日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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病院はまこと不潔なところです

2015年03月01日 11時20分12秒 | 日記
 1月26日に入院した部屋は4人部屋だった。私のベッドは南向きの窓際で一番陽当りのよい場所にあった。

 私の前にこの場所にいた患者はヤクザ風の無愛想な男でテレビの音量を大きくしたりして勝手気ままな生活をしていたようである。つまり部屋の皆の嫌われ者だった。その後釜の私は話題豊富な”おだっくい野郎”だから、部屋は一気に和やかな雰囲気になったのである。

 私の西側の患者さんは75歳の穏やかな人物だった。バスの運転手や運行管理をして定年退職後は幼稚園の送迎バスの運転手をして70歳まで働いていたそうである。毎日、ビールと焼酎で晩酌するのが唯一の楽しみで、9歳若いバスガイドあがりの奥さんとの間に4人の子供と8人の孫に恵まれてなに不自由のない生活を続けていた。

 昨年の12月に便の中に大量の出血があり、検査を受けた結果は大腸ガンとの診断で年末年始を自宅で過ごして、正月明けに大腸摘出手術を受けて体外に人工大腸を装着している。もう40日間も風呂に入っていないということであった。手術後もドレインといって手術部位から滲出する体液を体外へ出す管を取り付けている。だから容易に風呂には入れないのである。

 それではどうしているのかというと、午前9時ころに蒸したタオルが二本配られてくる。一本は上半身、一本で下半身を拭けというのである。しかし、昨日は誰かが下半身を拭いたタオルで今日は別の人が顔を拭いているのである。勿論、洗濯をして高温で蒸してあるから大丈夫だというのであろうが、少し臭いもしてあまり気持ちの良いものではない。

 私の隣のベッドの患者さんは70歳の鮨屋のご主人だった。この人は元々糖尿病やリウマチを患っていたが昨年末に胃ガンがみつかって胃を全部摘出したそうである。食道からいきなり小腸へつないであるから一度に多くは食べられない。食事は6回に分けて食べていたが、食べると押出し式に排便することになり夜昼となくトイレに通っていた。この人もドレインの管が出ていて入浴できないでいた。

 もう一人の患者さんは電力関係の企業に勤める59歳の方で病名ははっきりとは聞かなかったがどうやら胆管ガンを切除した様子だった。この人もドレインの管を出していた。

 同室の3人の患者さんとは話をしてみると、共通の知人や友人が多くて、びっくりするほどであった。世間は広いようで実は狭いのである。

 私自身は肛門周囲膿症つまり痔瘻だから入浴はできるのだが、外科病棟に入院中に入浴できたのはたったの3回だけで、1回目と2回目は30分間という短さで垢がふやけた程度であった。3回目は1時間の時間をもらったのでようやく全身を洗うことができた。

 内科病棟へ移ったのは2月17日であるが、同室の患者さんの間断のない咳と洟をかむ音で一睡もできず参ってしまった。それで部屋替えを申し出たら個室しか空いていないというので一日当たり5000円弱の利用料金で移ることにした。個室にはシャワーの設備があったが、あまりにも狭いスペースで使いにくいものだった。それで一日おきくらいに下半身だけを洗っていた。

 内科病棟には10日間ほどいたが風呂に入れたのは一度だけである。風呂は空いているのに入浴させないのは単に看護師が準備や後始末が面倒だからだと私は判断した。

 外科の看護師には緊張感も見られたが、寝たっ切り患者の多い内科病棟の看護師には緊張感が欠如しているように感じた。私が食前に飲む薬を持ってくるのを忘れてしまい、文句を言ったら、貴方だけが患者ではないなどと暴言を吐く始末である。

 27日の10時に退院して帰宅して最初にしたのは入浴である。43度のお風呂にゆっくり浸かっていたら全身の皮膚から垢がふやけて風呂水の表面に白く浮き出した。1時間ほどかけて頭の天辺から足の指先まで丁寧に洗った。

 1か月以上に及ぶ今回の入院で判ったことは看護師には何の権限もないこと。彼女たちは医師の威を借る狐であるということ。病院には風呂場はあっても脱衣所もろくに備わっていないということ。なかなか入浴の機会が与えられないということ。病院というところは意外にも垢に塗れた患者ばかりの不潔なところであるというのが私の率直な感想だ。

