信越本線の、それも日本一の急こう配を誇った碓氷峠をEF63とともに越えるために生まれたのがEF62だったが、国鉄晩年に山を下り、ゴハチに変わって東海道線を闊歩したことは、今や有名な話となった。いくら荷物列車廃止までの繋ぎとは言え、EF58の代わりにEF62が抜擢されるとは誰が考えることができよう。今にして思えば、短期間だったとはいえ、EF62の東海道線進出は衝撃的だった。あの時は、移動を命ぜられた全機が下関に集まり、日夜文字通り東奔西走に明け暮れていた訳だ。アントンKも流石にその事実に驚き、EF62が少し気の毒に思えたことが記憶に残っている。現代こそ、EF64が毎日東海道線を行き来していても、不思議とは感じず何でも在りの時世となったが、まだ当時はそれまでの流れを忠実に引きついていた時代だろう。始めのうちはとても奇異に映ったものだ。
今回は、そのEF62の本来の姿である、信越線を行く姿を掲載。碓氷線廃止が2年後に迫りつつある95年の記録より。この時期になると、いわゆる碓氷峠にはかなり鉄道ファンも増えつつあった頃。アントンKは、へそ曲がりなのか、この頃には逆に峠は避け、別の視点から撮影することを心掛けていた。このポイントは、昔から背後の浅間山を大きく入れて撮影できるポイントとして有名だったが、この時においても撮影者はほとんどいなかった。雪を頂いた浅間山は美しく、活火山でありながら女性的なラインを持ち、軽井沢のシンボルだ。現在はしなの鉄道として余韻が残されているはずだが、どんなに変わってしまったのか知る由もない。
1995-02-08 9318ㇾ EF6254 12系座敷車(長ナノ) JR東日本/信越本線:中軽井沢付近