アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

世代を越えて・・私鉄特急

2019-12-25 20:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

プラレールを繋ぎ、孫とともに遊ぶ時間。こんな過ごし方が特に今年多かったように思う。アントンKにとっても忘れていた時間、とても癒されるひと時だった。会うたびに言葉が増えていき、その表情に心和むのであった。新しい発見も多く驚かされるので、こちらも関心するとともに妙に納得してしまう事柄が多かった。

そしてそれらは、いつも本物の身近な鉄道から始まっていることに改めて気がつかされたのだ。踏切が大好きになり、そして信号、車両へとエスカレートしていき、今ではオタクの道をまっしぐら、となりそうでいささか怖い?!状況である。

先日は、小田急ロマンスカーに乗るため箱根まで行ってきた。もちろんこれは、展望シートが確保できたからであるが、およそ90分の夢の時間を孫とともに味わうとは考えもしなかった。今で言うところの「乗り鉄」だが、こんな時間も大切に感じた今日この頃。決して鉄チャン教育を仕掛けている訳ではないが、これから彼の成長過程で、何か好きな趣味に出会えることを影ながら祈りたいと心から思うのだ。

掲載写真は、そんなロマンスカーから、アントンKが幼少の頃お世話になったSE車による特急「あさぎり」号。もちろんその昔は、この車両が「はこね」に使用されていた。連接車で優雅な顔たちが、今でも小田急線のシンボルとして忘れることはできない。

1991-02-22   特急「あしがら」 小田急3000形  御殿場-足柄にて


黄金期の「EF65PF」晴れ姿

2019-12-24 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

スキャン画像のチェックを兼ねているため、昔の写真が続いてしまっている。ちょっと考えがあって、自分の拙いブログに掲載して確認していることがあるのだが、お見苦しく気に入らない場合、どうかスルーして頂きたい。本来、こんなネット上に挙げる画像でもなく、自分自身の備忘録の要素がとても強いのだ。

振り返ると、東海道ブルトレがEF65PからEF65PFへと変わった1978年から数年間が、アントンKにとっては最も写欲に駆られた時期だと思っている。あれから40年以上もの時間が経過し、こうして画像を見返すと、どれも幼く何をどう撮るかなど画像から明確にはならない。ただカメラを握りしめ、撮りたくて仕方がない熱い単純な気持ちは、不思議と残された画像から蘇ってくる。極端に集中して、気持ちをこめて撮影した画像は、いくら時間が経とうとも色あせない何かが宿っているのかもしれない。

九州ブルトレの第2軍のトップを切って上がってくる10列車「あさかぜ4号」。個人的には「さくら」が最も身近で親しみがあったが、この「博多あさかぜ」も好きな列車だった。ペンタ67の300mmを導入しテストも兼ねている撮影だが、その後持った400mmよりはるかに扱いやすかったことを思い出す。下りの183系「踊り子」と交換、好みの画像となった。

1983-01-15  10ㇾ  EF651109   あさかぜ4号  東海道本線:藤沢付近

 


いつも特別だった中央線の客車列車~EF64

2019-12-21 22:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

昔から撮影してきた鉄道写真を振り返ると、自分自身の小史を見ているようでとても懐かしい。アントンKの場合、以前にも書いてきたが、模型からこの世界へと入ったので、鉄道車両にカメラを向け出したのは、当初「走り」より「止まり」の車両を狙って撮影していた。当時は模型製作の資料としての撮影と考えていたのかもしれないが、その頃の想いはかき消されてしまっている。資料としては、どれもダメダメで、何を撮影していたのか今考えても不甲斐ないものだ。

しかし残された画像の印象より、ほのかな温かい楽しかった記憶の方が、はるかに今では良い思い出として脳裏に浮かぶ。自転車で模型店を廻り、ウィンドウ越しに熱い視線で模型を眺め、ため息をつきながら夢を描いていた時代。少なくとも今よりも心持は楽しかった。ちょうどブルックナーやマーラーを毎日聴き、念仏を唱えていたのもこの頃だ。朝比奈隆の音楽を体験した時期(1978年)と重なり、その充実した時間が計り知ることが出来る。

