京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

ドブジャンスキーの「Heredity and Nature of Man」(遺伝と人間)を読む

2019年05月26日 | 評論


 テオドシウス・ドブジャンスキー(Theodosius Grygorovych Dobzhansky1900-1975)は20世紀における遺伝学の泰斗の一人である。ロシアに生まれキエフ大学を卒業した後、アメリカに渡りコロンビア大学の動物学の教授として、モーガンと共にショウジョウバエを材料に、ダーウニズムの立場で古典的遺伝学の基盤を作った。ドブジャンスキーをはじめ、この頃の生物学者の大物達は、重箱の隅をつついている昨今の分子生物学者とは大違いで、専門分野を背景に科学、社会、人間などについて思念し様々に持論を展開している。

 ドブジャンスキーの著作は多いが、1964年に名著「Heredity and Nature of Man」を表している。日本語訳は「遺伝と人間」(杉野義信、杉野奈保野訳、1973年)で、岩波書店から訳書が出されている。この書はドブジャンスキーの著作の中でも、現代世界の諸問題を扱った含蓄の深い古典である。これは現在、絶版になっているようで、中古本を購入するか図書館で探して読むしかないが、ここではその内容を紹介しよう。

 本書の前半は大部分、遺伝学についての基礎知識と遺伝子DNAの構造と機能の解説に当てられているが、後半は広く普遍的概念である人間の個性や、「環境か遺伝か」といった問題、他民族へのステレオタイプ的偏見、多様性の礼讃などを論じているが、「放射線による遺伝的障害」についても1章をあてている。1960年代の放射線影響に関する遺伝学者の一般的な考えを、代表しているものと思えるので、要約的に紹介する。

 ドブジャンスキー曰く、生命のそもそもの始まりから常にそうであったように、現在でも、人間においても他のすべての生物においても、突然変異は常に起っている。突然変異なしでは、進化それ自身が起り得なかったはずだ。それゆえ遺伝的負荷は、生命が環境の多様性や変化に進化的な変化によって適応できるようになるために支払う代償だといえる。しかし、この見方を人間にあてはめようとするのは無意味である。それは人間の場合、環境に対する適応は、遺伝的な手段よりむしろ主に文化的な手段によるからである。その上、大多数の突然変異は有害なものだ。人間の場合、突然変異が多く起れば、それだけ多くの人間に苦しみを与えることになる。

 ところが、人間はこれまで突然変異の頻度を減らす方法を知らないままできた。それどころか、最近の科学技術の進歩は逆に突然変異率を上げる結果になっている。近年になって、この問題が広く公共の関心を刺激することになったのは当然のことである。つまり、X線やその他の放射線によって人類の受ける遺伝的障害の問題である。1927年に、H・J・マラーはX線を照射したショウジョウバエの子孫は突然変異の頻度が高くなるということを発表した。現在では、すべての高エネルギーの、つまり透過性の強いイオン化放射線は突然変異を誘起するということが知られている。つまり、放射線を受けた個体の子孫には突然変異の出現頻度が増加する。突然変異を誘起しやすい放射線は、X線、ラジウムのガンマ線や核兵器実験による放射性降下物、原爆の灰や原子炉や原子核破壊装置から出る放射線等々である。

 これらの被ばく後、影響が比較的早く出てくる症状と、悪性腫瘍(ガン)のように遅く出てくるものがある。遺伝的障害は生殖組織の中で誘発され、子孫に伝えられる突然変異を含んでいる。生理的障害は、どんなに痛ましいものであろうとも、放射線を受けた世代に限られる。しかし、遺伝的障害は放射線を受けた人の子孫に、しかも被曝後何世代にもわたって障害を与える。

 生理的障害と遺伝的障害のもう一つの違いも大切なことである。微量の放射線は、生理的には何ら障害はない。というのは生理的障害には、それを生じる最少危険闇値があるからである。ところが、遺伝的障害はそうはいかない。誘起される突然変異の数は放射線の量に比例する。障害が起こらないような放射線の最少値、つまり、安全な値というのはないのだ(いわゆるLNT仮説が主張されている)。

  したがって、大気中での原爆実験などからの放射線降下物から受けた放射線の量が如何に少なくとも、それを受けた集団に或る数の変異を誘起することは避けられない。どのような放射線源にしろ、そこから出る放射線の量が、少ないからといって無害であるとはいえない。特に、その放射線を浴びるのが全人類、つまり三十五億(現在では70億)の人間であるとすれば、なおさらのことである。どんなに少人数であっても、罪もない人々を死に到らしめたり、苦しめたりすることは倫理的にいって全く弁護の余地がない(ICRP関連の研究者が口をすっぱくして、“してはいかんよ”と言っている”掛け算”をドブジャンスキーは言う)。

 他方、極微量の放射性元素は、すべての生体の中にも、また環境の中にも含まれているので、すべての生命は常にある程度は放射線に曝されてきたのだということも忘れてはならない。ほとんど除去できないこのような放射線のバックグラウンドは常に突然変異を誘起していきた。このバックグラウンド以上に人工の放射線源によって、放射線量がどのくらい増加したかを測定する試みがなされている。当然、放射線量の増加は科学技術の進歩した国が最も大きい。たとえばアメリカでは、人工放射線源のために放射線被ばく量は約二倍にもなっている。これまでのところは、主な人工の放射線原は放射性降下物ではなくて、医療の診断および治療用に使うX線である。放射線医療に用いることからくる恩恵はあまりにも大きく、これをやめるわけにはいかないが、患者にかける放射線はできる限り少なくしなければならない。殊に生殖器の照射に対しては特別要心しなければならない(医療における放射線の過剰照射問題はこの頃からすでにあったようだ)。

 以上がドブジャンスキーが1960年代に発表した放射線影響についての見解である。現在、放射能問題で、良識派(悲観派?)が主張するほとんど全ての内容がすでに述べられている。現代世界の文明が、生み出す破滅的なリスクは全て遺伝子が関与しているというのが、庵主の見解である。即ち「放射線障害」、「強毒性インフルエンザ」、「遺伝子組み換え生物」の3つである(地球温暖化問題は誤った仮説と思えるので省く)。放射線は人類の生み出した核と原子力によるもので、ドブジャンスキーが述べたようにヒトの遺伝子に作用しガンを誘発し、遺伝子に悪い変異を起こす。強毒性インフルエンザはウイルス遺伝子に変異や組み換えが自然に生じた結果出てくるものだが、現代世界の流通の構造がその力を増幅しスペイン風邪のようなパンデミック(世界的大流行)を引き起こす。さらに3番目のものは、人類自ら生物の遺伝子を改変し組み換え技術により本来ありえない生物を作りだし、それが予想もつかない災害を地球にもたらすというリスクである。幸い、これだけは人類は未だ経験していない。未来において、これらのクライシスのいずれかが発生した場合に(そのうち二つは経験ずみ)人類を救うのは、遺伝子や文化を含んだ多様性であると考えられる。

 

 

 

 


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