亭主関白…という言葉は
昭和以前の産物で
もう、完全に僕の周りでは
亭主関白の家庭など
見受けられない。
男女雇用機会均等法というものが
法律で施行されてから
また、女性の権利を認める世の中の
風潮が後押し、女性の社会進出の
目覚ましい昨今
子育てもしやすくなり、
もっと言えば、旦那さんまでも
育児休暇を所得できる会社まで
出てくる世の中。
男性が子供を抱っこ紐で
抱っこしてる光景を見る
ベビーキャリアとかいう
商品まで販売され育児に参加する男性も増え
当たり前な顔をして
やってるところを見ると
すごいなぁ〜と思う反面
違和感も感じる
僕なんかは恥ずかしくて
子供を抱っこ、おんぶ紐で
あやすなんて
とてもとても恥ずかしくて
せいぜい
ベビーカーを押して
あやすくらいが席の山。
関白亭主に憧れて
さだまさしさんの
関白宣言が発売され、ヒットして
いた頃には
ある意味夢や、希望があった!
あの歌のように。なんて、
思ったりもして
それが
どうにも
こうにも
時代はこんなに変わって
しまった。
関白失脚とはいったもんで
というより、最初から
関白亭主にはなれなかった
恐妻家の僕は
抑え込まれ
封じ込まれ
せいぜい
今のような
時代でなかったのが
救いであって
今の時代のような
育児の風潮があの頃
あったなら
間違いなく
僕は子供を抱っこ紐で
抱いてあやしながら
休みの日は育児していただろうと
仕事さえしとけば
いい時代はもう
終わった
昨今の風潮
確実に
考え方や
時代の空気感は
昭和のそれとは
雲泥の差だ。
とりのこされた
意識とともに
戸惑いの中を
彷徨う
昭和生まれの
高度成長期とバブルを体験した
世代は
いい時代を体験し過ぎて
時代の流れを読むのに
苦労している
惨めさと哀れを
売り物にして
人の気を引くのは
流石に恥ずかしく
でも、
たまに、惨めさや、哀れはを
ふと、感じる時
たまらなく
自分が消えてなくなりたいと思う事もある。
色々あって
人生。