激痛の肛門膿症泪した

2015年03月01日 07時48分37秒 | 日記
 年末・年始に体重が増えて血糖値が上昇するのは例年のことである。これは糖尿病患者に共通する悪しき現象のようだ。

 年末・年始には忘年会、新年会などの酒席も多くなり、お雑煮、お節料理などの美味しい食べ物に囲まれてついついカロリーオーバーに陥りやすいのである。情けないことだが生活習慣病の患者は誘惑に弱いのが共通の欠点でもある。

 小生もその例にもれず、年末からのお雑煮、好物の酢蛸などの佳肴をあてに連日の飲酒を続けた結果として体重が3キロ近く増加してしまった。血糖値が上昇すると覿面に免疫力が落ちて化膿しやすくなるのも経験済みのことである。

 正月明けにはJC(青年会議所)の若い経営者の諸君に招かれて麻雀大会に参加して堂々の5位入賞と善戦したりもした。

 しかし、私の悪運もそこで尽きたようである。1月20日のことであるが俄かに肛門に激痛が走ったのである。その痛みは肛門へ竹串を刺されたような堪えようのない痛みである。

 実は32歳のころに切痔で酷く出血したことがあり、外科医院の治療を受けたことがある。その時は薬の服用などで治し、切除手術は受けなかった。

 1月21日に会社を休み主治医のところへ駆け込んだのである。しかし、私の主治医は内科医であり肛門科の外科医ではない。直ぐに総合病院の外科へ紹介状を書いてくれたのだが、先方の都合で入院は1月26日の月曜日ということになった。

 痛みにのた打ち回る私を見るに見かねた家内が薬局へ走って市販の痔の薬”ボラギノール”を買ってきて肛門へ挿入してくれた。ロケット形というのか弾丸というのか白い蝋のような固体である。肛門へ挿入すると体温で融けるようになっているようだ。

 3回目の挿入をしたときのことである。キャーという家内の悲鳴がして、肛門の痛みが少し和らいだ気がした。どうしたのだという私の問いかけに、我に返った家内がいうのには、肛門の”菊のご紋章”の右側1センチくらいのところから大量の血膿が噴出したという。その時に家内のとった行動は実に適切であった。

 10年近く前に不要になった自分の生理用ナプキンを戸棚の奥から引っ張り出してきて傷口へ貼り付けてくれたのである。炎症部の膿が出て圧力が減少した所為か痛みも少しだけ和らいだのであろう。

 それからの一日、一日の長いことといったら喩えようがない。この数日をどうして過ごしたのかもよく憶えていないが、ついに26日の朝を迎えた。タクシーで1200円ほどの農協系の総合病院へ直行した。

 直ちに外科外来の診察台に載って、主治医の診察を受けた。”う~~~ん。これは酷い”主治医の声がした。肛門周囲膿症という病名で、慢性化すると痔瘻になるという。症例は少なくないが自壊して膿が噴き出すのは珍しいという説明であった。

 しかし、化膿した状態では執刀できないという。先ずは痛み止め注射をしてもらって直ぐに病室へ案内された。それからは連日の点滴を受けて化膿が収まるのを待つ、退屈な毎日であった。何もすることはないので邪馬台国関係の本を3冊も読んだ。

 肛門の痛みが和らぐと、同時に両足の親指の巻き爪が激しく痛み出した。そこで看護師に何度も訴えたのだが聴いてはもらえなかった。そこで主治医の巡回の時に直訴したら、その場で診察してくれて、直ぐに手術してくれた。巻き爪も化膿していたようであるが、肉に食い込んでいた爪をカットして、そこの部分の爪が伸びないように薬剤で処理してくれたようである。フェノールフタレインを準備しろという主治医の声が聴こえたから多分、その薬液を使ったものと思われる。実はフェノールフタレインは我々土木技術者にとってもなじみのある薬品である。つまり、この薬品でコンクリートのアルカリ性が保たれているかを判定するのである。

 そして退屈な二週間が過ぎた2月10日、遂に手術を受ける日を迎えた。・・・・続きは次回に。