アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

豪雪の妙高を往く~EF64重連

2020-02-21 19:00:00 | 鉄道写真(EL)

年度末が近づき、何かと多忙になってきてしまった。音楽はたとえ30分でも聴いて、一時の至福を味わい英気を養ってはいるが、なかなか演奏会まで出向けないでいるのが実情だ。増してや撮影となると、なかなか線路端に出られず歯がゆい思いがしている。日差しが暖かくなり、春を感じやすい季節だからこそ、何も考えず撮影に向かいたいのだが・・・

こんな状況でも、今月はとんぼ返りで道東へ行ってきた。目的は個々細かく考えて向かったが、現地に着いたら、そんな考えはどうでも良くなり、目一杯大自然を堪能し、一時でも日頃の環境から解放された心は、水を得た魚のように潤い満たされた感覚になったのだ。目的の一つだった常紋峠は、あまりの深雪で、撮影地までたどり着けず涙をのんだ。しかしあそこで無理をしたら、遭難しかけたかもしれないと今は諦めている。また次の機会を作る口実にもなり、こんな経験も自らを奮い立たせる材料になる。

こんな思いは、過去にも多々あり、それをバネにして今日まで継続できている訳だが、そんな過去の歯痒いシーンから1枚掲載しておく。信越北線、現在は第三セクター化してしまった関山付近をいく石油列車。まだEF640番台の重連が残っていた時代だ。除雪されていない道を白地図を見ながら線路端を目指して歩く。行く手に架線が見え、もう少しというところで、なかなか先へと進まない感覚。通過時間が迫っているから分刻みで心は焦るが、身体は新雪の中へと沈み込み、日頃の運動不足が身に染みる瞬間。そうこうしていると、ロクヨンの雄叫びが微かに聞こえてしまう。やむなく振り返って記録した痛恨の1枚。銀世界のロクヨンは、足並みを揃えてゆっくりと消えていった。

1994-02-11  5371ㇾ  EF64重連  JR東日本:信越本線:関山-二本木


気高さと郷愁に満ちたロシアン・プロ

2020-02-16 19:00:00 | 音楽/芸術

新日本フィルの定演ジェイド公演を聴きに行った。

何といっても、いつも注目しているソロ・コンサートマスターである崔文洙氏がショスタコーヴィッチの協奏曲を演奏し、いよいよアントンKにその本性を表わすから、何が何でも拝聴したかった訳なのだ。お若い頃に本場ロシアで音楽の研鑽を積み、そのあらゆる体験から生まれたあの音色だからこそ、ご本人の一番思い入れの楽曲であるショスタコーヴィッチを聴きたかったのだ。それも、20世紀最高のコンチェルトとされる第1番の協奏曲が披露されるのだから迷うはずがない。

アントンKが崔氏の演奏を耳にしてから、まだ3~4年くらいしか時間が過ぎてはいない。これはここでも何度も綴ってきたことだが、今回の演奏は、一言で言うと、アントンKが思っていた通り、今まで鑑賞してきた演奏の集大成のようだったと思えた。いつもはオーケストラのコンマスとしての演奏を鑑賞してきたが、その中でもやはりダントツに深い響きで聴衆を圧倒していた事実があり、いつまでも耳に残る音色だった。そして室内楽演奏の時には、さらにその色が濃くなり、今回のような協奏曲でのソリストでは独自性が最高潮となる。そんな感想をもった。あのソビエトの巨匠ダヴィット・オイストラフ氏直系の孫弟子とされることにも納得。あらためて尊敬の念を持ったのである。

当日の演奏も、ピンと張りつめた空気の中、寒く冷たい高音が背筋を通り抜け、身震いをする想いになったが、小節が進むごとに崔氏の響きに込めた想いがホールを埋め尽くし、呼吸をするのも忘れそうになる。通常より遅めのテンポでたっぷり気持ちを響きに乗せるのはいつもの通りで、この深く瞑想の世界とでもいえるような第1楽章を鑑賞。ここまでで完全に心が引き込まれてしまった。この協奏曲の実演奏はアントンKには初めての事。やはり難曲の部類にあたるだろうし、演奏者にとっても大変な楽曲なことは容易に推測できるが、ここでのオケもとてもバランスよくソリストに付けていた印象だった。これは指揮者アレクセーエフの力量とも言えるだろうが、終演後の気心知れた仲間とのONE TEAMが感じられ、とても暖かい気持ちになった。

メインの交響曲を含めて、いつも聴く響きとは違う、まさに土臭いロシアの重厚さも感じられ、指揮者の要求に的確に対応するオケの凄さ、器用さには毎度のことながら驚嘆させられる。特に打楽器の鳴りっぷりは本場の音だろう。昔聴いたムラヴィンスキー/レニングラード・フィルを思い出した。

サントリーホールに響き渡り、聴衆を虜にした崔氏の音色は、いったいどこから来ているのだろう。分厚く艶やかな響きは、きっと崔氏の気持ちがロシアに向かい、郷愁という華を我々に咲かせてくれたのだろうか。今回も音楽の奥深さを思い知った気がしている。

