京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

時間についての考察:時間感覚の生起について

2019年12月27日 | 時間学
 
 
 感覚としての色(color)は実存ではない。物質の表面が放出あるいは反射する光(電磁波)を網膜の視物質が受容し、その神経信号を幾つかのニューロンで変換統合した後に脳の視覚野が生ずる感覚(色覚)にすぎない。電磁波は物理的な実体であるが、それを人あるいは動物が色として感じている。リンゴの赤い色が空中に漂っているのではなく、漂っている実体は電磁波である。こういった意味で色は実存とはいえない。
 
世界における空間・物質およびその変化や運動はどうも実存であるようだ。これらが脳の生み出した幻影や錯覚であるとするのは、世界の多数の人々で同時にそうなる確率を考えるとあり得ない。時間はその変化と運動に付随した物理量のように思える。熱が熱素によるものではなく物質に付随した物理量であるのと同様である。
そして時間が色のように脳で生み出された感覚ではなく、物理量の一種であることを証明したのはアインシュタインの相対性理論であった。物の運動の様態によって時間は短くもなり長くもなる。これは心理的な機構が時間の生成の根源であるとすれば、決してあり得ない事実である。
 
物の変化は千差万別なので人がそれらを数量的に規格化したものが、標準1秒 (second)である。 これは国際度量衡局により規定されたものである。セシウム133原子の基底状態にある2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射9192631770周期を1秒と定義している。これはおおよそ人間の心臓拍動の間隔に近いのである。
 
ただ、前にも述べたように時間を受容する特殊な器官はヒトには存在しない(時間に関する考察 XII:時間の受容器はあるか?)。人は視覚(眼)、聴覚(耳)、圧覚(皮膚)などで捉えてなんらかの変化・運動を感じるとる。これから時間感覚が、いかにして生ずるのかが問題になる。
 
 視覚により人がみる物は変化・運動であって時間そのものではない。同様に聴覚で聞くものは音の変化で時間ではない。そして時間がかかわるは運動の変化の早さ(V)である。
 
  V = ΔD/ΔT (ΔDは環境の変化の量、ΔTは観察時間)
  これから
  ΔT =  ΔD/V
 
 時間は変化・運動の中に包摂されるパラメターで、直接に人(ヒト)が感覚としてとらえるのは「早さ」である。これは生物学的に当然のことで、捕食や被食、その他の生活行動においては速度の評価が重要であったからだ。100メートル競争のタイムの確認や認識よりも、ライオンやオオカミより早いか遅いかといった速度が原始人類にとっては大事であった。
 
しかし上記の方程式が示すように、早い遅いの評価には時間微分という脳内アルゴリズムが必要である。脳ではある種のクロック(振動体)が働いていると思える。いわば「脳秒」[1.0brain sec]の単位で動く振動体が脳内時計を刻んでいる(専門的にはウルトラディアリズムという)。このような基準振動体が存在しないと速度の感覚は生じない。このクロックは加齢を含めた生理的な条件によって変化するようだ。年をとると若い頃より間延びして周期が長くなる。そうすると一日や一年が短く感じられる。この振動の単位は単純に心拍ではないかと想定されるが、激しい運動の後でも心的時計はあまり変化しないとされている。机を指で繰り返して叩くタッピング法によって心地よく感じるテンポがある。このテンポが基準振動数になっている可能性もある。
 
ただ時間感覚や時間認識は環境の変化・運動の刺激そのものから生起するものではない。田舎の時間は都会に比べてゆっくり流れてゆくようにみえる。これは田舎の風景やひとの活動がのんびりしているせいだが、こういった時間感(認識)は景色そのもの観察から即時的に生まれるのではなく大脳での言語化(内省)によってである。
 
(視覚・聴覚etc情報)→(大脳での情報の統合と評価処理→時間感覚)→(行動)
 
さらに大事な事は外的刺激なしに時間感覚は生ずる。夜中、灯を消して眼をつぶっても寝付けないことがある。こういうときにいろいろつまらない事を考えるが、時刻と時間のことが気になる。内的な環境すなわち身体的(生理的、生化学的)刺激が時間感覚を生起している。脳内での思考もまた変化の一種といえる。
 
時間 (span)と「今何時?」の時刻(time)は別の仕組みで認識されるのではないかと思える。時刻認識でも体内時計が働き、人の場合は当然知能が関与している。これについては、いつか考察を加えたい。
 
参考図書
一川 誠 『大人の時間はなぜ短いのか』 集英社新書 0460, 2008
この書は錯視と時間感覚を結びつけようとした点でユニークな書であるが、大部分の現象は神経の情報処理の遅延などによって説明できる。時間生成の根本に肉薄しているとは思えない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       
 
 
 
 
 
 

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