京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

時間についての考察:カルロ・ロヴエッリ『時間は存在しない』詳解

2019年12月30日 | 時間学
カルロ・ロヴエッリ 『時間は存在しない』(富永星訳) NHK出版 2019
 
 
この本の著者はイタリア出身の理論物理学者である。専門は「ループ量子重力理論」というもので、これは「超ひも理論」とともに万物の根源の理論の一つとして注目されている。量子重力理論ではとびとびになった特定の時刻しかなく、時間そのものが量子化されている。ここでは、とどまることなく一様に流れつづける古典的なイメージの時間などは存在しない。数学的な手続きででてきた理論なので、素人の我々は「ああそうですか」と聞くしかない。
 
  この本の原著タイトルは「L’ ordine del tempo (時間の秩序)」。各国でベストセラーになったそうである。人は何故か自分の理解できない難解な理論に魅力を感ずるものだ。1988年に「ホーキング、宇宙を語る」が出版され、1000万部を超えるベストセラーになった。もっとも大部分の読者は数ページであきらめたそうだ。一方、ロベエックのこの書は一般向けに平易に記述されているので、挫折なしでなんとか読めそうである(と最初は思っていた)。一章づつ解説していこう(斜体は庵主のつっこみ)。
 
{第一部}
まず時間(time)の定義を行っている。
1)特定の時間(A点、B点)(生物時計、特定の時間帯でのイベント、適応的
2)出来事の間隔(A-B点)(睡眠の間隔など、適応的
3)連続の意識(ーーーー)(意識の問題?生命の寿命
4)継続を計るための変数(標的の速度を計るためのアルゴリズム、適応的
 
第一章
地上の高度の違いにより時間の進み方がちがう(山の上の方が時間の流れが速い)。すなわち時間は相対的なもので、単一性という特徴を失い場が違えば異なるリズムを示す。「たいこの達人」の選曲によってテンポもメロディーもまったく違っているのと同様である。そして、物理学は事物がどのように展開するかを記述する科学で、世界はお互いに影響を及ぼし合う出来事のネットワークである。この関係こそが時間である。
 
第二章
ニュートン力学、マックスウエルの電磁気方程式、重力に関するアインシュタインの相対性理論、量子力学のハイゼンベルグやディラックの方程式、素粒子理論において時間の方向性はない。即ち過去と未来の区別はないとしている(過去と未来は対称)。
一方、ルドルフ・クラウジウス(Rudolf Julius Emmanuel Clausius, 1822年 - 1888年)の熱力学第二法則(熱は冷たいものから温かいものに移れない)が唯一過去と未来の区別するものである。これがエントロピー増大の法則(ΔS>0)である。すなわち熱が発生するところに限って時間に方向ができるように思える。頭でものを考えると頭の中で熱が生じて時間の流れが出来る。負のエントロピーを食って熱を発生する生物にも時間の方向性がある。
ところがそれは浅はかな考えではないのかといって登場するのはルートヴィヒ・ボルツマン(Ludwig Eduard Boltzmann, 1844年- 1906年)である。ボルツマンは我々が世界を曖昧な形で記述するのでエントロピーが存在するといった。過去と未来の違いは結局ぼやけ(粗視化)のせいである(すなわち一種の錯覚だというのだ。なんだか物理学の理屈というより哲学のような話)。
 
第三章
地球から4光年離れた惑星にいる人の情報を得ようとしてもできないので、今は何の意味もないという不思議な議論をしている。光円錐図を提示して宇宙時間の構造を概念化しているが理解困難。ブラックホールの光円錐図はますます理解困難である。
 
第四章
アリストテレスの時間論は「事物の変化があるから時間が実存する。時間は事物の変化に対して己を位置づけるための方法で、変化を計測したものである」とした。時間は動きの痕跡にすぎない。(すべての人がこの世にいなくても時間は実存するか?犬や猫に時間はあるか?ショウジョウバエにも時間はあるか?)人間が暗闇で思考するだけで心のなかに変化が生じて時間が流れる。一方ニュートンはそれとは関係なしに絶対時間の存在を仮定した。これこそが本当の時間であるといった。ニュートンの時間は人が知覚できるものではなく計算と観察によって演繹するしかないものあった。これが近代における時間概念の基準になった。
この二つの時間にかんする考えを統合したのがアインシュタインである。彼の時空理論(重力場)が二つの考えを統合した。それによって解釈すると、ニュートンの数学的な時間は重力場のリアルな実存である。一方でアリストテレスがいつどこでが何かの関係で決まると考えたのも正しかった(アリストテレスは「関係」と言ったのではなく「変化」といったので著者の関係という言い方にはひっかかる。変化は関係のある事が多いがアイソトープの崩壊のように関係のない変化も多い)。ようするに時間と空間は現実のものではあるが、絶対的なものではなく、生じた事柄から独立ではないということ。
 
第五章
時間は連続ではなく量子化されておりとびとびである。最小の時間はプランク時間(10-44秒)。一方最小の長さはプランク長(10-33cm)。時空も電子のような物理的な対象であり揺らいでいる。ある時間に限って予測不能な形でほかの何かと相互作用することにより不確かさが解消される(この仮説は細胞レベル以上の現象に当てはまる論理ではないと思える)。
 
ミクロ世界の時間理論が我々の生活するマクロなそれにスライドできるとは思えない。ただ関係としての時間概念が哲学として応用できるのかどうかはテーマの一つでありうる。(時間と他者 / エマニュエル・レヴィナス [著] ; 原田佳彦訳 参照)。
 
(第2部割愛)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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