何回目かの
記念日が
今年もまた
明日やってくる
もう一つ歳を
重ねるわけだね
祝ってなんてくれるなよ
1985年の吉田拓郎さんは
歌っていた
当時38歳
そして、2回目のつま恋1986年
40を目前の39歳
最後のオールナイトコンサート
であった
ワン・ラスト・インつま恋、
あの頃巷のアレンジは
よくレゲエ調が多かった。
この歌もレゲエのリズムでの
詩の拓郎節を叩きつける
無頼感あり、哀愁感ありの
名曲でもある
誕生日を迎えた僕も
毎年この歌を口にすることが
ある。
祝って欲しい本音を
照れ隠し
祝ってなんてくれるなよ
と突き放す。
19〜20歳の頃に想いを馳せ
歳を重ねる事に
無駄な煩わしさを覚えてみたり
一種の焦燥感にとらわれる
不惑の40代
などと言われた頃もあり、
世間で言うところの
仕事場でチカラを発揮できる
年齢、年代になる
40代。
突き進む推進力が増す分
周りや、自分を見失うことも…
そうやって疲れてしまう
50代
今年もやってきた
誕生日。
「いくつになってもhappybirthday」
という歌もある
拓郎さん
むしろこの歌を軽やかに
歌える、聞けるようになる
心持ちを持っていたいとさえ
思う。
「いくつになってもhappy birthday」を発売したとき
拓郎さんは55歳だった。
そんな心境になっていっていたんだ…
まだまだ
世間と、自分と
目に見えないものとの戦いに
奔走する日々には
85年発売の
「誕生日」の方が
僕には合ってる
今日の誕生日…
今年もまた、ひとつ歳を重ねたわけだね
今の自分を優しく見つめたい
20歳の頃もきっと そうだった。
自分の心を確かにしておこう
20歳の頃も きっと そうだった
身体もいう事をきかなくなって
いきながら
思うようにいかなくなる
苛立ちと、目に見えない
プレッシャーが
立ちはだかるけれど
心は、
気持ちは
20歳の頃と
なんら
変わってない
自分を思い出す。
お誕生日は明日なのですね。お祝いの言葉は明日贈ることにしましょう笑
体と見た目は疲れてきていますが、心は20歳のまま、ですね。
歳を経て、たんなる数が増えていくだけだと、照れながらいても
やっぱり特別な日なんですよね。
祝ってくれなくてもいいけど、覚えていてくれたら嬉しいですよね。
けど、覚えていてくれたなら、
一言でも言葉が欲しいと思いますよね。
何にもなければ、とても、つまらなくて、いじけてしまいそうになりますものね。
不思議な不思議な、誕生日という日。
実は、自分の母親が産みの苦しみに耐えた日でもあるので、
きっとそれを意識しないまでも、やはり特別な日なのです。
良き一年をお送り下さい。
もう、こんなに歳を重ねできたんだなぁと
恥ずかしいやら、少し誇らしいやら😆幼少期は橋の下で拾われた
孤児だ、と親から散々言われ
自分の誕生を呪ったりした事もあったり、今思えば馬鹿馬鹿しい作り話も懐かしく、愛情の裏返しでしたね。改めてここまで元気に産んでくれ、育ててくれた両親に感謝し、親より先に逝かないよう親不孝せぬよう、いつまでも気持ちも身体も若くいたいと願ってます。😆😆😆
有名人だと松岡修造さん、伊原剛さん 亡くなったイーグルスのグレン・フライさんがいます😆
早く大人になりたかった20歳の頃からみて
その頃の大人になった今。
20歳の頃に戻りたいと…
思ってしまう人は都合よく、生きてますよね😆😆😆😆
11月生まれなんですね👏👏👏
この世に誕生された奇跡の日、ご両親に
感謝の日でもありますね!
waruzさんにとって、実り多き
1年となりますように✨🎉
稲穂かな…
といった具合に謙虚に
自分らしく いきます😆
決して、うなだれて
寂れた姿や、心にならずに…
です。😊