2011年4月9日公開 フランス 120分
18世紀半ば、ヨーロッパ中を演奏旅行で回るモーツァルト一家。11歳のヴォルフガング(ダヴィッド・モロー)は神童と称され、父レオポルド(マルク・バルヘ)に溺愛されていた。4歳年上の姉ナンネル(マリー・フェレ)も音楽の才能に恵まれていたが、バイオリンの演奏も作曲も女には無理だと決めつける父に禁じられ、弟の伴奏者に徹していた。それでも、仏国王の娘ルイーズ(リザ・フェレ)や、ヴェルサイユ宮殿での王太子(クロヴィス・フアン)との出会いが、ナンネルの作曲家への夢と情熱に火をつけるのだった。
女がプロとしての道を歩むことなど認められない封建社会に生まれ、天賦の音楽の才に恵まれた弟を持ったこと。この二つの要素がナンネルの持つ才能を歴史の裏に埋もれさせてしまったのでしょうか?この映画を観るまで彼女の存在すら知らなかった私です。
しかし、邦題にある「哀しみの旅路」は内容に少々相応しくないように思えます。何故なら、ナンネルの少女時代は決して哀しみだけではなかったと思うからです。物語は少女から大人の女性になっていくナンネルの一瞬の輝きを鮮やかに切り取って見せてくれます。
弟を音楽家として売り込むため、一家は各国の宮廷を巡り演奏旅行を続けます。何日も馬車に揺られる放浪の生活は体の負担も大きく辛い旅でもありました。
そのさなか、馬車の車軸の損傷で身を寄せた修道院で、枢機卿の策略によって幽閉されていたフランス王の娘たちと知り合います。中でも、一番末のルイーズとナンネルは特に親しくなり、身分を超えた友情を感じるのです。
ルイーズの頼みで、宮廷にいる彼女の想い人への手紙を託されたナンネルは、手引きしてくれたイザベル(サロメ・ステヴナン)の手配で男装して手紙を届け、その際、王太子と出会います。バイオリンの腕や歌を気に入られた彼女は、作曲の才能も王太子に見出され、自分が女性であると告白した後は更に気持ちを通わせていくのですが、放蕩の父王のようにはなるまいと決意していた王太子は、ナンネルと友情以上の感情を持つことを抑えてしまいます。
一方ナンネルの方は娘らしい思慕の情を王太子に持ち、彼のいるパリを去りがたく、家族と離れてまでパリに戻り、音楽教師をしながら王太子の依頼で再び作曲をします。自分の曲が宮廷楽団によって演奏されるシーンは、ナンネルにとって人生で一番幸せな時だったでしょう。
しかしやはり女性が音楽家として成功するのは難しく、また王太子が彼女を遠ざけたため、失意のままナンネルは家族の元に帰り、二度と作曲はせずその生涯を弟と家族に捧げたと綴られ物語は終わります。
まさに放蕩の限りを尽くした父王とは逆に、王太子もルイーズもかなり敬虔な信仰を持っていたようで、いや、あのような父だからこそ神に救いを求める他なかったというべきか・・。
でもナンネルに対するあの扱いは酷いなぁと
傷ついた彼女をいつも温かく迎え、優しく諭す母アンナ・マリア(デルフィーヌ・シュイヨー)の存在は地味ながらとても大きかったと思います。
監督はルネ・フェレ。実の娘マリーとリザがそれぞれナンネルとルイーズを演じています。
二人とも設定年齢に似合わぬ聡明で大人な印象を与えます。一方神童であるヴォルフガングはこの作品では単なる脇役に過ぎず、やんちゃな弟の域を出ません。もちろん彼については他に沢山の本や映画が描かれているし、今回は姉の物語だもんね
特にルイーズは、想い人が異母兄だったという事実も(表面上は)淡々と受け入れ、自身の品格を損なうことなく、ひたすら神を信じ修道女としての生き方を選ぶという善なる女性として描かれているのです。しかし、「もし私たちが男に生まれていたら、私は政治の世界で、あなた(ナンネル)は音楽の世界で名を成したでしょう」というルイーズの言葉にこそ、彼女の生来の強さと願いが垣間見えて、このシーンが実は一番心に残りました。
もちろん、重厚なヴェルサイユ宮殿を舞台に優雅なバロック音楽を楽しむという点でも美しい作品といえるでしょう。
