2010年5月6日(木曜日)
もんじゅ関連のニュースを集めました。
【朝日】
http://www.asahi.com/national/update/0506/OSK201005060010.html
高速増殖炉もんじゅ、運転再開 事故から14年ぶり
1995年末のナトリウム漏れ事故で停止していた
高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)が
6日午前10時36分、運転を再開した。
燃料のプルトニウムを燃やした以上に生み出す
「夢の原子炉」とされ、国が核エネルギー政策の中核に
位置づける巨大事業が14年5カ月ぶりに動き出した。
ただ、長期の中断を経た再開は世界的にも例が少なく、
安全性や経済性に課題を残すなかでの再起動となった。
事業主体の日本原子力研究開発機構は午前10時半すぎ、
もんじゅの原子炉の制御棒を炉心から引き抜くボタンを押した。
中央制御室に詰めた運転員らは、炉心の核反応を確認しながら、
計19本の制御棒を順次動かす作業を始めた。
8日には、核分裂反応が連続して起きる臨界に達する見通し。
同機構はまず、14年5カ月にわたり運転を止めていた
原子炉が正常に作動するかをみる「炉心確認試験」を行う。
臨界状態のまま低い出力を維持し、制御棒の動きや
炉心内の温度変化などを2カ月半かけて調べる。
その後はいったん原子炉を停止し、次の段階の準備に入る。
来春には、原子炉で加熱した液体ナトリウムを使って
水蒸気を作り、タービンを回して発電する
「40%出力プラント確認試験」を実施。
さらに100%の出力で連続運転させる
「出力上昇試験」を予定している。
各段階の試験が順調に進めば、
2013年春には本格的な運転に入る見通しという。
高速増殖炉の研究構想は1960年代から動きだし、
国がめざす核燃料サイクル計画の柱とされてきた。
一方、空気や水に触れると激しく反応する
ナトリウムを冷却材に使い、核兵器にも使用される
プルトニウムを増やすなど、
運転管理や保安面の難しさが指摘されてきた。
技術開発や採算性を見極めるための原型炉として、
もんじゅは91年に試験運転を開始した。
しかし、95年末にはナトリウムが漏れる火災事故が発生。
当時のもんじゅを管理していた
動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)
による現場ビデオの改ざんなどが発覚し、
安全性への不信が高まった。
その後も、ナトリウム漏れ検出器などでトラブルが続いた。
改造工事を施したとはいえ、14年以上も停止していた
原子炉やプラントが支障なく動くか、なお不安が残る。
複雑なシステムはコストの増大も招き、
これまでにかかった建設や維持管理の費用は約9千億円に達する。
国は昨年の政権交代後も、
もんじゅの運転再開をめざす方針を確認。
今年4月には、地元・福井県も北陸新幹線の延伸などの
地域振興策を条件に再起動を了承した。(岡野翔)
【毎日】
http://mainichi.jp/select/today/news/m20100506k0000e040009000c.html
もんじゅ:運転再開 火災から14年ぶり
1995年12月のナトリウム漏れ事故で停止していた
日本原子力研究開発機構(原子力機構)の
高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市、28万キロワット)が
6日午前、運転を再開した。
高速増殖炉は熱伝導にナトリウムを使うため、
空気中の水分と反応して火災を起こしやすい難点がある。
火災による停止から14年5カ月。
原子力施設では世界でも異例となる長期の運転停止期間を経て、
国が未来のエネルギーと位置付ける
核燃料サイクルの中核施設が動き出した。
原子力機構は6日午前10時36分、
19本ある制御棒のうち1本の引き抜きを始め、
原子炉を起動させた。
8日には、出力0.03%で核分裂反応が連続して起きる
「臨界」に達する見込み。
もんじゅは85年に着工し、94年に初臨界に達した。
しかし、出力40%で運転中の95年12月8日、
2次系ナトリウム配管の温度計が設計ミスで折れ、
ナトリウム約640キロが噴出。
空気中の水分と激しく反応して火災が起きた。
原子力機構の前身の旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、
事故直後に現場を撮影したビデオの一部をカットして公表。
「情報隠し」と強い批判を受けた。
その後、組織改革などを進めて体制を見直し、
07年5月に改造工事を終えた。
運転再開は当初、08年2月に行う予定だったが、
ナトリウム漏えい検出器の取り付けミスや
自治体への通報遅れなど不祥事がまた相次ぎ、
再開は4回延期された。
結局、09年度末までに予算ベースで
9032億円が費やされた。
