2010年8月16日(月曜日)
健さんは高校生の時から、
わたしは結婚してから、
松原公園の会場に出かけていって見る花火とは、
無縁だった。
帰省中の名古屋の妹たちが、花火を見てから
帰るという。
急に花火をみたくなり、孫とふたり
妹の家族に便乗することにした。
なんと、健さんまでが店を休んで
いっしょに行くと言い出した・・・
考えてみれば、健さんといっしょに花火を見るのは
今日が初めてだ。
健さんは缶ビールやおつまみ、孫のお菓子なんかを
用意し、イソイソとまるで遠足の前の晩のよう・・・
蓬莱町のあたりまで、妹んちの車で行き、
そこから松原公園まで歩くことになった。
灯ろうを全部で6個も抱えて・・・
5時前に歩き出し、エッチラオッチラ
川崎通り、松栄・・・と久しぶりに古い町並みを
歩いた。
子どものころは家から水着のまま、
歩いて海水浴に通ったなつかしい路。
松の栄保育園のところでは、観光バスでやってきた
お客さんの大行列といっしょになってしまい、
狭い道路は人・人・人の波。
人口7万人弱の小さなまちに20万人以上の人がつめかける
敦賀の灯ろう流しと花火大会は、
日本海側最大の1万3千発がうたい文句だ。
30分かけて会場の一角にたどりつき、
やっと場所取りにも成功。
かわいい浴衣姿の女の子がふたりですわるちかくに
陣取った・・・
青いシートをひろげ、
健さんはさっそくビールでのどを潤していた。
運転して名古屋まで帰らないといけない妹のつれあいは
ビールを自粛。
ほかのみんなは健さんの用意したつまみと、
おにぎりで夕飯がわり。
灯ろうを流すまで、まだ1時間ほど間がある。
かわいい女の子たちの席にはいつのまにか
イケメンの姿が・・・
飲み物や食べるものを調達していたようだ。
残念がるのはおっさんの健さん・・・
何を期待してたんだ?
6時半になり、読経がはじまると、ろうそくを灯した
灯ろうが波打ち際から流される。
今日は北風なので、せっかく流した灯ろうは
沖へ向かわず、波打ち際でユラユラと漂うばかり。
孫は膝上まで海につかり、いっしょうけんめい
灯ろうを遠くまで押しやるけれど、
すぐに戻ってくる・・・
妹は灯ろう流しじゃなくて、灯ろう戻しだとつぶやく。
読経から1時間、あたりがすっかり暗くなると
波打ち際で揺れる灯ろうのあかりも
またステキ・・・
7時半になり、お待ちかねの花火の饗宴がはじまった。
「水上の宴(うたげ)~敦賀・雅の世界」がテーマだ。
想像していた以上に、凄い! の一言に尽きる。
最初は何枚かケータイで写真を撮ってみたけれど
ケータイに集中していては、花火を楽しめない。
なんせ、3方向から息つく暇もないほど
次々に打ち上げられるんだから・・・
風のせいで、ときおり火の粉が頭上にまで
落ちてくるし、煤が顔に降りかかってくるし・・・
そのたびに、浜中がどよめくのだ。
夜空が花火で覆いつくされ、あたりが真昼のように
あかるく輝くたびに、観客からは大きな拍手と
歓声があがる。
花火の大音響に浜中が揺れる。
この感動と興奮を味わえば、また来年も見にきたいと
思うのは至極当然・・・
やはり、花火は会場でみるのが一番だと納得した。
子どものころ見た花火は、ド~ン! と1発あがると
次の花火があがるまでに、かなりの間があった。
それはそれで、風情があった。
現代版はまさに、花火ショー・・・
サッカーボールやサムライ・ブルー、ハートに
親子クラゲ・・・と意匠をこらしている。
途中からひどい頭痛がしてきたけれど、
花火の美しさのほうが勝っていたので、我慢できた。
1時間あまりで饗宴は幕を閉じ、
また長い道のりをゾロゾロと歩き、家路へと向かう。
民族の大移動よろしく、人の波が少しずつ前へ前へと
行進していく・・・
行きと帰りの苦労があるからこそ、
花火の感動も興奮もいっそう、大きく深く心と身体の
両方に刻み付けられるのだろう。