日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

親だからこそ。

2017-03-10 20:17:29 | 発達応援
 昨日、今日と同僚が営む秘湯に行ってきました。
もう、回数券も買って、すっかり秘湯「米丸温泉」ファンです。

 私はぬるめのお湯にゆっくり浸かりたいのですが、熱湯が好きな方もいらっしゃいます。
「お!今日はぬるいぞ!」とゆったり入っていると、
私なんかより、ずっと昔からの常連さんが入ってこられて、「あら、ぬるかね!」と言い、
「○○ちゃ〜ん、焚いて〜〜〜」と声をかけられます。

 そんなことも何度も経験し、ぬる湯好きの私が入る時間帯も掴み、
ここ最近は、ぬるめのお湯にゆっくり浸かっています。

 湯冷め知らずのお湯のおかげで、今も体の芯からぽかぽかです。

 発達に凸凹のあるお子さんに、様々な修行をしているお家も多いと思います。
少しでも、学校の勉強についていけるように、将来の自立に向けて、
社会の中で生きていくために困らないように…等々等。

 親だからこそ、厳しくもなるし、暴言も吐きたくなることもあるでしょう。
それを受け止める子どもは、しんどいときもあるかもしれませんが、
親が本気なのが伝われば、子どもは卑屈にならず食いついて、
おわれば、あっけらかんとしていると思います。

 かくいう、私も算数わからんちんで、どれだけ母に頭をはたかれたことでしょう。
あー、何がわからないのかわからない中、「わかったね!?」と言われて、
「わかった」と言っても次の問題を間違うと、わかってないのがバレる地獄、
「わからない」と正直に言おうものなら、「なんでわからんの!」と怒られる地獄、
どっちを選ぶべき!?と算数とは、遠いところで苦悶したものでした。

 でも、どんなにわからんちんな子どもでも、
母が私を見捨てるなんて考えたこともなかったから、へっちゃらでした。

 揺るぎのない、何かが親子の間にあったのでしょうかね。
今では、算数の問題を見ると、
「ここで、ひかかってたんだねー」と小学生の私に話しかける余裕もあります。

 さて、どんなにわからんちんでも、諦めずに教えてくれたのは、
小学生の頃はやっぱり、親でした。

 勉強をする土台をつくってくれたなぁ、
わからないことも、何度も考えることでわかるようになること、
時には、次の年にわかることもある、ということも含めて、
諦めず、コツコツ取組むことを教えてくれたのは、家での学習だったかもしれません。

 長期の休みになると、親戚の中でもこんなに怒られながら宿題をしていたのは、私だけ。
掃除ひとつにしても、「気がきかん!」と私の頭をはたいていた母。
いとこたちは、「おばちゃん、こわーい」と言っていたし、
親戚も「そんな怒らんでも」と言われていた母。

 でも、おかげで、自分で考える力がついているし、
積込みの仕事でも、先の段取りも考えてガンガン働くことができているし、
応用は効く自力はついていると思います。

 私をこんなに怒りながらも育ててくれたのは、両親です。
子どもの力を諦めないでいてくれた、両親。
ありがたいなぁ、と思います。

 どんなときも、他人は気楽にものを言うことができます。
ときには、岡目八目でまるで将来を予見したように、あるいは優しさのつもりで、
子どもの将来の息の根を止めるようなアドバイスもすることがあるでしょう。

 また、自分の通った道を振返り、負け惜しみのようなアドバイスをして、
自分と同じ道にお子さんを引きずり込もうとするかもしれません。

 どうか、親御さんが子どもさんの将来を諦めませんように。


 
コメント
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