今後は、11年度に出力を40%にまで上げるなど、
約3年をかけて3段階で出力を引き上げて性能試験を行う。
発電は11年5月ごろの予定で、試験をすべて終了し
本格運転に入るのは13年4月になる見込みだ。【酒造唯】
◇ことば 高速増殖炉
消費した以上の燃料(プルトニウム)を生み出す原子炉。
燃えないウラン238に高速中性子を当て、
燃えるプルトニウム239に変換する。
中性子を減速させない冷却材(一般にナトリウム)を
使うのが特徴だ。
発電は1951年の米国の実験炉が最初で、
現在、商業炉として世界的に主流の軽水炉より先行していた。
だが技術的、経済的課題を克服できず、
フランスは実証炉を放棄。
各国も商用化には至っていない。
【読売】
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100506-OYT1T00474.htm?from=nwla
不信越え、やっと一歩…もんじゅ運転再開
日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」
(福井県敦賀市)が原子炉の運転を再開した6日午前、
原子力機構職員らは、安堵(あんど)の表情を
浮かべるとともに、気を引き締めた。
1995年12月のナトリウム漏れ事故以来、
14年5か月ぶりの運転。
日本のエネルギー政策のカギを握る原発として
期待が寄せられる一方、様々な曲折を経てきただけに、
地元からは安全確保や情報公開を求める声も上がった。
もんじゅの原子炉補助建物地下2階にある中央制御室では、
運転員が午前10時36分、原子炉内での核分裂反応を
調整する「制御棒」を引き抜くボタンをゆっくりと押した。
全19本の制御棒のうち、最初の1本が動き出したことを
示す緑色のランプが制御盤に表示されると、
当直長が「制御棒、引き抜きを開始、
試運転を再開しました」と原子炉の再起動を宣言。
約60人の職員と室内で見守った
岡崎俊雄理事長、向和夫・もんじゅ所長ら
原子力機構幹部が握手を交わした。
原子炉補助建物近くの総合管理棟1階の運転管理室では、
職員らが中央制御室の中継映像を流すモニターを見つめた。
無事に原子炉が動き出したことが確認されると、
拍手がわき上がった。
山下俊男・同室長代理(55)は涙を浮かべながら
「長かったが、あっという間に過ぎた14年だった。
ただ、あくまでも第一歩。
引き続き安全に試験を進めたい」と話した。
95年のナトリウム漏れ事故では、
放射性物質の外部への漏れはなく、
もんじゅの技術者は当初、「運転停止は長くても数年」と、
楽観視していた。
しかし事故後、旧動力炉・核燃料開発事業団による
火災現場のビデオ隠しなど不祥事が発覚。
地元の不信感は強く、国の「核燃料サイクルの柱」でありながら、
再開のめどが全く立たない状態が続いた。
事故から10年後の2005年になってようやく
改造工事に着手、動燃は2度の改組を経て
原子力機構になったが、08年にナトリウム検出器の
施工不良が発覚するなどして、再開日は何度も延期。
国が今年2月に安全確認をした後も、
県は運転再開と引き換えに、国に北陸新幹線の延伸を求めるなど
原子力行政と離れた地域振興の「条件闘争」もあり、
運転再開は5月までずれこんだ。
「情報公開万全を」 この日、中央制御室で
運転再開の瞬間を見届けた河瀬一治・敦賀市長は
「人類に役立つ研究ができれば、
もんじゅは市民の誇りになる。
情報公開に万全を期し、地元と信頼関係を
築けるようにしてほしい」と話した。
西川一誠・福井県知事も
「慎重かつ着実に試験を進めることを期待する」
とのコメントを発表した。
一方、原子力発電に反対する福井県民会議の
小木曽美和子事務局長は
「長い間、もんじゅを動かさないための戦いを
続けてきただけに、運転再開は残念」と語った。
宮崎慶次・大阪大名誉教授(原子力工学)は
「運転再開が安全性の観点を離れて、
地元の国への取引材料になった印象がある。
日本が、高速増殖炉研究に貢献する役割を果たしてほしい」
と話す。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100506-OYT1T00924.htm?from=nwla
「もんじゅ」初日の試験運転は順調
日本原子力研究開発機構は6日、14年5か月ぶりに
運転を再開した福井県敦賀市の
高速増殖原型炉「もんじゅ」について、
「計画通り安全に運転を実施している」と発表した。
初日の試験は深夜まで行い、7日朝から試験を再開する。
原子力機構は、2日間の制御棒の試験データを基に、
8日に原子炉で核分裂が連鎖的に起きる臨界にする予定。
6日夕に記者会見した瀬戸口啓一・もんじゅ運営管理室長は
「(長期の運転停止で)燃料の反応度が下がっているが、
計算した上で制御棒の引き抜き作業を行っている」
と述べ、試験は順調との見方を示した。