新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会ジェイド

チャイコフスキー    スラブ行進曲 OP31

ショスタコーヴィッチ  ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 OP77

ショスタコーヴィッチ  交響曲第6番 ロ短調  OP54

ソロ・アンコール  

パガニーニ   「うつろな心」による主題と変奏曲

指揮      ニコライ・アレクセーエフ

ヴァイオリン  崔 文洙

コンマス    西江 辰郎

2020年2月15日 東京サントリーホール  

 

 


雪の「竹倉」~想いを極めた至福の時間

2020-02-13 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

2月も半ばとなり、陽ざしに春を感じるような気候になってきた。このまま暖かくなるとは思いにくいが、やはり暖冬と言われる昨今でも特に今年は暖かかった。早咲きの桜(河津桜?)がもう花をつけているのには少々驚いたが、ただでさえ時の過ぎる速さを嘆いているのに、季節までなぜそんなに急ごうとするのだろう。今年もアントンKは置いてけぼりだ・・

富士山バックに列車を狙う撮影地といったら、まず三島-函南の築堤を思い浮かべる。もちろんここは、東海道本線、メインはいつも九州ブルトレだったが、富士山が綺麗に良く見える冬場から春先にかけては、今で言うところの南岸低気圧が太平洋側を通り、寒波を伴って雪景色に代わるシーンも珍しくなかった。低気圧が近づくと、当然空は曇り富士山は見えず、涙を呑むことになるが、明け方まで雪になり、夜明けとともに天気が急速に回復すれば富士山バックの雪景色も夢ではない。そんな想いをもって何度かチャレンジし出かけた時の思い出のシーンが今回の掲載画像。ここがあの竹倉か?と思えるほど、雪でまるで景色が違って見え、音のない世界が広がっていた。架線は随分張り巡らされ、コンクリーの柱も太く見苦しく思えたが、この時は全てが白にコーティングされいつもとは別世界。足元から続く樹氷に見とれていると、静けさを割ってEF65のモーターが響き渡った。バケペンのファインダーを凝視し、シャッターを下ろした瞬間、身震いしたことは言うまでもない。こんな想いでまたシャッターを切りたい。

1984-02-04  8ㇾ EF651101  富士  東海道本線:三島-函南


いつも撮影の中心にいた夜行列車への想い

2020-02-12 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

長年鉄道撮影を続けてきた意味は、いったい何だったのだろうかと考えることがある。好きなものを好きな時に撮影する、したいというスタンスは昔から変わっていないが、撮りたいものが、鉄道に限らず少し変わってきたことは、若い頃からすれば考えられなかったこと。また機材がデジカメになってから、写すそのものの行為がとても面白く、また新たな世界が広かった気がしている。これは、フィルム時代には思いもつかなかったことで、新しいジャンルと言ってもいい。とにかく現代のカメラには興味が尽きないのだ。

アントンKが長年鉄道撮影をしてきて、その撮影の核になっていたのは、間違いなくブルートレインを含む夜行列車だった。国鉄時代やJR化後に関係なく、常に行動の中心にあったと思っている。もちろんそこには、魅力的な機関車たちが関わってくるが、一夜を通して終着駅を目指す夜行列車は、旅情に溢れロマンのある列車であり、被写体と感じて、何とかそんな列車たちを写したいと思ったもの。急行列車が年々淘汰された反面、ブルトレにヘッドマークが復活し、気合が入ったことも今では懐かしい。こうして見返してみても、満足いくものも少なく、今更ながら歯痒い想いも残ってしまうが、それこそ自分の趣味の履歴として、大事に心に留めておきたいと思っている。

ここでは、思い出に残る1枚から、朝日を浴びて東上するブルトレ「あさかぜ」。日の出直後の函南の築堤は、霜が降りてシンシンとした空気に包まれていたが、朝日が射しこむと同時にやってきたEF65PFの「あさかぜ」は、威風堂々、王者の風格をもって目の前を通過。あの興奮が記憶の中から蘇る。

1981-01-06  10ㇾ EF651116「あさかぜ4号」 東海道本線:函南付近

 


若き血に燃ゆるもの~DD51石炭列車の軌跡

2020-02-10 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

専用貨物列車の流れを受けて、またかつての画像より掲載。

よくよく考えてみれば、国鉄時代まで遡れば、この手の専用貨物列車は、全国で見られたはず。アントンKには縁が無かったが、夕張や釧路臨海、はたまた室蘭本線で多数石炭列車は走っていたであろうし、九州地区でも数えればキリがないほどだろうか。こんな列車たちを見ることすら出来なかった腹いせも確かにあったと思うが、被写体として美しく撮り甲斐のある列車と考えていたアントンKだから、無意識のうちに、自然と狙っていたのかもしれない。

今回の掲載写真は、山口県美祢線を往く石炭専用列車。盆休みに帰省を兼ねて寄り道し撮影した時のもの。当時は半日もいれば、もう十分すぎるくらいの列車本数があり、こんなローカル線を忙しく動き回った思い出がある。非電化区間であり、凸型を好まなかった当時のアントンKだが、セキ6000形の貨車が延々と続く編成に、写真でしか見られなかったD51の石炭列車をダブらせたのかもしれない。久しぶりに画像を見て、あの頃の想いが浮かび上がる。

1996-08-08   5663ㇾ  DD51881  JR西日本/美祢線:湯ノ峠-松ヶ瀬(信)