4連休が明けての火曜日だから きっとビックリするほど多いと思った通り 2000人を大きく上回った今日の感染者数
ワクチン接種を終えたし 8月になったら行動範囲を広げる気でいたけど その気は失せてしまった
菜園での収穫がバラエティーに富んで来た
トマトやらキュウリやらを娘宅にも届けて戻ると お隣の奥さんがレジ袋を手に玄関から出て来た
袋を開いて 「要らないでしょう?」 と見せてくれたのは どっさりのキュウリ
彼女は私の菜園を知っているから 「要る?」 ではなく 「要らないでしょう?」 なのだ
先日 私も そのキュウリの作者である近所の大御所さんより 袋いっぱいのキュウリを差し出され 「私も作ってるけど味が違うからいただきますね」 と言っていただいたばかり
その袋をぶら下げて帰宅する途中に知り合いと出会い 「キュウリ間に合ってる?」と尋ねると 「ない」 との返事だったので お譲りしたのだった
二人暮らしのお隣さんは 大量のキュウリに困り 犬の散歩仲間さんが食べてくれると言うので届けるところだと言う
収穫が目的であっても 収穫までの過程を楽しむと言うこともあるから 毎年 食べきれないと分かっていても必要以上の苗を植えてしまう
そして有り余ったキュウリが こうして町内会の義理を果たすのだ
差し出されたものを 要らなくても貰う ということの是非は分からない
もし それが やっと実った貴重なキュウリなら丁重にお断りするのもありだと思うけど
受け取りを拒否されたときの 差し出した側の気分は良いものではないと思うから それが何であれ 私は受け取ることにしている
そこには明治生まれの祖母から 「他人の物を欲しいと言うな 他人がくれるものは要らなくても貰え」 と教わったことが根底にあるのだ
たぶん 私と同年代のお隣さんも そんなことで 本当は間に合っているキュウリを有難く受け取ったのだと思う
ただ 令和の世に 祖母の教えを伝えて良いのかどうか