2021年4月3日公開 ブータン 110分 G
現代のブータン。教師のウゲン(シェラップ・ドルジ)は、歌手になりオーストラリアに行くことを密かに夢見ている。だがある日、上司から呼び出され、標高4,800メートルの地に位置するルナナの学校に赴任するよう告げられる。一週間以上かけ、険しい山道を登り村に到着したウゲンは、電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを痛感する。学校には、黒板もなければノートもない。そんな状況でも、村の人々は新しい先生となる彼を温かく迎えてくれた。ある子どもは、「先生は未来に触れることができるから、将来は先生になることが夢」と口にする。すぐにでもルナナを離れ、街の空気に触れたいと考えていたウゲンだったが、キラキラと輝く子どもたちの瞳、そして荘厳な自然とともにたくましく生きる姿を見て、少しずつ自分のなかの“変化”を感じるようになる。(公式HPより)
ヒマラヤ山脈の標高4800メートルにある実在の村ルナナを舞台に、都会から来た若い教師と村の子どもたちの交流を描いたブータン映画です。登場するのは、実際にルナナで暮らす人々で、パオ・チョニン・ドルジ監督が描く映像は、人々の笑顔あふれる暮らしを映し出し“本当の豊さとは何か”を問いかけているようです。
ウゲンは、オーストラリアでミュージシャンになろうとビザを申請しようとしています。教師という職に情熱はなく、したがって彼の評価も低いんですね。同居している祖母の存在も彼を止める理由にはなりません。ところが突然僻地のルナナ村の学校への赴任を言い渡されてしまいます。ブータンの「都会っ子」の彼は当然拒否しようとしますが、冬になるまでの期間だと言われ、渋々承知します。
バスの中ではヘッドフォンで音楽を聴き、終点の町で待っていた案内係のミチェン(ウゲン・ノルブ・ヘンドゥップ)と食事中も携帯を手放さず、ルナナへ向かう山道でもバッテリーが切れるまでヘッドフォンを外しません。町で買った「ブラピも履いてる」と薦められたゴアテックスの靴はぬかるんだ山道では役に立たず、ふとミチェンの足元を見ると彼は長靴なのね。立派な靴よりただの長靴の方が役に立つ、そんなエピソードがこれからの生活を象徴しているように思えます。でもミチェンには長靴を手に入れただけで凄い嬉しいことなんです。
村に着くと村人全員の歓迎を受けますが、村には電気もトイレットペーパーも窓ガラスもなく、子供たちは車を見たことさえありません。あまりの生活の違いに到着早々「帰りたい」と訴えるウゲン。我儘過ぎだろ!!でも村長は無理に引き止めることはせず、では帰る準備をしましょうと言います。その準備が整うまでのつもりで、ウゲンは子供たちに授業を始めます。学級委員のペン・ザム(役同様、実際の彼女の家庭も崩壊していて、祖母と暮らしているのだそう。)初め、子供たちは純粋に学びたいという意欲を持って目を輝かせています。そんな子供たちと接するうちに、ウゲンの気持ちが動きます。彼は村長に村に留まることを告げ、徐々に村に馴染んでいきます。
火を焚く燃料がヤクの乾いた糞だと教わったウゲンは拾いに行きますが、そこでブータン民謡の名手であるセデュ(ケルドン・ハモ・グルン)と出会います。彼女から「ヤクに捧げる歌」を習ううち親しくなる二人。
教室には黒板もなく、教科書やノート、教材なども不十分。ウゲンは友人に頼んで教材や紙、ボールなどを送ってもらいます。黒板は村人たちが作ってくれました。村人たちの教師への尊敬は心地よく、子供たちは授業を真剣に聞いてくれるので教師としてのやりがいもあります。
春から夏、秋と過ぎ、すっかり村の暮らしに馴染んだ頃、ウゲンが町に帰る日がやってきます。雪に閉ざされる前に村を出なければいけないんですね。彼は子供たちへの愛着と自分の夢の間で悩みながらも夢を選んで村を去っていきます。涙をこらえて先生を送る子供たち、セデュからのストールの贈り物は帰ってきてねという気持ちが伝わってきます。(ん?村に来る前はGFがいたけどな~)行きには無視した山の神への祈りを帰りにしっかり捧げるウゲンの中にはやはり迷いがあるのでしょうね。
場面が変わり、オーストリアのバーで誰からも注目されずに歌うウゲンの姿が映し出されます。(たぶんGFとは別れてるな)演奏を止めた彼が再び歌い出したのはアカペラの「ヤクに捧げる歌」でした。そしてエンドロールへ・・・ウゲンは自分の居場所がどこなのかに気付いたんですね。おそらく彼は村に戻るだろうなと思わせるラストでした。まぁ、現実は期待していたほど甘くなかったともいえるのかな?そういえば、彼の祖母はどうなったの?
素朴で伝統的な暮らしを続けるルナナの村人たちと雄大な自然に癒される、そんな作品でした。