18世紀半ば、ヨーロッパ中を演奏旅行で回るモーツァルト一家。11歳のヴォルフガング(ダヴィッド・モロー)は神童と称され、父レオポルド(マルク・バルヘ)に溺愛されていた。4歳年上の姉ナンネル(マリー・フェレ)も音楽の才能に恵まれていたが、バイオリンの演奏も作曲も女には無理だと決めつける父に禁じられ、弟の伴奏者に徹していた。それでも、仏国王の娘ルイーズ(リザ・フェレ)や、ヴェルサイユ宮殿での王太子(クロヴィス・フアン)との出会いが、ナンネルの作曲家への夢と情熱に火をつけるのだった。
女がプロとしての道を歩むことなど認められない封建社会に生まれ、天賦の音楽の才に恵まれた弟を持ったこと。この二つの要素がナンネルの持つ才能を歴史の裏に埋もれさせてしまったのでしょうか?この映画を観るまで彼女の存在すら知らなかった私です。
しかし、邦題にある「哀しみの旅路」は内容に少々相応しくないように思えます。何故なら、ナンネルの少女時代は決して哀しみだけではなかったと思うからです。物語は少女から大人の女性になっていくナンネルの一瞬の輝きを鮮やかに切り取って見せてくれます。
弟を音楽家として売り込むため、一家は各国の宮廷を巡り演奏旅行を続けます。何日も馬車に揺られる放浪の生活は体の負担も大きく辛い旅でもありました。
そのさなか、馬車の車軸の損傷で身を寄せた修道院で、枢機卿の策略によって幽閉されていたフランス王の娘たちと知り合います。中でも、一番末のルイーズとナンネルは特に親しくなり、身分を超えた友情を感じるのです。
ルイーズの頼みで、宮廷にいる彼女の想い人への手紙を託されたナンネルは、手引きしてくれたイザベル(サロメ・ステヴナン)の手配で男装して手紙を届け、その際、王太子と出会います。バイオリンの腕や歌を気に入られた彼女は、作曲の才能も王太子に見出され、自分が女性であると告白した後は更に気持ちを通わせていくのですが、放蕩の父王のようにはなるまいと決意していた王太子は、ナンネルと友情以上の感情を持つことを抑えてしまいます。
一方ナンネルの方は娘らしい思慕の情を王太子に持ち、彼のいるパリを去りがたく、家族と離れてまでパリに戻り、音楽教師をしながら王太子の依頼で再び作曲をします。自分の曲が宮廷楽団によって演奏されるシーンは、ナンネルにとって人生で一番幸せな時だったでしょう。
しかしやはり女性が音楽家として成功するのは難しく、また王太子が彼女を遠ざけたため、失意のままナンネルは家族の元に帰り、二度と作曲はせずその生涯を弟と家族に捧げたと綴られ物語は終わります。
まさに放蕩の限りを尽くした父王とは逆に、王太子もルイーズもかなり敬虔な信仰を持っていたようで、いや、あのような父だからこそ神に救いを求める他なかったというべきか・・。
でもナンネルに対するあの扱いは酷いなぁと

傷ついた彼女をいつも温かく迎え、優しく諭す母アンナ・マリア(デルフィーヌ・シュイヨー)の存在は地味ながらとても大きかったと思います。
監督はルネ・フェレ。実の娘マリーとリザがそれぞれナンネルとルイーズを演じています。
二人とも設定年齢に似合わぬ聡明で大人な印象を与えます。一方神童であるヴォルフガングはこの作品では単なる脇役に過ぎず、やんちゃな弟の域を出ません。もちろん彼については他に沢山の本や映画が描かれているし、今回は姉の物語だもんね

特にルイーズは、想い人が異母兄だったという事実も(表面上は)淡々と受け入れ、自身の品格を損なうことなく、ひたすら神を信じ修道女としての生き方を選ぶという善なる女性として描かれているのです。しかし、「もし私たちが男に生まれていたら、私は政治の世界で、あなた(ナンネル)は音楽の世界で名を成したでしょう」というルイーズの言葉にこそ、彼女の生来の強さと願いが垣間見えて、このシーンが実は一番心に残りました。
もちろん、重厚なヴェルサイユ宮殿を舞台に優雅なバロック音楽を楽しむという点でも美しい作品といえるでしょう。