東北地方では一大勢力を保ち、「北にナナゴあり!」と思わされてきた時代。あれからすでに20年以上の歳月が過ぎてしまった。アントンKも御多分に漏れず、ED75は昔から好きな電機だった。接する機会も限られていたこともあるだろうが、車長が短いのにとてもパワフルに感じ、重連で長大な貨物列車や、ブルトレの先頭に立つ姿に憧れてきた。0番台から始まり、50番台からのヒサシ付き。九州の300番台、北海道の500番台、裏縦貫の700番台、高速型の1000番台と、きっちり用途が別れていて、当時はそれぞれで活躍していることが万能機を物語っていたと思っている。アントンKもその地域で全て記録を残せている訳ではないが、HMの付いたブルトレや三重連で峠を上るナナゴ達に出会えた時の感動は、今でも忘れることは出来ない。
現在でも、JR東日本に所属しているED75が数台余生を送っている。製造が晩年の時代の700番台車だが、定期の仕事がすでになくなり、いずれフェードアウトしていくことは明白で、どこか物悲しい。ここでは、まだナナゴの定期列車が残っていた時代の画像を掲載しておく。みちのくへと足を向ければ、いつでも出会えたナナゴ重連の貨物列車。こんな日常が今ではとても懐かしく思える。ED71が消え、ED75も消えていった。そんな時代を共に過ごせたことは、自分にとって幸せなことだったと改めて実感している。
2004-02-06 3083ㇾ ED751028+131 豊原付近
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