、できなくて不自由していることは、できるようになりたい。
どうでもいいと、切り捨てる部分も自分で自由に選びます。
自分の裁量で生きていきたいですね。

 それらをコントロール下に置こうとするのは、支援者の傲慢だと思うのですが。

 できるようになりたい、がんばる気持ちを大事にしたいですね。
そして、それを実現するためのアドバイスを出せるようにするために、
研鑽しなくてはなぁ、と思うことでした。



 

 




 
コメント
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