またカァ〜
やっぱりカァ〜
ダメだったカァ〜
カァ カァ カァ
カラスのコトバじゃないよ
もうあいつとのことは
むなしさしかなく
完全終了と言う言葉が一番
吉田拓郎さんのアルバム
元気ですに
「ガラスの言葉」という
アコースティック曲の名曲がある
最初
ガラスをカラス
と僕は見間違えて
「ん?」
カラス?鳥のカラスが発する言葉?
なにしろ
拓郎さんの作品には
「馬」というのもあるから
「カラス」もあっても
不思議ではなかった
ファンなりたての頃
貪るように
拓郎さん作品を聴きまくってた頃
なるほどなるほど
「カラスの言葉」かぁ
という慌てん坊のせっかちで
おっちょこちょいの僕は
その先入観で聴いていた。
「カラスの言葉」と言う作品は
聴いていくうちに
歌詞カードを見ていくうちに
「ガラスの言葉」という正解に気づいた。
歌詞の内容に辻褄があわない
不思議な歌詞に思えて
そりゃそうだよね
ガラスのカラスじゃ
意味合いもニュアンスも違う
そもそも
言葉を
ガラスのような…と
表現したところに
ポエムっぽい
歌詞のなかに
🎵こんばんは
どこへゆく風
ミルキーウェイに花がほら
あんなにいっぱい
ほら
ゆれてるよ
ポエムだよね…
ギター一本の演奏で余韻を残して終わる
元気です
と言うアルバム
名盤たる所以は
最後の締めの
「ガラスの言葉」にある気がする
そういえば
僕の中で縁を切ったあいつの言葉も
ガラスの言葉だったなぁ
特に割れた、欠けたガラス。
あぶなっかしく
チクッと触ると痛い
あの感じ
言葉が危ない
って
まさに言葉の暴力を正面きって
やってくるやつだった
めんとむかって
とか
電話で
とか
での話し合いなんか
できない
ある意味臆病ものだった
ホント残念だけどいったん
割れたガラスを繋ぎ合わせて
再生しようと思ったんだけど
やっぱり
割れたガラスは
割れ物でしかなく
さらに衝撃にはたえられなかったね
あいつ自身もガラスのようだったし
あいつの放つ言葉も
ガラスのようだった
それは
人様を傷つけることに
平気で
自己防衛のため
時と場合も容赦なく
振りかざされてきた
ガラスの言葉で切られた
こちらの心はささくれ
気持ちは血まみれ
修復歴の繰り返しだった
僕らの関係は
もう
そんな危なっかしいものに
固執する意味もなくなった