そんな時期のアントンK、知らず知らずに模型よりも写真に重きを置くようになったのは、前にも書いたEF57という電機だが、同時にその当時、客車列車としてもっとも身近だった中央線の臨時列車だったように思えてならない。模型店近くの三鷹付近におよそやってくるのは、オレンジの101・103系だったが、時折姿を見せる165系に憧れ、70系や115系に山を感じていた。しかしそんな中、ひと際心惹かれたのは、夕方上ってくるEF64が牽いてくる客車列車だった。臨時スジだったこの列車は、前日の夜行で長野へ行き、その返却を兼ねた列車で、この当時は急行「たてしな」としての運転だった。この列車を何とか上手く写したいと躍起になり何度も通っている。結果は失敗の連続で、この時に写真への興味と奥深さを思い知ったのかもしれない。そりゃそうだ!当時ド素人の若造が、太陽光や露出なども考えず、むやみやたらに構えてシャッターを切っていたのだから致し方ないというもの。こうした悔しい想いがバネとなり、一気に鉄道写真への道へと舵を切ることになったと今思い返している。

掲載写真は、そのEF64がけん引する急行「たてしな52号」。三鷹付近で撮影している。集中的にこの列車を撮影していた最終時期のもので、これでも見せられたものではないが、数々の失敗理由がこの1枚に凝縮されているようで個人的には思い出深い。ロクヨンに雑形客車が姿を現すと、いつもの光景がガラッと変わる気がして、その瞬間をいつも楽しんだもの。アントンKの原点の1枚かもしれない。

1978-08-09  8404ㇾ  EF6457  たてしな51号   中央東線:三鷹付近


「一日一生」~忘れかけた日常風景 EF58

2019-12-19 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今年も残すところ半月となり、また新たな年を迎える。時の経過が早い事は毎度のことだが、来年はオリンピックイヤーでもあり、アントンK自身にとっても節目の年となるだろうから、一日一日を大事に感じて送っていくのが今の目標だ。ただ流されて行くのではなく、自らに想いに忠実に生きていければ幸せなのだが、少しでもそれに近づけるよう精進したい。

長年、鉄道写真を撮影してきても、アントンKが最もおろそかにしてきた写真は、鉄道スナップ写真のジャンルだろう。その時代を写すような情報量の多い写真は、あえて撮らなかった。一番写したい物、この場合、鉄道車両だろうが、それをはっきり綺麗に写し納める。被写体に対し障害となるものは、極力避けて撮影し、車、人物は一緒に写さない。基本は、走行写真に全力で立ち向かうといったスタンスでやってきた。どうしたら、そういった写真が撮影できるのかをいつも考えて撮ってきたのだ。しかし今にして思えば、そこまで偏らず、色々な遊びのある撮影もしておくべきだったと考え直しているところなのだ。

自分自身のゆかりの地を、長年その時代の鉄道を交えながら撮影していくことも、立派な鉄道写真だろう。そこには、街があり、そこに住む人たちが見える。どこかほのぼのとした風景が広がっている。時が過ぎることで、色々な見え方になる写真は魅力的に思うのだ。

掲載写真は、東京に到着した急行「銀河」が機回しのため神田まで回り込み、けん引機のEF5847がまさに切り離され、単機になり誘導係とともに動き出した。いつもだったら、どこかで走りを撮影し、あるいは品川までの回送列車を撮影するパターンだったが、この時は機回しの光景を狙っていた。これもスナップ写真とするのなら、アントンKには珍しい写真ということになる。EF5847号機も何度となく撮影する機会に恵まれたが、いずれも走行写真であり、ゆっくり眺めながらの撮影は出来ていない。

1980-03-14 回104ㇾ  EF5847    東北本線:神田にて


凍てつく峠道を往く~EF16+EF58

2019-12-17 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

山の天気は変わりやすい。

日が射したと思ったら、一気に視界が利かなくなるほどの吹雪が襲ってくる。

この時もそうだった。カメラを身体で温めながら、バッテリーをポケットで握りしめてその時を待つ。

音もなく近づくターゲットは、こんな天気も跳ね返すほどの力強さで迫ってきた。

たった1コマのために、寒さと孤独に耐え、待った甲斐があったのだろうか・・

それは今でも答えは出せない。

いつの時も夢中になれるものがある。

幸せなことだ。

1980-02     8702ㇾ    上越線:越後中里付近