日々是好舌

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中国高速鉄道事故。

2011年07月25日 10時40分20秒 | 日記
中国浙江省温州市で23日夜に起きた高速鉄道列車の追突・脱線事故は24日、死者が43人に増え、負傷者は210人を超えた。事故原因としては、列車衝突防止システムの作動不良などが指摘されている。中国が誇る高速鉄道の安全性への信頼を失墜させる事態で、胡錦濤国家主席は張徳江副首相を現場に派遣、事故原因の徹底究明を指示した。

 鉄道省は同日夜の会見で、死者数は35人としている。上海の日本総領事館によると、死者に日本人は含まれていない。2007年に運行を開始した高速鉄道初の大事故で、鉄道省は同日、上海鉄道局の竜京局長ら幹部3人を更迭した。

 新華社によると、鉄道省報道官は同日、「落雷による設備故障が原因だった」と説明し、衝突防止の自動制御システムが作動しなかった可能性を示した。

 この事故は、浙江省杭州から福建省福州に向かっていた「D3115」(乗客約900人)が何らかの理由で急停車したところに、北京発で福州行きの列車「D301」(乗客約500人)が追突。D301の車両4両が高さ約20メートルの高架橋から落下した。追突したD301は、6月30日に開業した北京-上海間の高速鉄道(中国版新幹線)を経由し、南下する路線を走っていた。D301は日本からの技術供与で中国で製造されたCRH2型の「和諧(わかい)号」。

 不謹慎な話であるが、中国が新幹線の技術をアメリカで特許申請したという話を聞いたときに、私は今の中国の技術水準では近いうちに間違いなく事故が起きることを予見した。これは複数の人に話しているので単なる私の思い込みではない。

 私は宮崎県のリニア実験線にも乗車したことがある。つまり、鉄道アニアの一人である。何故、事故を予見したかというと、我が国と中国とでは高速鉄道に対する技術の歴史が違うということである。

 東海道新幹線が開業したのは47年前の昭和39年(1964)10月1日である。

 実のところ、新幹線は昭和29年(1954)に完成するはずだった。正確に言えば、昭和15年(1940)からの15年計画ということである。
 この列車は、最高時速200キロ、東京ー大阪を4時間、東京ー下関を9時間という、当時としては驚異的なスピードで運行される超特急で、「弾丸列車」と呼ばれていた。

 弾丸列車の終着駅は下関ではない。計画では、下関から世界最長の「朝鮮海峡海底トンネル」(全長約200キロ)を経て釜山へ。さらに、京城(現ソウル)、奉天(現瀋陽)を通過して、片や満州国の首都・新京(現長春)へ、片や北京へと到達するスーパー国際列車であった。
 新京までは35時間40分、北京までは49時間10分という所要時間である。
 従来、特急「富士」を使って下関まで行き、そこから船使用で新京まで行くのに52時間かかったので、まさに「弾丸」の名にふさわしいスピードだったのである。
 戦前日本の鉄道計画は、弾丸列車で終わったわけではない。
 最終的には、大東亜共栄圏を縦断し、昭南(現シンガポール)まで到達する大鉄道網を亜細亜に建設するはずであった。ルート案はいくつもあったが、主なものは、北京から更に漢口、ハノイ、バンコクを通って昭南へ。まさに壮大なプロジェクトが進行していたのである。

と、まあくどくどと申しましたが、我が国の高速鉄道は旧・国鉄時代から70年以上に及ぶ歴史がある。それに比べれば中国の高速鉄道は歴史が浅く、当然のこととして技術の蓄積も少ないのである。