京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

時間についての考察 XII:時間の受容器はあるか?

2019年06月15日 | 時間学

 

 ヒトは様々な環境情報を受容しそれに応答する。アリストテレスは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚をヒトの五感を定めた(間抜けな事に温感が抜けていた)。この他に、ヒトには時間に関するセンス(感覚)が備わっているように思える。そうであれば時間の受容器というものがあるかどうかが問題になる。以下の表はヒトのもろもろの感覚の構造を比較したものである。時間感覚は、視覚や聴覚などの1次感覚を経た変化の認知をもとに生じた意識の一種であるといえそうである。

 ここで色覚と時間感覚を比較検討してみよう。色とは物が発したり反射した光(電磁波)を眼が受容し、神経連合を経た情報を脳が処理して得たクオリアの一種である。脳が赤色とか青色とかいう感覚を生み出しているのであって、赤と青といった物は存在しない。存在するのは、それぞれに対応する光波長スペクトルである。しかも眼(受容器)や脳(情報処理機)には個体差があって、ある人の”赤”と別の人の”赤”が違ったりする。極端なケースは色盲の人で、この場合はたとえば”赤”が存在しない。さらに言うなら、紫外線を感ずるモンシロチョウとヒトとでは、同じ花を見ても違うパターンに見えている。ただ重要なポイントは刺激の要因として電磁波という物理的な実体があることだ。一方、時間感覚も脳内でのクオリアのようであるが、これは変化・運動の認知というプロセスを経て感じられるもので、特定の物的実体そのものではないと言う事である。逆に変化・運動が生じ、それを感知できれば物や事にはこだわらない。

  

  感覚    環境要因         刺激の実体        感覚受容器          測定器            備考


  視覚     光            電磁波         眼(視細胞)       ホトメーター、照度計   色は電磁波の特定の波長  

  聴覚     音            物の振動        耳(鼓膜)        ソノグラム、

  触角     物            物の圧力        皮膚           圧力センサー

  味覚     食物           分子          舌(味蕾細胞)      ガスクロ

  嗅覚     匂い           分子          鼻(嗅細胞)       液クロ

  温覚     熱            分子の運動量      皮膚(クラウゼ小体)   温度計

  時間感覚  物・事象の運動・変化    脳における変化の認知    あらゆる感覚器      時計           ある振動体(clock)が意識連続を作る


 

 鴨長明の方丈記の有名な冒頭『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし』が表すように、視覚による空間変動の認識が時間感覚を生ずる最も大きな要因のようである。それ故に空間概念と時間概念との間には一種の写像関係が成り立っている。視覚による空間映像は瞬間-瞬間のものであるが、それをフィルムのコマのように連続することによって、運動や変化をなめらかに視ている。この”なめらかに視れる”というのは当たり前のように思えるが、これは脳におけるある種のアルゴリズム(ソフト)が働くおかげである。聴覚によっても3次元感覚を得る事を我々は経験的に知っている。音源の位置によって、前後、左右や上下と、その距離を推定する能力をヒトは備えている。ステレオの左右の音は調節すれば、音源が移動するように聞こえる。すなわち音で時間を生成する事ができる。音波はソノグラムで見るとそれぞれ単一の波形ピークであるが連続してメロディーとなる。この「連続感」こそが時間感覚のベースになっている。このアルゴリズムの作動には、おそらくコンピューターに仕組まれているクロックのようなものが必要と思える。 

 このように物の変化を感知して生ずる時間感覚は日周期、月周期、年周期といった自然サイクルによって円環的なものとして強化される。サイクルの経験によって時間感覚が生ずると唱える説があるが、サイクルの時間は連続の時間に上乗せされたものである。それは心理的な時間認識としてだけでなく、生理的な適応機構(概日リズムなど)として遺伝的にわれわれの身体に固定されている。それゆえに外的環境の変化だけでなく、体内環境の変化も意識されることによって、時間感覚を生ずるということである。もっとも卑近な例では腹時計をあげることができるし、概日リズムの体内時計に支配された生理的イベントや睡眠などである。さらに、脳における思考や思念そのものも記憶の内容や量の変化といえるので、これ自身が時間を生み出す要因といえそうである。吾思う故に時間ありというわけである

 時間は文字通りには、時刻Aと時刻Bの間隔を表す。時間を一次元の線分で表すとA点とB点の間の長さである。一方、時刻はある基準における時点(瞬間)を表す。日常では「集合の時間を教えてください」などと時間は時刻と同じ意味で扱われるが、時間学において、時間は「長さ」を、時刻は「点」を表すことにする。ヒトは、時計なしにこの二つをそれぞれ意識下で認知できる動物である。他の動物でこれができることは証明されていない(唯一ミツバチが例外である)。時計や天候をみないでも閉鎖された事務所で時間や時刻をピタリと当てられるサラリーマンは多い。これは仕事量といった物理量の意識的計算による場合もあろうが、多分に体内時計によると思える。

 相対性理論では空間と時間はそれぞれ独立したものではなく、まとまって4次元時空を作る。我々の眼には4次元時空は残念ながら見えない。なぜなら眼は3次元構造だからである。網膜は二次元の膜だが両眼視差を利用し、これも脳内アルゴリズムでもって立体視している。陰影効果(光は上方から、影は下方)、遠近効果(遠くの物は小さく見える)なども立体視に働いている。かくして脳はいわば次元を作るマシーンといえる。我々の脳が3次元を生み出すだけでなく、その方向も指定するという証拠がある。ネッカーの立体視という興味ある現象である。図は透明なガラスでできた立方体である。

    

この図は、立体を底の方を斜め上にみる見方と、蓋の方を斜め下にみる見方の二つがある。この二つの見方は、少し訓練すれば思うままに反転することができる。ただ凝視している内に、まばたきの瞬間にはずみで反転したりする。持続するには「下向き」とか「上向き」とか方向を固定する意志が必要である。これは我々の知覚が刺激次第ではなく、即ち即物的なものではなく、自分の意志が見るべき方向を指定していることを意味している。ところで脳が2次元を3次元に変換できるというのであれば、3次元を4次元にも変換できるのではないか?脳の中で時間の軸を過去にも未来にも移動する事とは何か?眼をつむり過去や未来のシーンを思念することか?あるいは夢(dream)を見る事か?。夢は脳内の疑似的4次元ドライブかも知れない。

 

参考文献

 エルンスト•ペッペル 『意識のなかの時間』(田山忠行、尾形敬次訳)岩波書店 1995

 

 

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