杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

臨床の砦

2022年07月09日 | 

夏川草介(著) 小学館(出版)

「この戦、負けますね」
敷島寛治は、コロナ診療の最前線に立つ信濃山病院の内科医である。一年近くコロナ診療を続けてきたが、令和二年年末から目に見えて感染者が増え始め、酸素化の悪い患者が数多く出てきている。医療従事者たちは、この一年、誰もまともに休みを取れていない。世間では「医療崩壊」寸前と言われているが、現場の印象は「医療壊滅」だ。ベッド数の満床が続き、一般患者の診療にも支障を来すなか、病院は、異様な雰囲気に包まれていた。
「対応が困難だから、患者を断りますか? 病棟が満床だから拒絶すべきですか? 残念ながら、現時点では当院以外に、コロナ患者を受け入れる準備が整っている病院はありません。筑摩野中央を除けば、この一帯にあるすべての病院が、コロナ患者と聞いただけで当院に送り込んでいるのが現実です。ここは、いくらでも代わりの病院がある大都市とは違うのです。当院が拒否すれば、患者に行き場はありません。それでも我々は拒否すべきだと思うのですか?」――本文より

 

「神様のカルテ」の著者で現役医師としてコロナ禍の最前線に立つ夏川氏の自らの経験をもとにして克明に綴ったドキュメント小説です。

第二波当時の地方のコロナ患者受け入れ病院の実情が淡々と描かれていて、そこで働く医療従事者たちの心身ともギリギリな状態でかろうじて踏ん張っている姿が痛いほど伝わってきます。

敷島の周囲の評価は穏やかで決して声を荒げることなく常に落ち着いているというものです。しかし彼も人間、心中では色々葛藤したり、怒りを抑えきれない時もあります。医師としての矜持と使命感が彼を支えていますが、そんな彼が本音を漏らす時、その言葉は深く沁みわたってくるのです。

コロナ治療の最前線にある病院の中でも、直接携わっている者とそうでない者の間には感覚のズレというか乖離があることを知ると、コロナ患者を受け入れていない病院との危機感のズレはより大きいと気付かされます。まして行政や世間の人々の感覚は、自分が患者となるまでは他山の石であり他人事なのだと思わされます。発熱患者の受け入れで一般の医療にしわ寄せが来ていることや、救急対応の難しさなども徐々に知らされてきてはいるけれど、まだまだ当事者になってみなければ実感することは難しいとも思います。

単純にベッドの空き数がそのままコロナ患者のベッド数ではないことや、軽症・中等症という言葉の持つ「軽さ」がそのまま当てはまるものではないことは、徐々に世間に広まってきているとは思いますが、経済と医療を天秤にかけるかのような発言は往々に見られます。どちらにも切実な「現実」がある、それでもやはり一部の医療者だけに重責を負わすのはあまりにも理不尽です。特に医療従事者とその家族へのいわれなき偏見と中傷は論外です。

コロナ禍で自分が出来ること・・・うがい・手洗い・マスクなどなど・・・マスクは猛暑の今は難しいこともある。

変異を繰り返すウィルスに対抗策も後手に回りがちな現状で、正しく怖がり、正しく対処するということが必要です。

 


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