アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

軽井沢を行くEF62の雄姿

2019-02-07 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

信越本線の、それも日本一の急こう配を誇った碓氷峠をEF63とともに越えるために生まれたのがEF62だったが、国鉄晩年に山を下り、ゴハチに変わって東海道線を闊歩したことは、今や有名な話となった。いくら荷物列車廃止までの繋ぎとは言え、EF58の代わりにEF62が抜擢されるとは誰が考えることができよう。今にして思えば、短期間だったとはいえ、EF62の東海道線進出は衝撃的だった。あの時は、移動を命ぜられた全機が下関に集まり、日夜文字通り東奔西走に明け暮れていた訳だ。アントンKも流石にその事実に驚き、EF62が少し気の毒に思えたことが記憶に残っている。現代こそ、EF64が毎日東海道線を行き来していても、不思議とは感じず何でも在りの時世となったが、まだ当時はそれまでの流れを忠実に引きついていた時代だろう。始めのうちはとても奇異に映ったものだ。

今回は、そのEF62の本来の姿である、信越線を行く姿を掲載。碓氷線廃止が2年後に迫りつつある95年の記録より。この時期になると、いわゆる碓氷峠にはかなり鉄道ファンも増えつつあった頃。アントンKは、へそ曲がりなのか、この頃には逆に峠は避け、別の視点から撮影することを心掛けていた。このポイントは、昔から背後の浅間山を大きく入れて撮影できるポイントとして有名だったが、この時においても撮影者はほとんどいなかった。雪を頂いた浅間山は美しく、活火山でありながら女性的なラインを持ち、軽井沢のシンボルだ。現在はしなの鉄道として余韻が残されているはずだが、どんなに変わってしまったのか知る由もない。

1995-02-08   9318ㇾ  EF6254  12系座敷車(長ナノ) JR東日本/信越本線:中軽井沢付近


憧れだったEF66のブルートレイン

2019-02-06 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

いつか、寝台列車を牽くEF66が見てみたい!

そう思っていた夢物語が現実のものとなり、そして寝台列車そのものが消えてしまった時代を迎えて随分と時間が経ってしまった。

結果として東海道線のブルートレインを一番長くけん引したのが、このEF66ということになりどこか不思議な感覚に陥ってしまう。本来EF66という機関車は、昔でいうフレートライナー用、特急貨物列車用に開発された機関車ということは誰もが知っていることで、その機関車がEF65P型をも退けて一番長い間ブルトレをけん引した機関車となったのだ。力を持て余して扱いにくく短命に終わる電機もあると思えば、貨物用機として生まれても、旅客の花形列車けん引にまでのし上がった機関車もいる。たかが機関車と言えども、まるで人生そのもの。生涯何が起こるか分からないのは、誰も同じなのか・・

湯河原の大カーブを行く寝台特急「はやぶさ」。こうして過去の画像を振り返ってみても、今なお風格と気品と伝統を持ち合わせている列車は、東海道線を走るブルートレインをおいて他にない。

1995-11-18     4ㇾ  EF6645  はやぶさ  JR東日本/東海道本線:湯河原付近


頼もしきEF58の雪との闘い

2019-02-05 21:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

どうしてもこの時期になると、国鉄時代上越線へ繰り出した日々のことを思い出さずにはいられない。今にして思えば、鉄道写真を始めて5~6年が経ち、一番熱がこみ上げてきていた時代だった。まだ学生の分際だったアントンKだが、諸先輩方の並外れた行動力や精神力の深さの影響で、自然と心に火が灯ってしまったようだ。この時代は、ほぼ毎日撮影に明け暮れていたと言ってよく、全ての体験が自分自身の身体に吸収され身になり、今日のアントンKを形成したのだろう。全てが輝いていた日々に思えて仕方がないのだ。

また我が青春の一コマより1枚掲載。週末ごとに国境を目指した思い入れ多き上越線を行くEF58の牽く臨時列車。これは下りの回送列車だから、EF16の補機はなく、長い14系でも滑るようにやってきたEF58134号機。山の天気だから、ころころ変わり、陽が差したと思えば、あっという間に吹雪いて視界が無くなる。そんな猫の目天気でやってきたゴハチだが、雪を蹴散らし前照灯を点けながら迫ってくる姿は、何物にも代えがたい魅力が満載だった。

