京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

悪口の解剖学 V 高島俊男の最強の悪口

2019年07月05日 | 悪口学

 

 中国文学者の高島俊男氏は博覧強記の人で、豊かな学識と文才を背景に多数の評論やエッセイーを著している。『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(文春文庫 1998)はそれまでの評論や随筆を収集したものだ。ここに収められた作品の一つ「ネアカ李白とネクラ杜甫」(1995年第11回講談社エッセイ賞受賞)は何度読み返しても面白い。この本を最初から読むと、それほど悪口は書かれていない。国語辞典の不備(「ボウゼンたるおはなし」)、NHK囲碁番組のおかしい言葉づかい(「握りまして先番」)、漢字の不適使用(「わが私淑の師」)などは正当な批判が縷々展開されているが悪口ではない。本のタイトル「本が好き」はよいとしても、「悪口言うのはもっと好き」はおかしいのではないかと思いつつ、さらに読み進めると、最後のほうの随筆「つかまったら何より証拠」で超弩級の悪口にぶちあたった。いか紹介する。

 話の舞台は国鉄時代の渋谷駅である。高島氏は切符の販売窓口で職員の態度に腹を立て、仕切りのプラスチックの窓をたたいてヒビを入れてしまう。彼はその場で鉄道公安官に取り押さえられて、駅構内の一室で取り調べられるはめになる。そして落語の「ぜんざい公社」に出てくるような尋問を何時間も受けて、調書をとられる。とられた調書の記載は「私は駅員の態度に腹を立て、日本国有鉄道の財産たる窓ロプラスチック板を拳で強打して損壊したのであります」とたったこれだけだったそうだ。

さらに話は続く。以下は本文からの抜粋。

  『いや、自動販売機の横にこう書いてあり、向いの売店では……」と縷々説明しても、「だからつまりこういうことじゃないか」とそれ以上は書いてくれない。そのあと声を出して読み聞かせながら手を入れてゆく。これがまた一々欄外に何宇抹消とか何字追加とか書きこむので手間がかかる。そのころにはこちらは疲れ果てて、もう何でもいいや、とにかく早くこの挟い部屋から出してもらいたい、と完全に屈服してしまった。それが終ると彼はごく気軽な調子で「じゃあ渋谷警察に四五日泊ってもらおうか」とったので、飛びあがるほどびっくりした。「国有財産損壊は重いからな。学校はもちろんクビだ。前科がついたらつぎの勤め先をさがすのも容易じゃないだろう」そんなひどいことになるのかとしょげかえっていると、「どうだ、示談にしてやろうか」と言う。「どうするんですか」「金で解決するんだよ」「そうしてください。お願いします」と一も二もなく頭を下げた。「よし待ってろ」と茶色セーターの男は出て行った。しばらくしてもどって来て、「これだけでいいと言っている」と小さな紙片を見せた。誰がいいと言っているのかわからないが、それより金額に驚いた。私も遠くから数日の予定で出てきているからには多少の金は持っているが、とても足りない。そんなに持てないと言うと、誰かに借りられるだろうと言う。手帳を調べたらK君が一番近そうだ。電話を借りてかけたらK君は不在でお母さんが出た。茶色セーターの指示通り、「詳しいことはあとで話す、これだけの金を持って渋谷駅のどこそこへ来てほしい」と頼んだ。またもとの事務室にもどされて一人で待った。よほど経って茶色セーターがあらわれて、示談が成立したから帰ってよい、と言った。』

 そんな馬鹿なと思える話である。高島氏が過失であれ故意であれ、駅でプラスチックの窓を破損すれば、取り調べを受けるのは当然であろうが、その場で示談などと言って、職員が現金を受け取るなどはあり得ない。そのような事をすれば、恐喝を含んだ国鉄職員の犯罪である。どうして国鉄あるいはその後身であるJR東海が、この文章の作者を名誉毀損で訴えなかったのか不思議だ。「あとがき」によると、これの初出は大修館書店の発行の「しいか」という雑誌で、1991年4月〜1994年3月にかけて掲載された『湖辺漫筆』の一部だそうだ。さらに書き出しには「もう二十年も前のことだが」とある。国鉄が民営化されたのは1987年のことで、初出の4-7年も前の事である。名誉毀損の告訴の時効(3年)をこえていたのかも知れない。あるいは、あまりにバカバカしい話なので無視したのか。

もっとも高島氏はよっぽど口惜しかったのか、最後で次のように述べている。

「国鉄が解体されて民営会社になった時は快哉を叫んだものだ。もっともあの悪辣な駅員や公安官どもは、新しいJRのどこかで、本性変らず同じように陰険な弱いものいじめをやっているのかもしれないが」

高島氏のさまざまな評論を読むと、その分野では最高の知性を備えた人物のようである。様々なテーマで、学者を含めたあまたの有象無象の無知蒙昧をバッタバッタと切り倒している。たとえば、外国語の翻訳書でまちがいを徹底的にこきおろした評論を読むと、翻訳者でなくても身がすくむ。ただ、たまに散見する高島氏の生活のエピソードを読むと、まるで未熟な幼児のようなところがあり、不思議な違和感をおぼえる。彼は、この事件の直後、所属する大学の法学部教授のところに相談にいき、さんざん馬鹿にされたそうだ。

 

参考図書

 高島俊男 『漢字検定のアホらしさ』(お言葉ですが...別巻3 ) 連合出版 2010

   高島俊男 『母から聞いたこと』(お言葉ですが...別巻5)  連合出版 2012

高島俊男 『兵站 入営』-これでいいのか本づくり(お言葉ですが...別巻6 ) 連合出版 2014

 

 

 

 

 

 

 

 

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