1980-02-11  回9701ㇾ  EF58134  上越線:岩原スキー場前付近


山を降りた165系たち

2019-02-04 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

急行型電車が消えてから久しく時間が経ってしまった。JRでは、急行という種別そのものが過去のもののように扱われ、当然ながら急行型の車両など必要なしとばかり淘汰されてしまった。

アントンKは、華やかな特急型車両も好きだったが、今回話題にする急行型車両も大好きな車輛たちだった。165系電車が最も好きだったが、それは、一番親しみがあった形式ということに置き変えられる。若い頃は遠征するにも、特急は贅沢な乗り物として考え、いつも乗る列車は急行列車だった。周遊券が使用できたということも大きいが、気軽に乗車して目的地を目指すことが多かった。特に「佐渡」「よねやま」「アルプス」「まつしま」「ばんだい」などは、撮影目的で遠征の際お世話になった列車達。銀箱に三脚を持ってボックスシートに潜り込み、ワクワクして目的地を目指した遠い日は、一番の宝物となってしまった。

掲載写真は、165系が東海道線をいく雄姿。東海道線の急行といえば、何といってもアントンKには、153系だが、JR化を待つことなく消滅してしまい、後継の165系に引き継がれることになる。当時は、気候の良い平坦な路線を行く165系は何とも物足りなく思えたが、今こうして再確認すると、やはり湘南色をまとった165系は東海道でも様になっていると感じてしまう。かつては「山東海」と呼ばれ、パワーに物を言わせて、勾配区間を果敢に進んだ165系だが、それも昔話となってしまった。今の若者曰く、「かぼちゃ電車」と呼ぶのはは勘弁してほしいが、このオレンジとグリーンの湘南色は、スカ色と並んで日本の国土にマッチし、最も国鉄らしい重厚なカラーだと思っている。

富士の麓を下る165系。出来ることならもう一度見てみたい。

1987-02-28   323M       Tc165     東海道本線:三島-函南

 


夕方の東海道線はゴールデンタイム

2019-02-03 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

EF65PFのブルトレを続ける。

EF65P型のブルトレを満足に撮影出来ずに終わってしまったアントンK。その当時は、まだカラーポジの使用経験がなく、カラーフィルムと言えばネガカラーを使用し、それで満足していた時代だった。あっという間に、東海道線の九州ブルトレが65P型からPF型に置き換わり、(1978年秋)不完全燃焼だった気持ちが全てPFブルトレへと向かっていた。当時を思えば、本気で鉄道撮影を始めてまだ日が浅く、最も身近だった東海道線のブルトレが格好の被写体になったことは、当然の成り行きだった。もちろんこの時代には、まだまだEF58という人気の電機も全国に君臨しており、合わせて撮影を勤しんだが、何本もの寝台列車が、行き来する九州ブルトレは、当時ゴハチとは違った、別の意味での王者の風格を感じたもの。どちらかというと、地味でマニアックなEF58に対して、華々しく華麗な夢を運ぶ列車に思えていたのだ。暖地型のEF65PFは好みではなかったが、伝統あるヘッドマークを掲げ、日夜ひた走るブルトレは、アントンKにとって当時最も重要な被写体になっていった。

そんな当時の想いが過る画像から1枚掲載してみる。

九州ブルトレは、年間を通じて上り列車が撮影しやすく、名撮影地と呼ばれたポイントで何度となく撮影のチャンスを持ったが、夏場は下り列車も撮影の機会を得られた。下り列車トップは、1列車「さくら」で、東京発16:30。そして3ㇾ「はやぶさ」16:45発。5ㇾ「みずほ」17:00発。と15分間隔で続く。夏場なら、熱海くらいまで走行列車の撮影は可能で、何度となくトライしたもの。現在のように機材が優秀なら、と欲をかいてしまうところだが、こればかりは仕方がない話なのだ。掲載写真は、東京17:00発の熊本・長崎行き「みずほ」。この「みずほ」は、伝統ある九州ブルトレの中でも早い段階で消滅してしまい、比較的地味な列車に感じていた。夏至の頃の晴天日を狙って撮影したが、今でこそお馴染みになった撮影ポイントだが、当時は撮影者など誰一人いなく、いつも一人で列車を見送っていたことを思い出す。

1984-06-16     5ㇾ EF651106   みずほ   東海道本線:東神奈川付近にて